近代建築図鑑

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さっぽろテレビ塔 札幌市資料館 札幌市資料館 北海道立文書館 北菓楼
  旧札幌控訴院 全景 旧札幌控訴院 部分 旧道庁本館 旧 北海道庁立図書館
札幌市中央区大通西1丁目 札幌市中央区大通西13-4 札幌市中央区大通西13-4 札幌市中央区北3条5 札幌市中央区北1条西5
1957(昭和32年) 撮影 99-06 1926(大正15年) 撮影 99-06 1926(大正15年) 撮影 99-06 1888(明治21年) 撮影 91-04 1926(大正15年) 撮影 91-04
★国重要文化財 ★国重要文化財 ★国重要文化財
size 2075x2780 size 2645x1333 size 3162x2073 size 3172x2014 size 4128x2651
01-0010-01 01-0010-02 01-0010-03 01-0010-04 01-0010-05
さっぽろテレビ塔は札幌市中央区大通西1丁目の大通公園内にある。 札幌市の中央にあり、電波塔として昭和32年に完成した。 高さ147.2メートル。 設計は内藤多仲。「耐震構造の父」と評される。名古屋テレビ塔や東京タワーなど鉄塔の設計を多く手がけた。 旧札幌控訴院庁舎は,現在は札幌市資料館として公開されている。司法省の省内技師の盛期の設計を伝える。
 大正15年の建設で,札幌の近代を代表する建材である札幌軟石の建物として現存最大級で,多彩な石加工技術を見ることができる。



北海道庁の本庁舎として建築された煉瓦造りの西洋館である。館内は北海道開拓関係資料などを展示する北海道立文書館として公開されている。設計は文部省の第1回留学生としてアメリカで西洋建築を学び、函館の手宮機関庫などを手がけた平井 晴二郎。
北海道庁立図書館は1924年、摂政の宮(昭和天皇)が北海道に来られる時に行啓記念事業として建設が決まり、1926(大正15年)に完成した。設計者は後に北大理学部本館などを設敬した萩原惇正を中心とする道庁建築課の技師達による。現在は菓子店。

 

北海道知事公館 北海道知事公館 ● 東辰病院 ● 札幌中央警察署 ● NTT北海道支社
旧三井クラブ 旧三井クラブ 旧 木根病院 札幌警察署旧庁舎 札幌逓信局
札幌市中央区北1条西16 札幌市中央区北1条西16 札幌市中央区大通東7丁目 札幌市中央区北1条西5丁目 札幌市中央区北1条西6丁目
1936(昭和11年) 撮影 91-04 1936(昭和11年) 撮影 91-04 1911-25大正期 撮影 91-04 1934(昭和9年) 撮影 91-04 1939(昭和14年) 撮影 91-04
★国登録文化財 ★国登録文化財 ★ 取毀 ★ 取毀  ★ 取毀
size 2720x1814 size 4321x2673 size 1770x3076 size 3049x2037 size 3183x2114
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この一帯は国有地であったが三井に払い下げられ、1936(昭和11年)に三井家札幌別邸新館と建てられた。戦後にアメリカ軍に接収されたが、1953(昭和28年)から知事公館として使われている。設計は萩原惇正。


旧札幌中央警察署庁舎は昭和モダニズムの息吹を見せる建築であった。「さっぽろ・文化百選』にも選ばれ、市民にも親しまれていたが平成8年に取り壊された。設計は田子秀次郎(道庁技師)。同じデザインで復元された。 設計をした片山隆三は逓信省技師として入省した。昭和9年、東京大学建築学科を卒業して間もない建築家であった。先輩の吉田鉄郎が設計した東京中央郵便局などを参考に札幌逓信局を完成させた。卒業後4年目である。

 

