山口市内中心部 1
山口市の主要部は大殿地区、大内氏の館跡を中心としてある。大内氏が京都をまねて街造りをしたといわれている。大館跡には現在龍福寺があり、北側にあった大内氏の別邸・築山殿の跡に八坂神社がある。山口の大殿地区には通りの名前に大路・小路とつく道が、今小路、徳大寺小路、久保小路、北野小路、石原小路、請願小路、相物小路、米殿小路、相良小路、馬場殿小路、片岡小路、銭湯小路、鞍馬小路、栗本小路、錦小路、大殿大路、竪小路、片岡小路、伊勢大路ほか多々ある。
龍福寺
龍福寺は、建永元年(1206)大内満盛が臨済宗の寺として創建し、宝珠山瑞雲寺と称した。延元元年(1336)に大内弘直が再建して、弘直の菩提寺とした。享徳3年(1454)大内教弘が雪心和尚を迎え中興開山として曹洞宗に改め、寺号も瑞雲山龍福寺と替えた。寺地は現在地より西の白石にあって、毛利隆元が弘治3年(1557)に義隆の七回忌に際し、焼失した大内氏代々の居館大殿屋形跡に移し堂宇を建立し、義隆の菩提寺とした。
龍福寺山門 龍福寺本堂(国指定重要文化財)
龍福寺は明治14年、禅堂と山門を残して全焼したことから、明治16年に大内氏の氏寺である吉敷郡大内村の天台宗氷上山興隆寺にあった釈迦堂を移築したのが現在の本堂である。文明11年(1479)に建立されたものと思われる。和様を基調とした太い円柱、出組組物と二軒繁垂木よる深い軒の出等は、往時の姿を彷彿とさせ、内部のより太い円柱や大虹梁・板返蟇股さらに拳鼻等の構造手法や意匠において古い技法が残されている。桟瓦葺であったが記録により元の桧皮葺に変更された。
旧野村家住宅・山口ふるさと伝承総合センター まなび館
ふるさと伝承センターは明治時代に建築された古い造り酒屋・野村家住宅を保存整備した「まなび館」と、新しい「たくみ館」、そして明治時代の大架構の民家を再現した「みやび館」からなっている。
旧野村家主屋(国登録文化財) ふるさと伝承センター・旧野村家住宅
造り酒屋の店舗兼住宅として造られた平入,土蔵造,2階建の間口の比較的に広い町家。屋根の低い部分が通り土間になっていて、土間に沿って2列3室計6室の部屋がある。梁や差鴨居に太い松材を用いた重厚な意匠を持つ。土蔵は屋敷地のほぼ中央に建つ。桁行3間,梁間2間の置屋根形式の蔵で,家財道具を納めるなど内向き用に使われていた。住宅は展示及び貸室として利用され市民に広く親しまれている。