もくじ

表紙
1・霞ヶ浦の地誌

第二話
 霞ケ浦は海跡湖
第三話
 壮年期から老年期へ
第四話
 湖底を刻む二本の谷
第五話
 ナウマン象化石が語る
第六話
 湖底からの地下水湧出

2、古代の霞ケ浦

第七話
 住民に身近な陸平遺跡調査
第八話
 周辺に残る古墳群
第九話
 「常陸国風土記」に思う
第十話
 常陸国府の食糧を支える

3、霞ヶ浦の民俗・信仰

4、霞ヶ浦と洪水

5、霞ケ浦の水運

6、霞ケ浦の水生植物

7、霞ケ浦の野鳥

8、霞ケ浦の魚・貝類

9、霞ケ浦の漁業

10、霞ケ浦とアオコ

11、霞ケ浦の富栄養化

第八話   周辺に残る古墳群

 霞ケ浦周辺は、古墳がたくさん残っていることで有名です。大規模な古墳は、霞ケ浦湖岸に多いのですが、流域の中小規 模のものを含めると、それらの数 は数百を下らないのではないでしょうか。

 石岡市高浜の舟塚山古墳(国史 跡、全長百八十六メートルの前方 後円墳)と愛宕山古墳(県史跡、全長九十メートルの前方後円墳) は霞ヶ浦を代表する古墳で、特に 前者は県下最大で、関東でも二番目に大きいと言われています。

 出島村柏崎の富士見塚古墳(全長百メートルの前方後円墳)は、その軸線が筑波山と鹿島神宮を結 ぶ線にほぼ一致することが知られています。この古墳上には、標高三十五メートルの三角点があり、高浜入の霞ケ浦の眺望がすばらしく、最近史跡公園として整備されました。

 玉造町沖洲の三昧塚古墳は、一部破壊されてしまいましたが、馬の透し彫りのある金銅 冠の出土で有名です。美浦村大塚の弁天塚古墳は、黒坂の命の墳墓ではないかと、幕末に土浦の町人学者・色川三中が研究したことで知られています。

 古墳時代は、三世紀末から六世紀中ごろまで続き、各地の権力者や豪族が競って壮大な 墳墓を建設しましたが、古墳文化の中心は畿内とされています。しかし、霞ケ浦周辺にこ れほど古墳が多いことは、古代常陸の国の生産力が、水産をはじめ非常に豊かで、強大な 権力とたくさんの人口を支えていたことを示しています。古代常陸国は東国文化の中心でした。

  舟塚山古墳(石岡市)。県内最大の前方後円墳。5世紀ごろ、この地方を支配した豪族の墓と考えられている。