日本基督教団札幌教会 日本基督教団札幌教会 札幌カソリック聖堂 札幌カソリック司教館 北海道大学植物園
旧札幌美似教会 旧札幌美似教会 司教座教会聖堂 旧司教館 他に写真・・8点
札幌市中央区北1条東1 札幌市中央区北1条東1 札幌市中央区北1条東6 札幌市中央区北1条東6 札幌市中央区北2条西8丁目
1904(明治37年) 撮影 91-04 1904(明治37年) 撮影 91-04 1916(大正5年) 撮影 91-04 1898(明治31年) 撮影 91-04 1882(明治15年) 撮影 91-04
★国登録文化財 ★国登録文化財 ★札幌景観資産  ★ 取毀 ★国重要文化財 
size 2595x2070 size 2592x4206 size 1845x2908 size 3146x1996 size 1843x2560
01-0010-11 01-0010-12 01-0010-13 01-0010-14 01-0010-15
設計は当時北海道庁土木課技師で札幌教会員の間山千代勝。木造の教会堂が焼失したため、明治後期に石造りで建てられた.札幌軟石の外壁に尖塔アーチ窓が並び、全体的にはほぼロマネスク様式で、バラ窓などはゴシック風。

札幌においてカトリックの布教は、明治初期)、植物採集家としても知られるフォリー神父によって始められ、この聖堂は、その後ラフォン神父によって建設されたと伝えられている。ロマネスク風の中央の塔がある。
設計は吉井繁太郎とあるが詳細は不明である。元は酒造販売業を営んでいた大島信の邸宅として建てられ、1950(昭和25年)より教会の司教館として使用されていた。さっぽろ・ふるさと文化百選に選ばれていた。 明治15年築という古い建物。もともと開拓使の牧羊場だった植物園の一角に開拓使の札幌博物場として建てられた。現役ではわが国最古の博物館である。設計原案はC.J. ベートマン、実施設計は開拓使工業局営繕課。

 

サッポロビールファクトリー サッポロビールファクトリー サッポロビールファクトリー 旧永山武四郎邸 福山石油ビル
第一工場製造所 第一工場製造所 第一工場製造所 旧三菱鉱業札幌寮 福山商店
札幌市中央区北2条東4-1 札幌市中央区北2条東4-1 札幌市中央区北2条東4-1 札幌市中央区北2条東6 札幌市中央区北3条東3丁目
1892(明治25年) 撮影 94-06 1892(明治25年) 撮影 94-06 1989(平成元年)撮影 94-06 1877(明治10年) 撮影 91-04 1904(明治37年) 撮影 99-06
★北海道指定文化財
size 3328x2087 size 2976x1880 size 2108x3156 size 2963x1760 size 3243x2046
01-0010-23 01-0010-24 01-0010-25 01-0010-26 01-0010-27
北海道開拓事業として日本初の本格的ビール工場「開拓使麦酒醸造所」が建設された。サッポロビール札幌工場第一製造所の前身であり、サッポロビールの発祥地。明治25年に札幌麥酒会社が開拓使麦酒醸造所跡地に近代工場として建築。日本最大と云われた。   開拓使麦酒醸造所跡地にあったサッポロビール札幌工場第一製造所の敷地に出来た大型複合商業施設。工場時代のレンガ建築や巨大アトリウムなどの中にショップやレストランなどがある。アトリウムは、サッポロファクトリーのシンボル的存在になっている。
北海道の開拓に尽力した軍人・華族の、永山武四郎が住む邸宅として建てられた。連結されている緑色の屋根が特徴的な木造建築は昭和12年ころ三菱鉱業クラブとして増築された。札幌市が再開発事業において、開拓時代の邸宅と環境を残すものとして保存。
福山商店は、1891(明治24年)に味噌・醤油醸造業として創業した企業である。現在は福山倉庫として営業を続けている。福山商店の建物は、1907年(明治40年)に建築された煉瓦造2階建てで角地の入口と窓がアーチが特徴。設計施工は、新開新太郎。

 

● JR苗穂駅 秋野総本店薬局 ● 太秦邸 北星学園百年記念館 ● 喫茶あさの
旧駅舎 店舗 住宅 他に写真・・13点 旧浅野次郎右衛門邸 
札幌市中央区北3条東12丁目 札幌市中央区南1条西1-12 札幌市中央区南1条西21丁目 札幌市中央区南4条西17丁目 札幌市中央区南5条東8丁目
1935(昭和10年) 撮影 99-06 1901(明治34年) 撮影 99-06 1930(昭和5年) 撮影 91-04 1926(大正15年) 撮影 94-06 1913(大正2年) 撮影 99-06
★ 取毀 ★ 取毀 ★国登録文化財 ★ 取毀
size 2815x1546 size 3023x2112 size 2590x1662 size size 3026x2019
01-0010-28 01-0010-29 01-0010-30 01-0010-90 01-0010-31
明治43年に函館本線の駅として開業した。札幌市内に残っていた数少ない戦前駅舎のひとつ。札幌市による「苗穂駅周辺地区まちづくり事業」によって駅を札幌駅方面に約300 m移転新築し、自由通路を整備した橋上駅となった。 明治政府が北海道開拓に着手した頃の明治5年に創業といわれる老舗の薬局。左側の蔵は2階建で石造りに下部はなまこ壁、右は木造2階建の店舗。さっぽろ・ふるさと文化百選に指定されている。

