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ピアソン記念館 | ピアソン記念館 | 留辺蘖町開拓資料館 | 博物館・網走監獄 | 網走刑務所 |
旧ピアソン邸 | 旧ピアソン邸 玄関 | 旧武華駅逓 | 旧舎房 | 正門 |
北見市幸町7-4-28 | 北見市幸町7-4-28 | 北見市留辺蘂町滝の湯 | 網走市呼人1-1 | 網走市三眺 |
1914(大正3年) 撮影 99-09 | 1914(大正3年) 撮影 99-09 | 1920(大正9年) 撮影 99-09 | 1912(明治45年) 撮影 84-08 | 1923(大正12年) 撮影 84-08 |
★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★ | ★国指定重要文化財 | ★ |
size 4268 X 2671 | size 2935 X 2054 | size 3241 X 1742 | size 2076 X 3245 | size 4200 X 2372 |
01-0030-01 | 01-0030-02 | 01-0102-01 | 01-0032-01 | 01-0032-02 |
アメリカ人宣教師のピアソン夫妻が15年間生活をした木造2階建の西洋館。ウイリアム・M・ヴォーリズによって大正3年に設計、建築された。ヴォーリズ氏が設計した最北の建築物として保存されたピアソン夫妻の資料館である。 | ヴォーリズ合名会社時代初期の設計で内部は根太や垂木が露出するスイスの山小屋風の住宅。北見市はヴォーリズが設立した近江兄弟社における主力商品であったメンソレータムの原料である薄荷の一大生産地であった。 | 武華原野開拓促進のために開設した武華駅逓は開拓移住者の相談所のほか、旅人の休憩所、宿泊所等などのために、大正9年に建築された。2階建部分は昭和6年に増築された。「駅逓所建築標準図」とほぼ同じ間取りである。 | 網走監獄は明治23年に網走囚徒外役所を設置したことに始まる。明治42年に火災により建物の大半を焼失し,明治45年に再建された。設計は司法省で,収容者の手により施工された。庁舎など3棟が重要文化財である。 |
網走刑務所当初の建物は明治42年に山火事の飛び火が原因でほぼ全焼した。その後、煉瓦工場を新設して、煉瓦造りの正門や赤煉瓦塀が受刑者の手によって造られた。左右対称だが不等辺な七角形の正門の完成は大正13年である。 |
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永専寺 | 網走市立郷土博物館 | 落石岬灯台 | 碓氷醸造倉庫 | 納沙布岬灯台 |
旧網走刑務所正門 | 旧北見教育会博物館 | 灯台 | 倉庫 | 灯台 |
網走市南6条2-9 | 網走市桂町1-1-3 | 根室市落石岬 | 根室市2-1-2 | 根室市納沙布岬 |
1930(昭和5年) 撮影 84-08 | 1936(昭和11年) 撮影 85-08 | 1952(昭和27年) 撮影 99-09 | 1913(大正2年) 撮影 99-09 | 1930(昭和5年) 撮影 99-09 |
★市指定文化財 | ★ | ★ | ★ | ★ |
size 2897 X 1593 | size ・・12点 | size 4415 X 2783 | size 4324 X 2752 | size 3207 X 2072 |
01-0032-03 | 01-0032-04 | 01-0038-01 | 01-0038-02 | 01-0038-03 |
武家屋敷長屋門に正面中央に楔形のアーチや、両脇のドーム屋根の番所など、和洋折衷建築。永専寺住職は網走刑務所の教誨師を勤め、釈放者を引き取り、更正に導くために慈恵院を開設した。縁の深い永泉寺に山門が払下られた。 |
皇太子(平成天皇)殿下御誕生記念事業として建設された博物館。設計はF.L.ライトに師事した北海道の建築家の田上義也が手がけた。正面2階の円柱や壁面のブロック型による力強さは、田上の特徴的な「雪国的造形」の表現。 | 根室市にある根室半島の付け根の太平洋側に位置する落石岬の先端に立つ大型灯台。塔型(四角形)のコンクリート造りで、白地に赤横帯が1本入った、独特の外観をし、平成10年に「日本の灯台50選」にも選定された。(wiki) | 明治20年創業の酒造メーカー。清酒「北の勝」の碓井酒造は創業者・碓井勝三郎が醸造を始めた。4棟の倉庫はいずれも煉瓦造で、内壁は土壁です。妻面の軒蛇腹や平側の出窓に、独特の意匠、小屋組は1棟のみ和小屋で、他は洋小屋。 |
