住まいの文化 |
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建築文化史家 一色史彦 | |
(七)貴族の宅地と寝殿造り | |
一町(一二〇m)四方の真四角な敷地が、寝殿造という住宅形式の基本的な広さです。今の表示では、一万四四〇〇平方m、約四四〇〇坪、田畑の広さでは約一町五反ということになります。 このような規模になるのは、平安京が東西・南北に規則的に走る大路・小路で区画された、いわゆる条坊制都市であったためです。もちろん、あの「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルと云われる藤原道長のような大貴族の邸宅では二町の敷地があったり、小貴族ではこの二分の一であったりします。 |
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寝殿造りは、平安京という大都市の中でつくりだされた、いわば都市住宅でした。そしてこれが私たちの住む和風住宅の出発点になります。 平安京ができてちょうど百年目という年に、遣唐使が廃止されました。長い間わが国の文化の先達となつていた中国からの文物の流入が途絶えることになります。 わが国の風土に根ざした文化、いわゆる国風文化への関心が急速に高まり、早くもその十年後には初めての勅選和歌集である「古今集」が仮名文字で書かれています。四季の移り変わりの微妙な感触を喜び、花鳥風月におもいを込める時代になったのです。季節感と情緒がとけあうという雰囲気の中で寝殿造りが姿を現しました。 平安貴族は平安京という都市の中にあって、あたかも山荘に住む気分を最高のものと感じたのです。住まいの文化とは、こうした先人の生活感情を理解することに原点を持つべきではないかと思うのです。 |
*平安京 *古今集 |
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