霞ケ浦の湖心付近の底泥や砂礫層の下に、現在の湖面より約五十メートルも深く二本の 谷が刻まれています。
これらの谷は、最後の氷河期(ウルム氷期、七万年から一万年前)に海水準が低下して 霞ケ浦が陸化した時に、古鬼怒川と恋瀬川が侵食したものです。
古鬼怒川は、三万年前から二万年前にかけて、古里川、桜川、霞ケ浦低地を経て太平洋 に注いでいました。その後、鬼怒川は、関東地下水盆の沈下により西遷し、小貝川、利根川と合流するようになりました。
霞ケ浦低地の深い谷は、一万年前の縄文海進によって溺れ谷となり、さらに土砂の堆積により埋没谷となりました。
霞ケ浦の湖底の、土浦入から湖心にかけての砂礫層は、古鬼怒川および現在の桜川が運んだものです。
この砂礫層は二層に分かれており、深い方は古鬼怒川が日光方面より運んだ凝灰岩や安山岩質の砂礫、浅い方は桜川が筑波山や加波山の麓の真壁郡方面より運んだ花崗岩質の砂礫より成っています。
現在、霞ヶ浦では約二十社の業者が砂利を採取していますが、法律により五メートルよ り深い層の砂利は採取できないことになっています。違反して深い層から採取しているか どうかは陸揚げされた砂利の岩石の種類を調べればわかります。
いずれにしても、現代の砂利採取業者は、数万年前に成立した自然資源を利用している わけです。では、私たち現在の世代は子孫に何を残せるのでしょうか。現世代の欲望の充足のために、自然を利用し、汚し、破壊するだけでは、万物の霊長の名が泣きます。
稲敷市にあった砂利採取場