北方四島や知床半島を望む、風光明媚の地。「灯台の父」と呼ばれるリチャード・H・ブラントンの設計による八角形の木造で、北海道の洋式灯台としては最初のものであった。昭和5年、コンクリート造灯台に改築され点灯。(wiki) |
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納沙布岬灯台 | 花咲灯台 | 花咲灯台 | 根室市明治公園 | 日本基督教団・名寄教会 |
灯台 | 灯台 | 灯台 | サイロ(3件) | 教会堂 |
根室市納沙布岬 | 根室市花咲 | 根室市花咲 | 根室市牧の内 | 名寄市大通南2 |
1930(昭和5年) 撮影 99-09 | 1951(昭和26年) 撮影 99-09 | 1951(昭和26年) 撮影 99-09 | 1932(昭和7年) 撮影 99-09 | 1909(明治42年) 撮影 99-09 |
★ | ★ | ★ | ★国登録文化財 | ★市指定文化財 |
size 2044 X 3129 | size 4416 X 2784 | size 3296 X 2119 | size 4415 X 2773 | size 2622 x 3851 |
01-0038-04 | 01-0038-05 | 01-0038-06 | 01-0038-07 | 01-0040-01 |
根室市の太平洋側にある花咲港を見下ろす岬の上に建つ灯台は、明治23年に初点灯した。沖には馬が放牧されるモユルリ島、ユルリ島を眺望。遊歩道も整備されている。海岸線を眺望する展望地や、国天然記念物の根室車石がある。 | 開拓使根室牧場跡に出来た根室明治公園は、北海道で二番目に歴史ある牧場の跡地を利用した公園。国内最大級規模の煉瓦造サイロは昭和7年に7基、昭和11年に2基が建てられた。レンガ壁体をフランス積風に積まれている。 |
日本基督教団名寄教会の会堂は、明治42年に建てられた現存する市内最古の洋風木造建築。この教会を建てたのは、大通南1丁目を中心に明治40年に「小北木工場」を設立した小北一族である。大正12年に幼稚園開を増設した。 |
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旭川市中央公民館 | 旭川市庁舎 | 旭川市庁舎 | 旧宮北邸 | 旧永山戸長役場 |
旧旭川放送局 | 庁舎 正面 | 庁舎 側面 | 住宅 | 庁舎 |
旭川市5条通20-1717-209 | 旭川市6条通9丁目 | 旭川市6条通9丁目 | 旭川市9条通11丁目 | 旭川市永山3条19丁目 |
1933(昭和8年) 撮影 92-08 | 1958(昭和33年) 撮影 92-08 | 1958(昭和33年) 撮影 92-08 | 1915(大正4年) 撮影 92-08 | 1893(明治26年) 撮影 92-08 |
★ | ★ | ★ | ★ | ★ |
size 4447 X 2724 | size 3343 X 2119 | size 3335 X 2112 | size 2056 X 3081 | size 4426 X 2739 |
01-0041-01 | 01-0041-02 | 01-0041-03 | 01-0041-04 | 01-0041-05 |
旭川市中央公民館の建物はNHK旭川放送局として昭和7年に建築された。昭和8年ラジオ局として開局した。昭和41年にNHK旭川放送局の建物を改修して中央公民館として設置された。歴史のある建物が現在も使われている。 |
旭川市役所の現庁舎は保存運動は有ったが新庁舎が完成後に解体されることになっている。設計は佐藤武夫で外壁のコンクリート打ち放しの骨組みに赤い色のレンガ積みのデザインはモダン建築として日本建築学会賞を取った。 | 平成9年度に実施した耐震診断において震度3~4の地震でも倒壊の恐れがあると指摘され、解体されることに決まった。壁面は凍害に対してはできるだけ建物の表面凸凹を避けるために、2材の表面を同一面に仕上げてある。 |
宮北秀吉氏は和歌山県から当時の永山村に入植し、木材販売などほか、いろいろ事業で財を成した。邸は正4年に宮北氏が私邸兼事務所として建設した。柱や梁といった構造は木造という木骨石造方式の石造の西洋風建築である。 |
この建物は、明治26年に永山村に、石狩国上川郡永山村戸長役場の庁舎として、永山村が建築した。明治39年に永山村は二級町村制施行の指定を受け、村役場に改称された。平成6年、解体材を利用し、当初の姿を推定して復元した。 |