旧太秦邸を設計した田上義也(たのうえ よしや)は大正から昭和にかけて、北海道を拠点に活躍した建築家。フランク・ロイド・ライトの影響を受け、北海道の気候風土に根ざした、洋風建築を数多く残している。
スイス人建築家マックス・ヒンデルの設計による。米国ミッションから派遣された女性宣教師の住居として建てられた。 北星学園の創立百周年記念事業として修復工事が行われ、 百周年記念館として保存されている。
この建物はさっぽろ文化百選にも選ばれていた。その時の立て札によると正式には「浅野次郎右衛門邸」である。明治17年富山県から札幌に来て浅野組を興した。


 

旧豊水小学校大典記念文庫 ● 札幌冬のスポーツ博物館 ● アカシヤホテル こぐま座 中島公園 こぐま座 中島公園
主屋 旧道立地下資源研究所庁舎  主屋 人形劇専門劇場 人形劇専門劇場
札幌市中央区南8条西2丁目 札幌市中央区南11東4中島公園 札幌市中央区南12条西1丁目 札幌市中央区中島公園1-1 札幌市中央区中島公園1-1
1916(大正5年) 撮影 99-06 1930(昭和5年) 撮影 99-06 1968(昭和43年) 撮影 91-04 1972(昭和47年) 撮影 91-04 1972(昭和47年) 撮影 91-04
★ 取毀 ★ 取毀
size 2972x2394 size 2999x1760 size 2068x2924 size 3087x2094 size 3023x2011
01-0010-32 01-0010-33 01-0010-34 01-0010-35 01-0010-36
小学校の統合により廃校になった旧豊水小学校の記念文庫は大正5年に造られた。[大典記念文庫]と呼ばれ、レンガ造り2階建ての6坪の小さな建物で、当時図書館を持つ小学校も少なかった時代では学校図書館の先駆けであった。 中島公園にあった旧道立地下資源研究所庁舎(1928年竣工、鉄筋コンクリート2階建て一部3階建て)がNHK札幌放送局の初代局舎になり、1980年に「札幌市冬のスポーツ博物館」として開館した。2000年に移転した。 ホテルアカシアは教職員組合のための宿泊施設として、設計者が田上義也、施工は竹中工務店で昭和43年にした。アイヌ文様を利用したデザインである。エントランスホールに大きなアイヌ彫りのレリーフがあった。
中島公園内にある札幌市こども人形劇場こぐま座は、日本初の公立人形劇専門劇場として、1976年に開館した。入口の横にあるユーモラスな顔が壁にある外観の建物は、北海道を代表する建築家の田上義也による設計である。


 

