カリフォルニアベイビー | カリフォルニアベイビー | ホテルHakoBA函館 | オベルジュ古稀庵 | ● 旧森屋百貨店 |
旧特定郵便局 | 旧特定郵便局 夕景 | 旧安田銀行函館支店 | 住宅 | 現在は北島三郎記念館 |
函館市末広町23-15 | 函館市末広町23-15 | 函館市末広町23-9 | 函館市末広町13-2 | 函館市末広町 |
1917(大正6年) 撮影 92-08 | 1917(大正6年) 撮影 92-08 | 1932(昭和7年) 撮影 90-06 | 1909(明治42年) 撮影 92-08 | 1930(昭和5年) 撮影 99-07 |
★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★ 取毀 |
size 3408 X2699 | size 3006 X2321 | size 3038 X2356 | size 4383 X2691 | size 2013 X2911 |
01-0022-31 | 01-0022-32 | 01-0022-33 | 01-0022-34 | 01-0022-35 |
流線形の曲線を形作る白いファサードの妻壁が面白い。カリフォルニアベイビーは元は旧特定郵便局だったという。大正時代に日本で流行していたモダンデザインで彩られている。木造モルタル塗りの平屋建て大正6年の建築。 | 当時の安田銀行が設計は安田銀行営繕課で大林組に建築させた、函館の近代建物としては比較的新しい。安田銀行の建物は、柱や窓の造りなど、似たような外観を有したものが多い。全国各地の店舗をほぼ同じ形式で建設した。 |
時計卸商、初代岩永新太郎の店舗として建てられ、ハイカラな商店でした。平成3年の改修により正面2階のバルコニー、半円アーチ扉、手摺などが修理され、ほぼ創建時の姿になった。瓦葺き屋根を飾る一対の鯱は商店では珍しい。 |
渡辺熊四郎はデパート経営に進出、大正十年に電車通りの角地に時計塔を設けた三階建ての百貨店を建て、昭和五年に隣接して七階建ての店舗が増築された。取り壊されたが外観を似せて北島三郎記念館として復元改修されている。 |
遺愛女子高等学校 | 遺愛女子高等学校 | 遺愛女子高等学校 | 旧ホテル中央荘 | 花かるた |
旧宣教師館 | 本館 | 講堂 | 旧小野商店 | 児玉商店(花札販売店) |
函館市杉並町23-11 | 函館市杉並町23-11 | 函館市杉並町23-11 | 函館市豊川町2-3 | 函館市豊川町2-12 |
1908(明治41年) 撮影 92-07 | 1908(明治41年) 撮影 92-07 | 1935(昭和10年) 撮影 92-07 | 1921(大正10年) 撮影 99-07 | 1934(昭和9年) 撮影 99-07 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国登録文化財 | ★ 取毀 | ★ |
size 3998 X2603 | size 4304 X2819 | size 3709 X2597 | size 2738 X3999 | size 3664 X2747 |
01-0022-36 | 01-0022-37 | 01-0022-38 | 01-0022-39 | 01-0022-40 |
旧宣教師館は和館と洋館を併せ持つ独特の建築様式で、内部は宣教師の住んでいた当時のままに保存され、家具、調度品、備品なども当時のもの。設計はアメリカ人建築家であるジェームズ・マクドナルド・ガーディナー。 | 遺愛学院は東京以北初の女学校として明治15年設立された。本館は、1階玄関ポーチにトスカナ式オーダーの円柱を設けてある。左右対称の建物で、翼部は欄間付の上げ下げ窓と下見板。設計はアメリカ人建築家ガーディナー。 | 講堂は本館と同じ下見板外壁に縦長アーチ窓が整然と並んでいる。切妻造りの装飾のないシンプルな外観。設計はヴォーリズ建築事務所で既存の建物の持つ雰囲気を大切にしたヴォーリズらしい。登録有形文化財の木造平屋建て。 |