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護国神社平成館 | 旭川市彫刻美術館 | 旭川市彫刻美術館 | 旭川市彫刻美術館 | 蔵囲夢 上川倉庫 |
旧陸軍第七師団北鎮兵事記念館 | 旧旭川偕行社 | 旧旭川偕行社 | 旧博愛竹村病院玄関塔屋 | 事務所・十一号倉庫 |
旭川市花咲町1 | 旭川市4区1条1 | 旭川市4区1条1 | 旭川市4区1条1 | 旭川市宮下通11-1604-1,2 |
1934(昭和9年) 撮影 92-08 | 1902(明治35年) 撮影 92-08 | 1902(明治35年) 撮影 92-08 | 1902(明治35年) 撮影 92-08 | 1913(大正2年) 撮影 99-06 |
★国登録文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 | ★国登録文化財 |
size 4437 X 2645 | size 4296 X 2368 | size 3301 X 2072 | size 2420 X 3900 | size 4426 X 2773 |
01-0041-06 | 01-0041-07 | 01-0041-08 | 01-0041-09 | 01-0041-10 |
護国神社境内の南東に建つ、もとは旧陸軍第七師団北鎮兵事記念館の建物。切妻造の屋根も中央を高めて、屋根の大棟や降棟に鬼を置き、破風に懸魚を飾る。白壁など城郭風に見せるなど、当時の日本趣味意匠の建築である。 | 日本ハリストス正教会発祥の地にある。正教会聖堂の標準的な構成になる数少ない煉瓦造の本格建築であり、ロシア、ビザンチン様式を基本とした変化に富む外観は意匠的にも優れている。各地の教会堂を手がけた河村伊蔵の設計。 | 終戦後は、進駐軍が一時、将校クラブとして使用し、昭和24年、建物は国から旭川市に移管され、昭和43年にこの建物を博物館に転用するために、復元修理工事を実施、市立旭川彫刻美術館として保存活用されている。 |
博愛堂竹村医院を開いていた竹村次郎は、明治34年に病院を建設した。この病院の玄関部がこの建物である。病院本屋の解体により玄関部分のみ移築された。病院建築としてはモダンな作りで、六角堂の名で親しまれていた。 |
旧上川倉庫株式会社の事務所と煉瓦倉庫を保存再生した。元々は道北の開拓に伴う物流拠点基地として建てられた。洋風の事務所棟は初2階前面にバルコニーがあった。最盛期である大正初期には21棟もの煉瓦倉庫があった。 |
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士別市立博物館 | 士別市立博物館 | 共和倉庫 | 稚内港 | 旧三井金物店 |
旧公会堂 | 士別屯田兵屋 | 倉庫 | 屋蓋式防波堤 | 旧三井家店舗 |
士別市西士別2554 | 士別市士別2554 | 士別市西3条10丁目 | 稚内市稚内港 | 帯広市大通南5-5 |
1915(大正4年) 撮影 99-09 | 1899(明治32年) 撮影 99-09 | 1932(昭和7年) 撮影 99-09 | 1936(昭和11年) 撮影 94-05 | 1912(明治45年) 撮影 99-09 |
★ | ★市指定文化財 | ★ | ★ | ★市指定文化財 |
size 3319 X 2015 | size 2995 X 1908 | size 3021 X 1969 | size 5675 X 3744 | size 3198 X 1938 |
01-0046-01 | 01-0046-02 | 01-0046-03 | 01-0050-01 | 01-0052-01 |
大正天皇の即位記念として、当時の遠藤町長が建築した公会堂である。町役場の山畑弁次郎土木主任が、旭川の偕行社(現 彫刻美術館)を模して設計した。議場や集会場、公民館として使われていた。平成元年に復元された。 | 士別の屯田兵は。明治32年に最後の屯田兵として家族とともに100人が入植した。この兵屋は、現在の大通り北2丁目にあった屯田兵川津万次郎宅(兵屋番号67番)を移設、復元したもの。屋根は切妻型で煙り出しがある。 | 士別駅の南東の一角には多くの倉庫が立ち並んでいる。煉瓦造り、石造り、コンクリート造と多様な建物がある。利用目的は農業倉庫であると思われ、士別の果たしてきた農作物の集積地として実感する。共和倉庫もその一つ。 |
北防波堤は、大正9年樺太航路の発着場として着工され、ドームもその一環として建設された。70本の柱が立ち並ぶ全長427mの放射線形アーチ状の曲面天井は、古代ローマ建築のようである。設計は北海道大学卒の土谷実である。 |
