市立函館博物館 | 市立函館博物館 | 旧市立函館図書館本館 | 函館市公民館 | 白川橋 |
第一号館 | 第二号館 | 中央図書館書庫 | 小樽貴賓館 | 石造橋梁 |
函館市青柳町17-1 | 函館市青柳町17-1 | 函館市青柳町17-2 | 函館市青柳町12-17 | 函館市青柳町函館公園 |
1878(明治11年) 撮影 99-07 | 1883(明治16年) 撮影 99-07 | 1927(昭和2年) 撮影 90-06 | 1933(昭和8年) 撮影 99-07 | 1881(明治14年) 撮影 90-06 |
★道指定文化財 | ★道指定文化財 | ★ | ★ | ★道指定名勝 |
size 3984 X 2239 | size 3360 X 2528 | size 3214 X 2073 | size 1781 X 2254 | size 3140 X 2036 |
01-0022-01 | 01-0022-02 | 01-0022-03 | 01-0022-04 | 01-0022-05 |
第一号館は開拓使により函館仮博物場として、新潟出身田中善蔵の工事請負で、明治11年に建築された。博物場本体と管理人室、研究室が廊下で結ばれ中庭が設けられていた。日本で現存する最古の洋風木造建築の博物館。 | 明治15年に北海道開拓使が廃止され、開拓使東京出張所にあった開拓使仮博物場も廃止されることになり、その展示物を引き取り、函館仮博物場のすぐ隣に、函館県第二博物場が建築された。これが旧函館博物館2号館である。 | 昭和2年に設計は函館市建築課の小南武一、施工は堀田組で完工し、昭和3年市立函館図書館として開館した。本館の裏に大正5年に辰野葛西建築事務所が設計した書庫が建っている。本館は鉄筋コンクリート造2階、地下1階。 |
白亜ででモダンな公民館は函館市青年会館と呼ばれていた。昭和5年に結成された函館市連合青年団が募金で青年会館建設を目指していた。函館在住の実業家・石館友作が自身の土地と建設資金の寄付をして完成したという。 |
函館公園内は北海道内初となる洋式公園であり、園内にある洋式で作られた石橋の白川橋や動物飼育施設も北海道内初である。明治天皇の侍従・北白川宮能久親王が馬車で渡られたことから白川橋と呼ばれるようになった。 |
函館根津製餡所 | 函館商工会議所別館 | 函館大手町ハウス | ニチロビルデング | 中華会館 |
主屋 | 主屋 | 旧北海道漁業公社 | 日魯漁業函館支店2号館 | 主屋 |
函館市旭町7-19 | 函館市大手町3 | 函館市大手町5-1 | 函館市大手町5-10 | 函館市大町1-12 |
1935(昭和10年) 撮影 99-07 | 1923(大正12年) 撮影 99-07 | 1918(大正7年) 撮影 99-07 | 1934(昭和9年) 撮影 92-07 | 1910(明治43年) 撮影 99-07 |
★ | ★ 取毀 | ★国登録文化財 | ★ | ★国登録文化財 |
size 3324 X 2144 | size 3352 X 2103 | size 3808 X 2822 | size 4252 X 2672 | size 2902 X 1518 |
01-0022-06 | 01-0022-07 | 01-0022-08 | 01-0022-09 | 01-0022-10 |
創業者の本間家は、戦前函館で活躍した商人や漁業家と同様に、江戸時代の北前船の交流のあった越後・新潟の出身。昭和9年大火焼失後の店舗のデザインは、本間家のルーツである新潟の商家建築を参考に建てたという。 | 大正7年に浅野セメントの函館営業所として建てられた。昭和30年代半ばに北海道漁業公社へ売却された。その後、同社の事務所であったが、沢田建設が建物を取得し、市立図書館にあった写真をもとに復原工事を実施した。 |
函館の玄関口、函館駅前、以前は青函連絡船の埠頭に近い所に日魯漁業(現マルハニチロ)の社屋として、昭和9年建てられた。鉄筋コンクリート造4階建て、設計・施工は函館市の木田保造が率いる木田組が担当した。 | 中華会館は国内に唯一残る中国清朝末期の建築様式で、設計者や技師も中国から招いて建てられた。日中貿易で財を成した函館在住の華僑たちが明治43年に集会所として、また三国志の英雄・関羽をまつる関帝廟の建築である。 |
小林文具店 | 相馬株式会社 | 大火遭難記念慰霊堂 | トラピスチヌス修道院 | トラピスチヌス修道院 |
旧写真館 | 旧店舗 | 慰霊堂 | 聖堂 | 司祭館 |
函館市大町2-9 | 函館市大町9-1 | 函館市大森町33-33 | 函館市上湯川346 | 函館市上湯川346 |