末広町から豊川町・宝来町にを通る函館銀座通りは華やかだった往時はモダンなカフェや商店などで賑わった繁華街であった。旧ホテル中央荘はかっては小野商店という呉服問屋と草刈薬局の店舗で、鉄筋コンクリート造り3階建。 |
入口上部にある天狗の顔が描かれた看板が目を引く純和風の建築。児玉商店という北海道における花札の総代理店だった。児玉商店は幕末から花札販売を始め、戦後は花札やトランプの販売をおこなっていた。現在は居酒屋。 |
はこだて明治館 | ● 旧函館信用金庫本店 | 北方教育資料室 | 函館市立道南青年の家 | 太刀川家 |
旧函館郵便局 | 旧十二銀行函館支店 | 旧函館師範学校 | 旧ロシア領事館 | 住宅店舗・洋館 |
函館市豊川町12-2 | 函館市豊川町15-20 | 函館市八幡町1-2 | 函館市船見町17-3 | 函館市弁天町15-15 |
1911(明治44年) 撮影 95-08 | 1926(大正15年) 撮影 92-07 | 1914(大正3年) 撮影 92-07 | 1908(明治41年) 撮影 99-07 | 1901(明治34年) 撮影 92-08 |
★ | ★ 取毀 | ★国登録文化財 | ★市景観形成指定建築 | ★国指定重要文化財 |
size ・・5点 | size 2864 x 2493 | size 3436 x 2632 | size 3816 x 2464 | size 4284 x 2679 |
01-0022-41 | 01-0022-42 | 01-0022-43 | 01-0022-44 | 01-0022-45 |
旧函館郵便局の最大の見所は建物の中央に広い吹き抜けを持つ。その空間は竣工当時、荷捌き場に柱を持たない開放的なスペースとして作られた。設計は逓信省の営繕課によってなされ、建築用のレンガも関東から取り寄せた。 | 旧十二銀行函館支店として建てられた。茶褐色のタイルと、直線を強調した大正モダンのデザインが美しい。赤坂離宮(迎賓館)にも携わった木子幸三郎の設計により大正15年に建築された。ホテル建設のためと取り壊された。 |
この建物は旧函館師範学校本館の中央玄関部分だけを保存したもので木造,2階建,下見板張で,正面中央に3階建のランタン付塔屋がある。前面に切妻造の車寄が付いている。現在は北海道教育大学函館校北方教育資料室である。 |
建物の外壁は赤煉瓦に,2階部分では縦横の白い太い縁取り白漆喰が施され,赤と白のコントラストが印象的な建物である。玄関には,唐破風や組物風の柱頭など和風意匠も見られる。現在は道南青年の家として使われている。 | 海岸通の繁栄を伝える商家である。左右両側に袖壁を備えた店舗は,防火造り商店の代表となっている。屋根は,寄せ棟の瓦葺で,煉瓦の壁を漆喰で仕上げる。入口庇上の3連アーチを鉄柱で支える意匠は,金森洋物店も見られる。 |
ミートハウス別館 | 小森商店 | 茶房ひし伊 | 美容室あみん | 函館市水道局 |
旧西浜旅館 | 旧田中仙太郎商店 | 旧入村質店石蔵 | 旧衛生湯 | 元町配水場管理事務所 |
函館市弁天町 | 函館市弁天町23-14 | 函館市宝来町9-4 | 函館市宝来町3-24 | 函館市元町1-4 |
1907(明治40年) 撮影 99-06 | 1901(明治34年) 撮影 91-04 | 1921(大正10年) 撮影 91-04 | 1921(大正10年) 撮影 99-07 | 1889(明治22年) 撮影 91-04 |
★ | ★市景観形成指定建築 | ★ | ★ | ★市景観形成指定建築 |
size 4324 x 2805 | size 3732 x 2612 | size 3246 x 2135 | size 2344 x 1824 | size 4280 x 2731 |
01-0022-46 | 01-0022-47 | 01-0022-48 | 01-0022-49 | 01-0022-50 |