大正元年に民間としては最初に建てられた煉瓦建築である。開口部に架けられた三連アーチは、珍しかった。十勝監獄で作られた煉瓦で造られた。煉瓦は、桜の花弁が刻印されているなどから、十勝集治監製と伝えられている。 |
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旧三井金物店 | 十勝信組本店 | 双葉幼稚園 | はまます郷土資料館 | 木村番屋 |
旧三井家店舗 | 旧安田銀行帯広支店 | 園舎 | 旧白鳥家番屋 | 主屋 |
帯広市大通南5-5 | 帯広市大通南9丁目 | 帯広市東4条南10丁目 | 石狩市浜益区浜益 | 石狩市浜益区濃昼 |
1912(明治45年) 撮影 94-09 | 1933(昭和8年) 撮影 99-09 | 1922(大正11年) 撮影 99-09 | 1899(明治32年) 撮影 86-08 | 1893(明治26年) 撮影 86-08 |
★市指定文化財 | ★ | ★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 | ★道指定文化財 |
size 3075 X 2028 | size 2160 X 1506 | size 2985 X 1938 | size 3840 X 2580 | size ・・8点 |
01-0052-02 | 01-0052-03 | 01-0052-04 | 01-0054-01 | 01-0054-02 |
安田銀行が昭和8年に鉄筋コンクリート造2階建の新社屋として建設した。十勝の首都に相応しい銀行として大通り沿いの角地に建ち、2層を貫くジャイアントオーダーが目を引く。設計は安田銀行営繕課か。施工は清水組である。 | 大正11年に、設計者は二代目園長で、当時は保育者であった臼田梅の考案をもとに建てられたという。木造の園舎で、園舎の中央に八角形平面の遊戯室を、その四方に保育室がある。。幼児教育の祖フレーベルの思想に応じたもの。 |
漁夫の居住区と親方の住居が配置される典型的なニシン番屋の特徴をもっている。白鳥浅吉がニシン番屋として建てた、木造平屋の建築。開村百年を記念して修復され、郷土資料館となった。現在は石狩市はまます郷土資料館。 |
濃昼(ごきびる)の港近くにある。、明治33年頃に建てられたニシン番屋でである。建物の特徴は、八角形の張り出し窓があり、中は応接間になっている。全体は和洋折衷の作りで、漁夫の居住区と親方の住居区に分かれている。 |
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エフテックス江別工場 | ● JR北海道 | ● JR北海道 | JR北海道 | ● 南空知食糧 |
旧王子製紙江別工場 | 旧岩見沢駅舎 | 旧岩見沢駅舎 | 岩見沢レールセンター | 旧北海道銀行岩見沢支店 |
江別市王子2-3-1 | 岩見沢市有明町 | 岩見沢市有明町 | 岩見沢市有明町 | 岩見沢市1条東 |
1908(明治41年) 撮影 92-08 | 1933(昭和8年) 撮影 92-08 | 1933(昭和8年) 撮影 92-08 | 1899(明治32年) 撮影 92-08 | 1925(大正14年) 撮影 92-08 |
★ | ★ 取毀 | ★ 取毀 | ★ | ★ 取毀 |
size 2985 X 1938 | size 2374 X 1378 | size 3260 X 1883 | size 3280 X 2159 | size 3017 X 1881 |
01-0056-01 | 01-0064-01 | 01-0064-02 | 01-0064-03 | 01-0064-04 |
江別市にある「王子エフテックス江別工場の歴史は富士製紙株式会社として、明治41年に創業した。北海道内最古の製紙工場である。工場内部に現在でも使われている煉瓦造りの倉庫は、創業の翌年明治42年の建築といわれる。 | 旧駅舎は昭和8年に3代目となる駅舎として改築。岩見沢駅の歴史は古く、北海道内で最古の鉄道である幌内鉄道の主要駅として開業した。砂川方面や室蘭方面への延長拠点として発展して来た。小樽-岩見沢間が函館本線に変わった。 | 北海道開拓使によって開設された幌内鉄道は、明治22年に北海道炭礦鉄道会社に払い下げられた。 レールセンターの建物は車両の製作、修理のために、明治32年に建築された。妻側上部のマークは旧北海道炭礦汽船鉄道会社の社紋。 |