1907(明治40年) 撮影 99-07 | 1886(明治19年) 撮影 90-06 | 1938(昭和13年) 撮影 90-06 | 1927(昭和2年) 撮影 99-07 | 1913(大正2年) 撮影 99-07 |
★市景観形成指定建築 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★ | ★ | ★ |
size 3877 X 2740 | size 2988 X 2241 | size 3085 X 2009 | size 4127 X 2611 | size 3291 X 2076 |
01-0022-11 | 01-0022-12 | 01-0022-13 | 01-0022-14 | 01-0022-15 |
現存する写真館としては道内最古と言う洋風の建物。竣功当時は2階にバルコニーあったが撤去されている。上げ下げの縦長窓,胴蛇腹,下見板張りなど洋風建築の特徴をもつ。以前は文具店になっていたが本来の写真館に戻った。 | 明治40年の大火で相馬哲平は自身の会社事務所と、自宅を焼失した。そのご、下見板張りの外壁、1階には三角ペディメント、2階は櫛型ペディメントの上げ下げ窓が並ぶ。屋根窓を設けたルネッサンス風の商家建築を再建した。 |
は昭和9年の大火の際、多くの市民の犠牲者がでた。大火遭難記念慰霊堂は財団法人共愛会が遭難死者の霊を追悼するために計画され、函館市建築課課長小南武一を中心に耐火コンクリート建築で設計され、昭和13年に完成した。 |
聖堂は建築様式的にはロマネスク調とゴシック調の折衷スタイルで、大正14年の火災で本館が焼失した後、昭和2年に当初の形を踏襲し、スイス人建築家・マックス・ヒンデルの手により再建されたのが現在の修道院である。 | トラピスチヌ修道院は、明治31年にフランスの聖ヨゼフ聖母修道院から派遣された修道女たちにより設立された。司祭館は大正初期に建てられた煉瓦造りで、白い半円アーチ窓が並ぶロマネスク風の雰囲気がある。煉瓦造り2階建。 |
函館YMCA | 永全寺礼拝堂 | 五島軒本店 | 函館市役所地域交流 | 金森ヒストリープラザ |
旧山下家住宅 | 函館検疫所隔離室 | 旧館 | まちづくりセンター | 金森煉瓦倉庫 |
函館市松蔭町1-12 | 函館市昭和2-21 | 函館市末広町4-5 | 函館市末広町4-9 | 函館市末広町14-16 |
1926(大正15年) 撮影 99-07 | 1886(明治19年) 撮影 99-07 | 1934(昭和9年) 撮影 86-08 | 1923(大正12年) 撮影 99-07 | 1909(明治42年) 撮影 99-07 |
★国登録文化財 | ★ | ★国登録文化財 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 |
size 3979 X 2736 | size 3804 X 2554 | size 写真・・14点 | size 4127 X 2611 | size 3188 X 2092 |
01-0022-16 | 01-0022-17 | 01-0022-18 | 01-0022-19 | 01-0022-20 |
函館YWCAは日本YWCAの働きかけにより、昭和24年、遺愛学院の協力のもと発足した。専用住宅として建てられたものを購入して発足。木造一部二階建鋼板葺で非対称な外観を持つ。昭和前期に建設された洋風の郊外住宅である。 | 明治政府が開国した港湾都市において、明治18年、内務省が検疫体制強化のために函館、横浜、神戸、下関、長崎に常設消毒所を建設し、函館には旧台町に検疫所を設置。この隔離室は永全寺に売却され移築して使われている。 | 函館を代表する老舗レストラン。その歴史は明治12年に、埼玉鴻巣出身の若山惣太郎が、パン屋として開業したのが始まりという。設計は竹下茂と亀井勝次郎の二人の建築家である。外観はシンプルで落ちついた白の外観である。 | 大正12年に丸井今井呉服店函館支店として鉄筋コンクリート造3階建てで建築された。復興式と呼ばれる洋風の外観で縦長の窓、玄関口のドーム型の屋根、奥に5階建ての塔屋がある。大改修で建設時の姿にほぼ復元された。 |
金森倉庫の創業者、初代渡邉熊四郎が最初の事業、金森洋物店を開業したのが始り、三菱と日本郵船の合併により、共同運輸会社の倉庫建物を買い取り倉庫業を始めた。明治40年の大火後、耐火建築の煉瓦造で明治42年に年完成。 |
末広町・町並保存地区 | 高田屋嘉兵衛資料館 | 現在は-ラ・コンチャ | (株)キタワラ | SEC電算センタービ |
旧金森倉庫 | 旧田中屋コンブ倉庫 | 旧深谷米穀店店舗 | 旧函館海産商同業組合 | 旧第百十三国立銀行本店 |
