霞ケ浦周辺には、縄文時代の貝塚遺跡が多く、それらを線で結ぶと当時の海岸線が推定できます。
その一つ、美浦村安中(あんじゅう)台地の中央部、陸平(おかだいら)遺跡は、面積十数ヘクタールに及び、日本 最大級の貝塚で、日本考古学の原点と言われています。
この貝塚は、モース(東大初代動物学教授、大森貝塚の発見者)の学生であった佐々木忠次郎、飯島魁両氏の明治十二年(一八七九)の調査で発見され、その成果は翌年、英文で発表されました。
その後、近年まで、その存在は知られながら本格的な発掘調査がなされないままでしたが、ゴルフ場造成を含む「安中総合開発」にかかり、陸平遺跡の保存と活用が課題となりました。研究者、行政、住民が一体となって新たに発足した陸平調査会によって発掘調査が進み、その全貌が明らかになりつつあります。
レーザー探査、放射性炭素年代測定などの最新技術と、人力に頼るトレンチ(試掘溝) 調査により、百を超える住居跡がわかりました。このトレンチ調査には村内住民も多数参加し、延べ三千人に達しました。発掘の成果は、「陸平通信」というミニ新聞に逐時発表され、村内で広く読まれ、従来専門家だけのものであった遺跡調査が住民に身近になり、歴史感覚とふるさとを大切に思う機運が養われました。
陸平貝塚公園に文化財協力員によって復元された竪穴式住居