旧・北海道銀行(現存する北海道銀行とは別)は、札幌の屯田銀行と余市の余市銀行が母体である。合併して北海道商業銀行となる。戦中の金融統制(一県一行主義)により北海道拓殖銀行に統合されて消滅。設計/施工・伊藤組。 |
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岩見沢市絵画ホール | 旧北炭滝の上発電所 | 滝川市郷土資料館 | 北洋銀行滝川支店 | プラザ深川 |
旧岩見沢警察署 | 社屋 | 分館「華月館」 | 旧北海道拓殖銀行滝川支店 | 旧拓殖銀行深川市店 |
岩見沢市7条西1丁目 | 夕張市滝ノ上5 | 滝川市南滝の川108-8 | 滝川市大町1丁目1-1 | 深川市4条9-40 |
1932(昭和7年) 撮影 99-06 | 1925(大正14年) 撮影 91-04 | 1915(大正4年) 撮影 92-08 | 1933(昭和8年) 撮影 1998 | 1937(昭和12年) 撮影 92-08 |
★ | ★ 取毀 | ★市指定文化財 | ★ | ★ |
size 3150 X 2043 | size 3191 X 2072 | size 3144 X 2004 | size 3272 X 2096 | size 3109 X1885 |
01-0064-05 | 01-0066-01 | 01-0072-01 | 01-0072-02 | 01-0078-01 |
4絵画ホールの建物は道内の警察署として古く、昭和7年に3番目の警察署として建てられた旧岩見沢警察署である。平成2年に歴史的文化遺産として保存するとともに、文化施設「岩見沢市絵画ホール・松島正幸記念館」として開館。 | 北海道炭礦汽船株式会社が大正14年に自家発電用として建設した。建物妻側の大きな窓の上部にある星のマークが北炭の社章である。最盛期には電力需要の増大から清水沢火力発電所とともに、動力面から石炭産業を支えてきた。 | ホテル三浦華園の前身は大正3年に明治後期に建てられた御料局舎の木造平屋建物を譲り受け奥座敷とし、翌年洋風木造2階建部分を増築。旅館三浦屋として開業した。和館は軒の連なりが美しい、洋間は煉瓦造の基礎である。 |
旧北海道拓殖銀行滝川支店であった建物は、角地にあり道路に面するコリント式の大オーダーが目を引く特徴である。設計は北海道庁の技師であった臼澤長吉で、コンクリートブロックを用いた簡易鉄筋コンクリート構造。 |
角地の隅切りが入口で、両側の外壁に2階まで延びるジャイアントオーダーの半円付け柱がある。設計は山本萬太郎で大正12年に竣工した旧北海道拓殖銀行小樽支店の工事監督をした。施工は本田組札幌支店が担当した。 |
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室蘭市庁舎 | 室蘭観光協 | チキウ岬灯台 | ●旧北原医院 | ●栗林商会 |
庁舎 | JR北海道 旧室蘭駅 | 灯台 | 主屋 | 旧道南バス事務所 |
室蘭市幸町 | 室蘭市海岸町2-1 | 室蘭市チキウ岬 | 室蘭市 | 室蘭市 |
1952(昭和27年) 撮影 92-08 | 1912(明治45年) 撮影 91-04 | 1920(大正9年) 撮影 92-08 | 1924(大正13年) 撮影 1998 | 1933(昭和8年) 撮影 92-08 |
★ | ★国登録文化財 | ★ | ★ 取毀 | ★ 取毀 |
size 3312 X 209 | size 3180 X 1720 | size 3311 X 2103 | size 2281 X 1707 | size 3096 X 2048 |
01-0080-01 | 01-0080-02 | 01-0080-03 | 01-0080-04 | 01-0080-05 |
室蘭市は明治25年に北海道炭礦鉄道が輪西—岩見沢間を開業し、石炭積み出し開始したのが発展の始まりである。現庁舎は、昭和27年に建築され、耐震診断の結果、大規模地震により倒壊等の危険性があり、建て替えの予定。 | 旧室蘭駅舎は、明治45年に3代目の室蘭本線の終着駅舎として建てられた。明治の洋風の建築で屋根には六つの屋根窓がある。外回りは裳階状ののアーケードである。駅が移転し、室蘭市の室蘭観光協会になっている。 | チキウ岬灯台は、鉄筋コンクリート造の灯台としては、網走の能取岬に次ぐ初期のもの。チキウ岬の名は、アイヌ語の「チケプ(断崖)」が「チキウ」と変化したものとされ、一般には、音の似ているで地球岬とも呼ばれている。 |
初代の栗林五朔が室蘭市で酒類の小売店を開業した。青森、函館、室蘭等の定期航路が始まり、日本郵船の取次店となり代理業務を開始した。昭和8年に本社ビルを新築した。本社ビルは道南バス室蘭西営業所など変遷する。 |