函館市末広町 | 函館市末広町12-22 | 函館市末広町14-6 | 函館市末広町15- | 函館市末広町18-16 |
1909(明治42年) 撮影 99-07 | 1903(明治36年) 撮影 99-07 | 1917(大正6年) 撮影 99-07 | 1920(大正9年) 撮影 92-08 | 1926(大正15年) 撮影 92-08 |
★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★市景観形成指定建築 |
size 4356 X 2532 | size 3335 X 1927 | size 3101 X 2034 | size 3324 X 2628 | size 3102 X 1707 |
01-0022-21 | 01-0022-22 | 01-0022-23 | 01-0022-24 | 01-0022-25 |
平成元年に函館市の元町、末広町地域が全国で29番目の国の重要伝統的建造物群保存地区の選定された。写真の旧金森倉庫群は青函フェリー駅の近くに有り、中心部にあたる。手前から博物館、ヒストリープラザ、ホールである。 | 北海道の代表的な物産は江戸時代から昆布であった。この土地は文化年間、高田屋嘉兵衛の造船所があったという。現在は高田屋関連の資料館としてなっている。写真の左の蔵・1号館は明治36年に石造。2号館は大正12年の建造。 |
元は米穀店として建築された。現在はスペイン料理店として使われている。1階は、和風の格子窓、下見板張り仕上げで、2階は洋風の南京下見板張りに縦長の上下窓、胴蛇腹、軒蛇腹を配する住居部分で、和洋折衷建物である。 |
大正時代の函館では海産物の景気が良く、函館海産商同業組合の新事務所建設の声が上がり、不動銀行函館支店の設計を担当していた関根要太郎が設計を請け負った。多くの寄付が集まり、3階建てと言う豪華な事務所を建設された。 |
地場銀行として、明治12年に開業した第百十三国立銀行。明治30年に百十三銀行と改称。設計は、函館に数々の名建築を残した関根要太郎、施工は東京銀座にある松屋銀座デパートを施工した木田保造(木田組)が担当した。 |
川越電化センター | 市立博物館郷土資料館 | 函館市北方民族資料館 | 函館市文学館 | 函館大学ベイエリアサテライト |
旧リューリ商会 | 旧金森洋物店 | 旧日本銀行函館支店 | 旧第一銀行函館支店 | 旧金森船具店 |
函館市末広町18-16 | 函館市末広町18-21 | 函館市末広町19-15 | 函館市末広町21-7 | 函館市末広町22-5 |
1907(明治40年) 撮影 99-07 | 1880(明治13年) 撮影 99-07 | 1926(大正15年) 撮影 90-06 | 1921(大正10年) 撮影 99-07 | 1911(明治44年) 撮影 92-08 |
★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 |
size 3836 X2762 | size 2096 X3247 | size 4256 X2683 | size 4228 X2708 | size 3388 X2577 |
01-0022-26 | 01-0022-27 | 01-0022-28 | >01-0022-29 | 01-0022-30 |
「リューリ商会」は1910年代には函館に支店を出し、ロシア革命後も函館を拠点に漁場経営を行い、ソ連政府の庇護のもとで、昭和8年まで続いた。2階のアーチ型のバルコニーは、川越電化センターになってからの復元である。 | 明治11、12年の大火で、ほとんどの市街地は焼失した。開拓使は、市街の区画整理と不燃質家屋の奨励し、明治12年に被災した渡辺熊四郎もその施策に応じて、明治13年、茂辺地煉瓦石製造所の煉瓦を使い「金森洋物店」を建てた。 | 函館市北方民族資料館は元は日本銀行函館支店で、明治後期から昭和初期にかけて函館の金融街は末広町にあった。大火後、大正15年に竹中工務店に施工で完成した。昭和30年代に大規模な増改築を実施後、現在の外観になった。 |
大正10年、第一銀行函館支店として、建築された。外部に施された芸術的な装飾は、気品を感じさせる。設計は清水組(現清水建設)の西村好時と八木憲一の共作である。鉄筋コンクリート・煉瓦造で施工は清水建設が担当した。 |
戦前までは金森合名会社の店舗として使われていた。戦後は北海道船具用品の店舗として使われていた。平成元年から金森美術館として使われていたが、休館。函館大学のベイエリアサテライトとして再生利用されている。 |