もくじ

表紙
1・霞ヶ浦の地誌

2・古代の霞ケ浦

3・霞ヶ浦の民俗・信仰

4・霞ヶ浦と洪水

 第十五話
 「居切堀割」放流できず
 第十六話
 土浦の洪水を防いだ鉄道敷
 第十七話
 台風・洪水が生んだ小粒納豆

5、霞ケ浦の水運
第十八話
高瀬船でにぎわった高浜港
第十九話
今に残る勘十郎堀
第二十話
 東京―高浜間に定期航路

6、霞ケ浦の水生植物

7、霞ケ浦の野鳥

8、霞ケ浦の魚・貝類

9、霞ケ浦の漁業

10、霞ケ浦とアオコ

11、霞ケ浦の富栄養化

12、霞ケ浦の化学物質汚染

13、霞ケ浦と農業

14、地球環境と霞ケ浦

15、常陸川水門

16、霞ケ浦の水利用

第十八話   高瀬船でにぎわった高浜港

 高浜の高浜神社拝殿には、慶応年間(一八六五〜六八)に奉納された絵馬が掲額されています。この絵馬には、当時高瀬船でにぎわった高浜港の様子が活写され、貴重な文化財となっています。

 高瀬船は、江戸時代から明治、大正、昭和初期まで運行された、利根川・霞ケ浦の水運 を代表する船でした。渡辺貢二氏の労作「利根川高瀬船」(崙書房刊)によると、高瀬船 は竜骨(キール)がなく、平底で、他の河川や海洋では見られない独特の形態を持ってい ました。平均的な大きさの船でも全長約二十メートル、横幅約四メートルもあり、米俵な ら四百俵から五百俵も積むことでできました。  

 しかし、杉材の赤身で作られた底板(シキ)の厚さは、わずかに四センチメートルしかなく、華奢で柔構造の船でした。これは、天明三年(一七八三)の浅間山の大噴火による大量の火山 灰の流出で、利根川の各所に出現した浅瀬を乗りきるために、船大工たちが工夫した結果です。

 高瀬船は、高浜港からは薪、柴、 木炭などの林産物、米、麦、大豆 などの農産物、そして関東灘と言 われた石岡の酒樽を積み込みました。土浦港からは、繭や生糸など のほか、名産の醤油樽も積み込まれ、大消費地である江戸(東京) へ運ばれました。帰り船には、古着や日用雑貨品が積み込まれたということです。

 「利根川図志」の一節でも紹介され、子供時代の柳田國男を魅了した高瀬船は現存せず、最後の高瀬船船大工、故鈴木国蔵翁が最晩年に製作した模型が土浦市立博物館と佐原市の大利根博物館に展示されています。

  恋瀬川河口から高浜駅と筑波山          高浜神社奉納の絵馬  高浜神社本殿(市指定文化財)          常陸風土記・高浜の海