萩市役所、明倫館
萩城址から中の総門の通りは御成道で現在も町のメインストリートになっている。西田町あたりはアーケードの商店街であり、その南側に萩藩主毛利吉元が、藩校明倫館を堀内地区から敷地を大幅に拡大して移築した。現在もこの地区は萩市役所や裁判所が置かれている。その市役所の向い側に旧明倫小学校跡地に「萩・明倫学舎」として観光施設が作られた。
萩・明倫館学舎
萩藩校明倫館は、享保4年(1719年)に5代藩主毛利吉元が毛利家家巨の子弟教育のために堀内に開いた藩校です。それから約130年後、嘉永2年(1849年)に現在地(江向)に拡大移転しました。約5万㎡もの敷地内に学舎や武芸修練場、練兵場などがあり、吉田松陰や楫取素彦(小田村伊之助)も教鞭をとりました。
明倫館南門(市指定文化財) 萩・明倫学舎本館(国登録文化財)
有備館(国史跡) 明倫館周辺マップ
萩・明倫学舎本館【文化庁登録有形文化財山口県第1号】
藩校明倫館跡地に昭和10年に建てられた木造2階建の小学校舎。東西両端と中央玄関の棟に藩校明倫館の聖廟と同じように鴟尾が置かれ、外壁は1階部分は縦桟下見板張り、2階部分は白漆喰塗りである。屋根のフランス瓦や連続する窓の意匠が特徴的である。
有備館は、旧明倫館の剣術場と槍術場を移して拡張したもので、木造平屋建入母屋造桟瓦葺、桁行37.8m、梁間10.8mの南北に長い建物である。内部の北半分は板の間で39畳の剣術場、南半分は土間で54畳の槍術場、各その西側を藩主の上覧場とし、中間に藩主臨場などの場合に使う控室がある。有備館は、藩士の練武のほか、他国からの剣槍術の修業者との試合場、すなわち「他国修業者引請剣槍術場」でもあった。坂本龍馬も来萩し試合をしたといわれる。
南門【市指定有形文化財】
新明倫館の正門として建てられた。藩主が聖廟を拝する春秋の「釈菜(孔子祭)」や公式行事以外は開かれなかった。本願寺山口別院に移され正門となっていたが、平成16年(2004年)に元の位置に移築された。