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●栗林商会 | 多田薬品倉庫 | 前・エレガ | 新日本製鉄知利別会館 | 日本聖公会 |
旧道南バス事務所 | 倉庫 | 旧新日鉄中島倶楽部 | 日本製鐵知利別倶楽部 | バチラー夫妻記念教会 |
室蘭市 | 室蘭市中央町3-4-14 | 室蘭市中島本町 | 室蘭市知利別町4丁目27 | 伊達市有珠町119 |
1933(昭和8年) 撮影 92-08 | 1925(大正14年) 撮影 92-08 | 1939(昭和14年) 撮影 92-08 | 1940(昭和15年) 撮影 92-08 | 1937(昭和12年) 撮影 92-08 |
★ 取毀 | ★ | ★ 取毀 | ★ | ★市指定文化財 |
size 3144 X 2049 | size 2904 X 2011 | size 3234 X 1932 | size 2667 X 1724 | size 2229 X 2026 |
01-0080-06 | 01-0080-07 | 01-0080-08 | 01-0080-09 | 01-0084-01 |
長野県出身の多田光次郎氏が室蘭で明治40年に多田薬局を開業したのが始まりである。多田薬品本店の煉瓦倉庫は大正14年の建築。外壁はスクラッチタイル、窓枠にはスチールサッシが使われている。施工は伊藤組である。 | 北海道炭礦鉄道会社は明治42年に輪西製鐵場を建設し、自社の石炭を使い、日本最初の製鉄を開始した。輪西製鐵所、日本製鐵、富士製鐵と名称は変わった。昭和15年に社員クラブとして中島会館が設計を佐藤功一で建築された。 |
バチラー記念堂は、石造りの教会堂で丸い窓と屋根の上にある白い十字架が目を引く。昭和12年にジョン・バチラー夫妻の養女向井八重子やその弟山雄、多くの信者の協力で建てられた。バチラー神父の遺品を展示されている。 |
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伊達市開拓記念館 | 伊達市開拓記念館 | トラピスト修道院 | 男爵資料館 | 伊達市開拓記念館 |
旧三戸部家住宅 | 旧伊達邸迎賓館 | 修道院 | 旧川田農業試験場牛舎 | 旧三戸部家住宅 |
伊達市梅本町61-2 | 伊達市梅本町61-2 | 北斗市上磯町三ツ石392 | 北斗市上磯町当別4-3-1 | 伊達市梅本町61-2 |
1872(明治5年) 撮影 99-07 | 1892(明治25年) 撮影 99-07 | 1908(明治41年) 撮影 99-07 | 1918(大正7年) 撮影 99-07 | 1872(明治5年) 撮影 99-07 |
★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 | ★ 取毀 | ★ | ★国指定重要文化財 |
size 3246 X 2032 | size 3196 X 2039 | size 3290 X 2038 | size 2553 X 1344 | size 3246 X 2032 |
01-0084-02 | 01-0084-03 | 01-0086-01 | 01-0086-02 | 01-0084-02 |
旧三戸部家住宅は、明治初年に亘理伊達家の武士は全員北海道に渡り、未開地を開拓することになった。明治10年後半に、仙台地方の建築様式で建てられた。明治に入った開拓農家の住宅として最も古い。重要文化財に指定される。 | 長野県出身の多田光次郎氏が室蘭で明治40年に多田薬局を開業したのが始まりである。多田薬品本店の煉瓦倉庫は大正14年の建築。外壁はスクラッチタイル、窓枠にはスチールサッシが使われている。施工は伊藤組である。 | 北海道炭礦鉄道会社は明治42年に輪西製鐵場を建設し、自社の石炭を使い、日本最初の製鉄を開始した。輪西製鐵所、日本製鐵、富士製鐵と名称は変わった。昭和15年に社員クラブとして中島会館が設計を佐藤功一で建築された。 |
函館ドックの社長として渡道した川田龍吉男爵は男爵いもの生みの親である。退職後、渡島当別町に建設した川田農場の建物は1900年代アメリカ農場形式の西洋式木製のサイロや牛舎などがある。「男爵資料館」として開館した。 |
旧三戸部家住宅は、明治初年に亘理伊達家の武士は全員北海道に渡り、未開地を開拓することになった。明治10年後半に、仙台地方の建築様式で建てられた。明治に入った開拓農家の住宅として最も古い。重要文化財に指定される。 |