日本基督教会遠軽教会 | JR美瑛駅 | 斎藤牧場 | 伝成館 | 奥行臼駅逓 |
教会堂 | 駅舎 | 牧場事務所 | 旧県立根釧農業試験場 | 逓舎 |
紋別郡遠軽町大通南2 | 上川郡美瑛町本町1-1 | 十勝郡浦幌町字厚別 | 標津郡中標津町字中標津 | 野付郡別海町奥行15-13 |
1931(昭和6年) 撮影 99-09 | 1952(昭和27年) 撮影 99-09 | 1903(明治36年) 撮影 85-09 | 1927(昭和2年) 撮影 99-09 | 1910(明治43年) 撮影 99-09 |
★ | ★ | ★ | ★国登録文化財 | ★国指定史跡 |
size 2859 X 2078 | size 3183 X 1616 | size ・・9点 | size 3207 X 2072 | size 2044 X 3129 |
01-0108-01 | 01-0134-01 | 01-0190-01 | 01-0038-03 | 01-0038-04 |
遠軽町の開拓は、明治30年にキリスト教的移住団体「北海道同志教育会」の第一回移民団が入植した。宣教師ピアソンが指導し、教会などを建築。昭和6年に焼失。田上義也か設計した札幌北一条教会を参考に池畑敏行が設計した。 | 美瑛駅の明治32年の開業である。駅舎は昭和27年に建築の石造り駅舎で、石は地元で採掘されていた美瑛軟石を使っている。日本では、駅舎と言えば木造が主流の中で、石造りの駅舎は珍しい。駅舎自体が観光地となっている。 |
明治時代の牧場事務所として国内で2軒しか残っていな建物のひとつである。正面中央には吹抜のポーチとバルコニーを持ち、明治の洋風建築らしい姿である。内部は1階前面に事務所を設けている。他は座敷のある和洋折衷様式。 |
格的に根釧原野を開発するため設置された北海道立根釧農業試験場の庁舎は昭和2年に建築された。設計の福岡伍一は北海道庁の技師として、道内に鉄筋コンクリート造の建築を手がけた。伝成館として国登録文化財になった。 |
平成23年9月21日に国の史跡に指定された旧奥行臼駅逓所は、明治43年に地区の世話の山崎藤次郎氏を駅逓取扱人として開設さた。昭和5年まで宿泊、物資の逓送等、駅逓所として使われた。現存する駅舎も少なくなっている。 |
北海道行刑資料館 | 新十津川農業記念館 | 妹背牛郷土館園 | 北海道大学 | 北海道大学 |
旧樺戸集治監庁舎 | 旧新十津川村組合 | 旧妹背牛役場庁舎 | マンロー博士記念館 | マンロー博士記念館 |
樺戸郡月形町1219 | 樺戸郡新十津川町中央1-1 | 雨竜郡妹背牛町妹背 | 沙流郡平取町二風谷 | 沙流郡平取町二風谷 |
1886(明治19年) 撮影 92-08 | 1921(大正10年) 撮影 92-08 | 1931(昭和6年) 撮影 92-08 | 1931(昭和6年) 撮影 99-09 | 1931(昭和6年) 撮影 99-09 |
★町指定文化財 | ★ | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 |
size 2939 X 1678 | size 3285 X 2112 | size 4296 X 2428 | size 4282 X 2709 | size 2814 X 1968 |
01-0260-01 | 01-0264-01 | 01-0270-01 | 01-0280-01 | 01-0280-02 |
北海道最初の集治監(現在の刑務所)として明治14年に樺戸集治監が設置された。明治19年に一度焼失しましたが、すぐに再建された。大正8年に廃監されるまで事務所として使われた建物は昭和47年まで役場庁舎して使用された。 | 大正10年に新十津川信用購買組合の建物として建設された。正面玄関には車寄せがる。開拓記念館として使われていたがが新築開館したおりに現在地に曳家され、農業開拓の歴史を伝える記念館として再生して、復元改修された。 |
妹背牛(もせうし)町名の由来はアイヌ語の「モセウシ」で、(イラクサ・繁茂している・処)という。郷土館は、昭和6年に村役場として建築された。明治期のフランス風デザイン。新庁舎落成を機に建築当時の姿に復元した。 |
ゴードン・マンローは二風谷に住宅兼診療所をつくり、献身的な医療活動を行うと共に、アイヌの人類研究などを行なった。マンロー邸はマンローが亡くなった後、英国大使館の参事官らが私費で買い上げ、北海道大に寄贈された。 |
赤心社記念館 | 農水省新冠種畜牧場 | 農水省新冠種畜牧場 | 佐藤家 | 鰊御殿 |
主屋 | 客舎・龍雲閣 | 旧事務所 | 住宅 | 橋本家 |
浦河郡浦河町荻伏15 | 日高郡新ひだか町静内御園 | 日高郡新ひだか町静内御園 | 寿都郡寿都町歌棄163 | 寿都郡寿都町歌棄町有戸14 |
1888(明治21年) 撮影 99-06 | 1908(明治41年) 撮影 99-09 | 1920(大正9年) 撮影 99-09 | 1891(明治24年) 撮影 94-06 | 1879(明治12年) 撮影 94-06 |
★ | ★ | ★ | ★道指定文化財 | ★ |
size 3163 X 1924 | size 3082 X 1755 | size 3252 X 1860 | size ・・8点 | size ・・15点 |
01-0284-01 | 01-0288-01 | 01-0288-02 | 01-0300-01 | 01-0300-02 |
