霞ケ浦周辺は、古墳がたくさん残っていることで有名です。大規模な古墳は、霞ケ浦湖岸に多いのですが、流域の中小規 模のものを含めると、それらの数 は数百を下らないのではないでしょうか。
石岡市高浜の舟塚山古墳(国史 跡、全長百八十六メートルの前方 後円墳)と愛宕山古墳(県史跡、全長九十メートルの前方後円墳) は霞ヶ浦を代表する古墳で、特に 前者は県下最大で、関東でも二番目に大きいと言われています。
出島村柏崎の富士見塚古墳(全長百メートルの前方後円墳)は、その軸線が筑波山と鹿島神宮を結 ぶ線にほぼ一致することが知られています。この古墳上には、標高三十五メートルの三角点があり、高浜入の霞ケ浦の眺望がすばらしく、最近史跡公園として整備されました。玉造町沖洲の三昧塚古墳は、一部破壊されてしまいましたが、馬の透し彫りのある金銅 冠の出土で有名です。美浦村大塚の弁天塚古墳は、黒坂の命の墳墓ではないかと、幕末に土浦の町人学者・色川三中が研究したことで知られています。
古墳時代は、三世紀末から六世紀中ごろまで続き、各地の権力者や豪族が競って壮大な 墳墓を建設しましたが、古墳文化の中心は畿内とされています。しかし、霞ケ浦周辺にこ れほど古墳が多いことは、古代常陸の国の生産力が、水産をはじめ非常に豊かで、強大な 権力とたくさんの人口を支えていたことを示しています。古代常陸国は東国文化の中心でした。舟塚山古墳(石岡市)。県内最大の前方後円墳。5世紀ごろ、この地方を支配した豪族の墓と考えられている。