弁天町は函館西部地区の北側にあたる場所で、西埠頭が近くにある。ミートハウス別館は角地に建つ典型的な上洋風、下和風の折衷様式の建物。最大の特徴は、北側のレンガ造りの防火壁(卯建・うだつ)があるのが珍しい。 | 小森商店も函館に多い上洋風、下和風の折衷様式である。建立年代も民家では珍しい棟札があり、工匠も年代も判明している。建主は兵庫県出身の海産物仲買商・田中仙太郎が明治34年に工匠は櫻井喜三郎によって建てられた。 |
茶房ひし伊の建物は、旧入村質店として建てられた。土蔵、石蔵、塗籠店舗として大正10年に建てられた。向かって右側にある母屋の左側に袖蔵が付き、その脇に大きな蔵が付くという形である。昭和9年の大火をくぐり抜けた。 |
美容室・あみんの建物は「衛星湯」という銭湯として使われてきた。大正10年の函館大火後に多くの建物が防火煉瓦造りで建てられたが、ほとんどが内部が焼失し解体された。その中で焼け残った煉瓦造り2階建ての建物である。 | 函館の上水道は横浜に次いで全国2番目に出来たという。元町配水場は亀田川で取水した水を当時の市街地であった西部地区に安定的供給するために造られた。煉瓦造の建物もこのときに建てられた。窓上部のアーチがアクセント。 |
函館ハリストス教会 | 遺愛幼稚園 | 旧函館区公会堂 | 元町公園・北海道庁 | 元町公園・旧開拓使 |
復活聖堂 | 園舎 | 公会堂 | 旧函館支庁舎 | 旧函館支庁倉庫 |
函館市元町3-13 | 函館市元町4-1 | 函館市元町11-13 | 函館市元町12-18 | 函館市元町12-18 |
1916(大正5年) 撮影 90-06 | 1913(大正2年) 撮影 92-07 | 1910(明治43年) 撮影 99-07 | 1909(明治42年) 撮影 92-08 | 1880(明治13年) 撮影 92-08 |
★国指定重要文化財 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★国指定重要文化財 | ★道指定文化財 | ★道指定文化財 |
size 3008 x 2564 | size 3149 x 2074 | size 4312 x 2773 | size 3146 x 2070 | size 2864 x 2017 |
01-0022-51 | 01-0022-52 | 01-0022-53 | 01-0022-54 | 01-0022-55 |
日本ハリストス正教会発祥の地にある。正教会聖堂の標準的な構成になる数少ない煉瓦造の本格建築であり、ロシア、ビザンチン様式を基本とした変化に富む外観は意匠的にも優れている。各地の教会堂を手がけた河村伊蔵の設計。 | 明治28年に、遺愛女学校併置の幼稚園として創立された。明治40年の大火で遺愛女学校ともに類焼。現幼稚園園舎は、大正2年に再建されたもので、アメリカンコロニアル風で下見板張りの外壁、隅柱、開口部などを白色の建物。 |
明治40年の大火による焼失後、住民有志による公会堂建設協議会が発足。豪商「相馬哲平」氏から5万円の寄付があり、建築することができた。設計は函館区技手小西朝次郎、監督は函館区技手渋谷源吉、請負は函館の村木甚三郎。 |
基坂の上にある元町公園は、江戸末期には幕府の箱館奉行所、明治には開拓使函館支庁、北海道庁函館支庁が置かれた政治の中心地であった。明治42年築の洋風木造2階建て、設計は北海道庁の家田於菟之助、施工は鈴木仙蔵。 | 赤レンガの外壁は、フランス積み煉瓦壁で、外部の四隅には、隅石が組まれ、屋根は桟瓦葺で、小屋組は和様の杵束式木造トラスである。開拓使直営の茂辺地煉瓦石製造所の生産の煉瓦が使用されている貴重な明治期の遺構である。 |
カソリック元町教会 | 函館元町港が丘教会 | 日本基督教団 | 日本基督教団 | 旧佐田作郎邸 |
聖堂 | 旧函館相生教会 | 函館教会 | 函館教会 | 旧小熊家住宅 |
函館市元町15-30 | 函館市元町29-15 | 函館市元町31-19 | 函館市元町31-19 | 函館市元町32-10 |
1924(大正13年) 撮影 90-06 | 1934(昭和9年) 撮影 92-07 | 1931(昭和6年) 撮影 99-07 | 1931(昭和6年) 撮影 92-08 | 1928(昭和3年) 撮影 92-08 |