赤心社は、北海道開拓を目的に鈴木清によって組織されたクリスチャンによる開拓団。明治21年に旧赤心社荻伏出張所事務所として建築された。事務所は荻伏村に寄付され、公会堂として使われた後、荻伏村役場庁舎となっていた。 | 新冠牧場は北海道開拓使長官黒田清隆により、明治5年に創設された。開拓使雇エドウィン・ダンの設計に基づき、近代西洋式牧場として整備される。その後、新冠御料牧場になり、龍雲閣は明治42年に貴賓舎として建てられた。 |
明治22年に御料牧場となり、皇室や宮家の食材を飼育・栽培して供給する、宮内庁直轄の牧場であった。迎賓館として建てられた龍雲閣の近くには広大な牧場を管理するために建てられた、大正9年建設の洋風の旧事務所がある。 |
佐藤家は明治5年頃に歌棄に居住し、明治20年頃には道内有数の大きな漁業経営者となった。二代・栄右衛門の時代に和洋折衷の九間取の主屋と邸内社殿などの建造を行った。網元の住宅で、通常の鰊番屋の構成とは異なっている。 | 歌棄の鰊御殿-家は濃い樹々を背に海に対峙していた。歌棄(ウタスツ)とは珍しい地名だが、アイヌ語で「砂が集まる場所」の意という。橋本家は、元は福井県の海鮮問屋で、財を成してこの地で仕込屋を始めた商家である。 |
旧下ヨイチ運上家 | 旧福原漁場 | 旧福原漁場 | ニッカウィスキー | 旧岩内役場ポーチ |
主屋 | 主屋 | 米味噌倉 | 正門 | ポーチ |
余市郡余市町入舟町10 | 余市郡余市町浜中町150 | 余市郡余市町浜中町150 | 余市郡余市町黒川町7-6 | 岩内郡岩内町万代 |
1853(嘉永6年) 撮影 90-07 | 江戸末期 撮影 99-07 | 江戸末期 撮影 99-07 | 1934(昭和9年) 撮影 86-08 | 1903(明治36年) 撮影 94-06 |
★国指定重要文化財 | ★国指定史跡 | ★国指定史跡 | ★国登録文化財 | ★ |
size 3128 X 1664 | size 3313 X 1582 | size 3280 X 2251 | size ・・10点 | size 2727 X 2049 |
01-0312-01 | 01-0312-02 | 01-0312-03 | 01-0312-04 | 01-0318-01 |
市内の中通3丁目に建てられた上級武士の住宅。江戸時代、藩士の家は藩の所有物(官舎のようなもの)で藩士の身分や石高に応じて貸与されていた。黒澤家も5名の藩士が入れ替わって住んだ。全国的に見ても稀有な例である。 | 幕末から浜中町に定住してニシン漁をしていた福原家の敷地である。主屋である番屋は出稼ぎ漁夫の宿泊空間である。板の間の漁夫溜まりは一部が二階建て、ニシン漁の最盛期には土足ままで食事ができ、床板が外れる造りである。 |
福原家の敷地の中にある味噌倉は藁製品や食料を保管した米味噌倉で、外壁と内壁の間に石を詰めてネズミの侵入を防ぐ工夫がされている。和洋折衷の洋式で建てられている。広い敷地内に多くの建物が残されていて見学できる。 |
ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝は余市町に昭和9年工場建設を開始し、昭和15年、念願のウイスキー第1号を販売することが出来た。工場施設は、アーチ状の入口を通ると、手前からウイスキー製造の工程順に並べられている。 | 岩内町役場庁舎は明治36年、町民有志の寄贈により建築された。庁舎はアーチ窓を付けた洋風建築で、正面中央に円形ドームを載せたポーチがあり、昭和32年に新庁舎を新築するにあたり、記念に万代三角広場に移築保存された。 |
● 旧長万部劇場 | ● 千軒小学校 | 旧中村家 | 横山家 | 江差町郷土資料室 |
映画館 | 校舎 | 住宅 | 住宅 | 旧檜山爾志郡役所庁舎 |
山越郡長万部町 | 松前郡福島町 | 檜山郡江差町中歌町22 | 檜山郡江差町姥神町45 | 檜山郡江差町中歌町112 |
明治末期 撮影 92-07 | 昭和初期 撮影 99-07 | 1887(明治20年) 撮影 99-07 | 江戸末期 撮影 99-07 | 1887(明治20年) 撮影 99-07 |
★ 取毀 | ★ 取毀 | ★国指定重要文化財 | ★道指定文化財 | ★道指定文化財 |
size 3333 X 2094 | size 3231 X 1877 | size 3352 X 2048 | size 3256 X 2188 | size 4073 X 2430 |
01-0338-01 | 01-0342-01 | 01-0352-01 | 01-0352-02 | 01-0352-03 |
旧中村家住宅は海産物の仲買商を営んでいた近江商人・大橋宇兵衛が建てた商家である。入口側が帳場で、帳場があると部分が2階建てになっている。2階贅を尽くした書院造で、江差を代表する大店の北前船での繁栄ぶりが判る。 |
横山家は初代・横山宗右エ門が加賀の国(現在の石川県)から江差に渡り、鰊漁と鰊の加工で創業した。住宅は江戸時代末期頃の北前船が盛んな頃に建てられたもので、奥にある蔵は200年以上は経過していると考えられている。 | 江差警察署として明治18年に設計着工したが、途中で制度の改革により、明治20年に檜山爾志郡役所と警察署の合同庁舎として落成した。江差警察署や江差町役場分庁舎などに使われ続けられた。北海道内に唯一残る郡役所建築。 |