住まいの文化
  建築文化史家 一色史彦
(四)山の神の涙  
 この地域一帯にはヒノキの柱は火柱になる、と言う伝承が残されています。ヒノキを一般の民家には使わせないための口実であったようです。
 ヒノキは長持ちするとはよく耳にすることですが、人間と同じで、よいヒノキもあれば悪いヒノキもあり、よい杉もあれば悪い杉もあります。民家の小屋梁の松には三百年経ってもまだヤニを滲み出させるという凄(すご)い例もあります。新治村には、そのようなすこぶるつきの松が生えていたそうです。
 今、県内でも杉、ヒノキの林の間伐問題が深刻です。この対応に失敗すれば、更に山が荒れ、大きな災害をもたらすでしょう。環境問題や水質浄化を口にする人にはすべからく関心を持ってもらいたいものです。国破れて山河あり、城春にして草木深し。戦後復興のロマンをかけて荒れた山林にひたすら苗木を植え続けた人々の姿を思うとき、ただ値段の安さだけで外材に頼り切りの現状はあまりにも無策であり、将来に不安を覚えざるを得ません。
 一方では、社寺建築や古民家という貴重な文化財に関心を持つ林業や材木業の関係者に出会ったことがありません。

新治村の松の木

 これもまた心寂しい次第です。山の神の涙が松林を枯らし、谷川を汚し、やがて霞ヶ浦もまた汚れてしまった、と言うふうに考えてはもらえないものでしょうか。  
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