住まいの文化 |
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建築文化史家 一色史彦 | |
(十)先例を重んじると | |
現状を良し、とする時代の中では、生活万般に先例を重んずる風潮が生まれてきます。上層の平安貴族の日記、藤原道長の「御堂関白記」や藤原実資の「小右記」などを読んでみますと、しきりに先例がでてきます。 あの時は何が、どうして、と細々しい記述なのですが、それが当時の貴族達の公的生活を取りしきる規範となっていたのです。紫宸殿のどの柱をどちらから回った、と先例にあれは里内裏の寝殿造りでも同様な行為をしなければならない。したがってその柱が無ければ困ってしまうことになります。辻褄(つじつま)を合わせるのにひと苦労です。 ついにはそれが有職故実(ゆうそくこじつ)という学問になってしまいました。古来の朝廷や武家の礼式、典故、官職、法令などを研究する学問、と「広辞苑」に出ています。時代が下がってくると、それこそ、こじつけとでも言いたいような珍説も加わってしまい、とくに戦後の歴史学では学問としてはあやしげなものとして顧みられなくなってしまったことは残念至極と思います。 |
*藤原道長 |
*一休 |
*『御堂関白記』 *一休 |
部分をとらえて全体を否定するという戦後歴史学の幅の狭さの中では、わが国の豊かな文化史は語れるはずがありません。人の努力はさまざまですが、目標は似かよっています。 「わけのぼる ふもとのみちはおほけれど おなじたかねの つきをみるかな」 あの一休さんの作です。なにつけても引き合いに出したい名句です。 |
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