城下医院 めばえ幼稚園 日本福音ルーテル教会 旧小熊邸 豊平館
写真・・6点 園舎 教会堂 住宅 写真・・8点
札幌市中央区南7条西21丁目2-16 札幌市中央区南12条西12丁目 札幌市中央区南12西2丁目 札幌市中央区伏見5丁目3-1 札幌市中央区南11条西4中島公園
1930(昭和5年) 撮影 99-06 1937(昭和12年) 撮影 99-06 1934(昭和9年) 撮影 99-07 1927(昭和2年) 撮影 91-04 1880(明治13年) 撮影 99-06
★札幌景観資産 ★札幌景観重要建造物 ★札幌景観重要建造物 ★国登録文化財  ★国重要文化財
size size 2927x2028 size 2713x2056 size 3178x2135 size
01-0010-91 01-0010-37 01-0010-38 01-0010-39 01-0010-92
南面の半円筒形部分がお洒落な印象で、医院らしい採光を配慮したデザインである。円筒形部分の1階部分が診療室と使用された。当初は応接間兼書斎で、2階がサンルームだったという。今は住宅として使われている。 日本福音ルーテル札幌教会堂の裏に隣接する北欧風デザインの幼稚園。フィンランドの幼児教育の理念を基に建設された。教会と調和させた下見板の外壁と、赤い鉄板葺きの三角屋根。設計は三浦建築工務所である。
正面入口は札幌軟石を使用した石造風仕上げの古典的なデザイン。側面は木造下見板張りに赤い三角屋根。隣に併設の幼稚園と外観デザインの調和をさせている。設計は内田平次郎、札幌市景観重要建造物に指定される。
北海道大学の小熊捍教授の自邸として建てられた。田上義也の代表作。平成初期に解体による消失を危惧する市民活動により、存続・復元されることになった。平成10年藻岩山ロープウェイの近くに復元移築された。 明治政府は、明治2年に開拓使を設け、北海道の開拓を本格的に開始した。新たな宿泊施設の必要性が高まり、豊平館が建築された。その後、豊平館は中島公園に昭和33年に移築保存された。39年に国重要文化財に指定される。

 

 
札幌市水道記念館 札幌市彫刻美術館 札幌市彫刻美術館 札幌市彫刻美術館  
 藻岩浄水場 外観 内部 内部  
札幌市中央区伏見4丁目 札幌市中央区宮の森4条12-2 札幌市中央区宮の森4条12-2 札幌市中央区宮の森4条12-2  
1937(昭和12年) 撮影 91-04 1981(昭和56年) 撮影 91-04 1981(昭和56年) 撮影 91-04 1981(昭和56年) 撮影 91-04  
★   
size 3063x2030 size 3840x2612 size 2657x3811 size 3736x2664  
01-0010-41 01-0010-42 01-0010-43-2 01-0010-43-3  
札幌市水道記念館の建物は藻岩浄水場の施設として、北海道大学教授倉塚良夫の設計で昭和12年に建てられ、昭和12年から昭和46年まで藻岩浄水場の施設として使われた。昭和52年に札幌市水道記念館として開館。 札幌市出身の彫刻家である本郷新の作品を主に収蔵・展示しており、前庭は彫刻庭園となっている。田上義也は彫刻家 本郷新とも親交が深く、美術館本館の設計を手がけた。昭和56年、札幌市の助成を受け開館した。
本館と隣接する記念館は、かつて本郷新がアトリエ・ギャラリーとして昭和52年に建てた邸宅で、本郷新の彫刻・絵画作品のほか、野外彫刻の石膏原型、制作道具や家具類を常設展示している。設計は上遠野徹である。
   

 

 
●旧北海道拓殖銀行 ●宮ケ丘ユースホステル ●宮ケ丘ユースホステル ●宮ケ丘ユースホステル  
 本店階段室 外観  外観  室内  
札幌市中央区伏見4丁目 札幌市中央区宮の森4条12-2 札幌市中央区宮の森4条12-2 札幌市中央区宮の森4条12-2  
1909(明治42年) 撮影 92-08 1960(昭和35年) 撮影 91-04 1960(昭和35年) 撮影 91-04 1960(昭和35年) 撮影 91-04  
★ 取毀 ★ 取毀 ★ 取毀 ★ 取毀   
size 2080x3327 size 3027x1941 size 3065x2072 size 3123x2049  
01-0010-44 01-0010-45-1 01-0010-45-2 01-0010-45-3  
大通西3丁目に本店は設計を大蔵省技師矢橋賢吉により、明治42年に木骨石造2階建て新築された。昭和34年に本店新築のため解体され、本店階段室の部分は移築、記念館として保存されたが平成14年に解体された。 宮ヶ丘ユースホステルは円山公園の中にあり、市街地に近く利便性が良く、山に登れば、空気が澄んでいる時には石狩平野、石狩湾そして暑寒別の山々まで見える所にあった。中央にサイロを模した展望台があった。
設計は田上義也で、他に支笏湖YH、宮ヶ丘YH、北湯沢YH、富良野YH、美幌YH、北の峯YH、ニセコローヤルロッジ、定山渓YH、標津YH、室蘭YH、イクサンダー大沼YH、摩周湖YH、新・ルベシベYH、サロマ湖畔YHも設計。
   

 

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 修正 2022.02.26