★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★国登録文化財 |
size 3524 x 2844 | size 2045 x 2676 | size 2013 x 2905 | size 4167 x 2803 | size ・・9点 |
01-0022-56 | 01-0022-57 | 01-0022-58 | 01-0022-59 | 01-0022-60 |
明治43年に完成した前身の聖堂は大正10年の大火で外壁をのぞいて焼失、土木請負師・木田保造〔木田組〕によって聖堂の再建工事を着手。この時に鉄筋コンクリート造の鐘楼が付けられた。ローマ法王から贈られた祭壇がある。 | 五島軒本店の向い側にある港ヶ丘教会の歴史は古く、明治16年に日本基督協会函館相生教会として現在地に開設された。1階部分は,下見板張り,2階はモルタル吹きつけ仕上げの簡素な建物。ウエディングチャペルになっている。 |
アメリカプロテスタントの流れを汲んだ、日本基督教団函館教会は大正10年の大火で焼失後、耐火構造を意図したコンクリート造りで再建された。非対称のファサードで白い外壁に濃い青色の尖塔屋根のあるゴシック風建築である。 |
設計をした旧北海道帝国大学の萩原惇正は中世のゴシック様式を意識したデザインを得意とした。道内に作品は旧北海道帝国大学農学部本館、北海道知事公館(旧三井クラブ)、サッポロビール開拓使麦酒記念館など札幌に多い。 | 世界的な建築家F.L.ライトの弟子で、北海道を拠点に活躍した田上義也の設計。海産商であった佐田氏が建築主であったが、日魯漁業の実質的創始者である小熊氏の住宅になった。ライト風の水平と垂直線を強調した外観。 |
高橋病院 | 開港記念館 | 大正湯 | 弥生小学校 | ● JR函館駅 |
天使寮 | 旧イギリス領事館 | 銭湯 | 旧校舎 | 旧駅舎 |
函館市元町32-10 | 函館市元町33-11 | 函館市弥生町14-9 | 函館市弥生町 | 函館市若松町 |
1928(昭和3年) 撮影 99-07 | 1913(大正2年) 撮影 99-07 | 1927(昭和2年) 撮影 99-07 | 1938(昭和13年) 撮影 91-08 | 1943(昭和18年) 撮影 92-08 |
★道指定文化財 | ★市指定文化財 | ★市景観形成指定建築 | ★市景観形成指定建築 | ★ 取毀 |
size 4088 x 2664 | size 4300 x 2612 | size 4376 x 2640 | size 4035 x 2826 | size 3431 x 1953 |
01-0022-61 | 01-0022-62 | 01-0022-63 | 01-0022-64 | 01-0022-60 |
「関根要太郎研究室@はこだて」によると古絵葉書の中に日本海員掖済会の函館宿泊所として文字入り写真があった。海員ホームとして建てられ、海員の福祉施設であった。現在はこの建物の傍にある高橋病院の施設になっている。 | 旧イギリス領事館をリニュアルして開港記念館としいて開館した。明治40年大火後に再建され、1913年から1934年に閉鎖されるまで領事館として使用されていた。海側の半円5連アーチのベランダ、玄関庇の持送り、モダンな建築。 |
住宅街にある銭湯で、大正3年創業で、現在の建物は昭和3年建築。ピンク色が印象的な洋風の下見板張りで、1階入口の大きく開く引き戸、2階の縦長窓、三角形の切妻破風を持った屋根など、函館特有のレトロな和洋折衷建物。 |
校舎の老朽化のため、平成22年に一部を除いて解体され、平成24年に新校舎を建造。旧校舎の北東角、特徴的な曲面仕上げの正面入口の外壁を保存して、道路に面した外観デザインを継承。元の建物の設計は建築家・小南武一。 | 4代目の函館駅舎として昭和17年に建築された。三角屋根の旅情あふれる駅舎が特徴であった。背後に港を控え、連絡船があった。2003年に解体された。様々な映画やドラマなどで映しだされる機会が最も多かった駅舎である。 |