萩市

1・菊屋家付近
2・明倫館
3・市街中央北部
4・堀内・平安古
   伝建地区
5・大照院
6・東光寺
7・郊外地区

萩市・東光寺

萩市椿東にあり、元禄4年萩藩三代藩主毛利吉就が建立した。吉就は江戸で萩出身の高僧・慧極道明禅師に会う。黄檗宗に帰依して、慧極道明禅師を開山として東光寺を創建した。就の死後、ここを墓所とし毛利氏の菩提寺となった。毛利氏廟所には三代藩主吉就以後、奇数代の藩主の廟所となった。仙台藩伊達家の両足山大年寺、鳥取藩池田家の龍峯山興禅寺と並んで黄檗宗三大叢林のひとつである。

 
   東光寺総門(国指定重要文化財)                 東光寺三門(国指定重要文化財)

 総門とは一山の総門を意味する。元禄五年頃竣工したものと推定される。三間二戸八脚門、正面柱間が三間あり、左側に扉、右側は板壁、前後に八つの控え柱がある。一重切妻造段違本瓦葺きで、棟の端にはシャチ(鯱)の代わりに摩伽羅を飾り、中央持ち上げの棟式屋根は黄檗風の様式。
 三門は藩主毛利斉熙が寄進したもので、「文化八年辛未七月念有八日始斧」・「同九歳次壬申九月十有九日竣工」の棟札がある。三間三戸二重楼門。ほとんどの八脚楼門は左右に仁王像が入り、中央に扉が付くがこの門は左右にも扉(戸)が付く。門の左右に2階に上がるための階段小屋が付く。

 
   東光寺大雄宝殿(国指定重要文化財)               萩藩主毛利家墓所(国史跡)

 大雄宝殿(本堂)は元禄十一年(1698年)十二月に竣工しました。一重裳階付き、入母屋造、本瓦葺きで、組物は三ツ斗出組、前面一間通りは吹放し、左右と背面の入側は化粧屋根裏(上に天井が無く垂木が見える形式)、中央は格子天井組など複雑な建築技術を駆使した中国式の仏殿。黄檗宗では本堂を大雄宝殿と呼ぶ。
 萩藩主毛利家墓所、ここも大照院と同じで明治以降、毛利家の所有となり、三代藩主以後、五代、七代と奇数の藩主の廟所となっている。毎年8月13日に行われる「萩・万灯会」の迎え火では、約600基の石灯篭に灯が入り、幽玄の世界が広がる。

 
   松下村塾跡(国史跡)                   東光寺周辺マップ

幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。天保13年に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開き子弟の教育にあたったのが始まりで、その後、安政4年、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰した。松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てた。