古建築研究会掲示板・・・古建築をおもしろく 

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300ーーありがとうございます  投稿者: 沼澤  投稿日: 3月25日(金)20時12分58秒
杉の子様、大森様、管理人様
ていねいな御教唆をいただき、ありがとうございます。
古代から中世にかけて、先進国の建築技術や文化を命がけで伝えた、使命感に燃えた先人たちがいたからこそ現代の技術や文化レベルがあることが理解できました。
重源のことは初めて知りましたが、僧職の枠を超えて、多才の人だったのですね。そういえば、吉備真備は優秀な官僚であり、空海は天才的なマルチ人間だったと聞いたことがあります。そのような人たちの努力の成果が今日まで伝わっていることを知ると、背筋が伸び、頭が下がる気がします。
私は、古建築の世界を遠くから眺めているだけの門前の小僧にすぎませんが、急がず少しずつ学んでみたいと思います。
299ーー入唐三度の僧・重源  投稿者: 管理人  投稿日: 3月24日(木)19時48分8秒
 平安時代末期に奈良の東大寺は平重衡により焼かれてしまいました。その東大寺の再建をになったのが大勧進職についた入唐三度の僧・重源です。重源は入唐三度の僧と名乗ったように平安時代の末期には船の構造、操船技術の発達により、中国に楽に行けるようになったのではないかと考えられます。これより50年後の元の時代には10万の兵(元寇)を日本に送れるようになった事実もあります。また、重源は宋の工人・陳和卿を連れてきて、大仏を修復しました。この時代、既に大陸とは活発に行き来する人が多かったと思います。また、日本に来ていた中国商人達も日本で必要とされる技術者を斡旋していた可能性もあります。大森先生が言っていますようにいろいろの可能性を想像するのは楽しいものです。
298ーー社寺建築様式-2  投稿者: 大森 健司  投稿日: 3月24日(木)17時46分47秒
 我が国の社寺建築の様式には、「和様」、「禅宗様式」、「大仏様」、「折衷様式」がある。このうち、和様、禅宗様、大仏様が基本であるが、全て中国や朝鮮からの輸入であるのに、和様というと鎌倉時代に禅宗様と大仏様が輸入されると、これらと区別するため我が国で変化を遂げて完成した型となったことで、和様とした。今回は禅宗様式についてです。
禅宗様式(不動院金堂、円覚寺舎利殿、正福寺地蔵堂、清白寺仏殿などが主な建物)の
特徴
※ 柱にはちまきがある
※ 柱は貫で繋いで、長押は使わない
※ 柱の上に台輪がのる(和様とちがう)
※ 組物は柱上と柱間にも組む(詰組)
※ 頭貫には木鼻、台輪には繰形をつける
※ 扉は桟唐戸で、藁座で扉を吊る。窓は花頭窓
※ 繋ぎ虹梁として海老虹梁を使う
※ 長い虹梁をかけて、柱を省略する構造を使う
※ 天井はかがみ天井
※ 原則として軒は扇垂木を使う
木造伝統技術伝承教室 主宰者
宮大工 大森健司 
297ーー沼澤様  投稿者: 大森 健司  投稿日: 3月24日(木)10時54分16秒
ご質問ありがとうございました。
 どのように建築技術が日本に伝わって来たかは、私にもわかりませんが、想像することは可能です。沼澤様が言っておられる1、3はあると考えます。
 文化の先進国へ命をかけて渡っていくわけですから、すごい学び方をしてきたと考えます。まず、佛教経典、仏像製作、建築技術、食生活、衣服などを複数の留学僧が各担当ごとにわかれて学んだとも考えられます。
 それと技術者も来てくださったとも考えます。昭和50年秋に、薬師寺金堂が完成して、まだ仕事があるので残っていた大工の上原政徳、松本征、沖永孝一、菊池恭二の各氏に私の5人で仕事が終わった夜、どのようにして技術が伝わってきたか、どの程度の技術者がきたのかを話題にしたことを思い出しました。
 仕事を持っている者、棟梁級の者は危険をおかしてまで我が国に来なかったであろう。若くて自分の技術を試してみたいという者がきてくれたかも?
 また、海竜王寺五重の小塔(縮尺1:10)、元興寺五重の小塔(縮尺1:10)は雛形(お手本)としてつくられたといわれています。発掘などで瓦塔(土を焼いてつくった塔)が出土しますが、これらもお手本としたかもしれません。(埼玉県でも出土しています)土で造るなら、木で造るよりも早く造れるので、そのようなものを造って日本に持ち帰ったことも考えられます。
 想像することで夢も広がり、楽しいことになります。私は寺が発掘された地へ行って帰って来るといつも、どんな建物が有っただろうと想像して、フリーハンドで図面を書いたりして楽しくなってきます。薬師寺で復原する過程を浅野清先生と西岡常一棟梁に学ぶことが出来たのも幸いしています。
296ーー大仏様について一言  投稿者: 杉の子  投稿日: 3月23日(水)01時44分25秒
鎌倉初期、僧重源によって東大寺再建に採用された宋の建築様式。東大寺南大門がその
代表的遺構、その後、東福寺大仏殿,方広寺大仏殿、元禄再建の東大寺大仏殿などに用い
られたので、大仏様という。天竺様(主として南宋の建築様式)天竺国、、インドの古称
295ーー大陸からの社寺建築の技法や様式の伝わり方  投稿者: 沼澤  投稿日: 3月21日(月)18時39分26秒
大森健司様
 「社寺建築の様式について1」は、たいへん勉強になります。続編を期待しております。ところで、質問させてください。
 古代、大陸や朝鮮半島から社寺建築の技法や様式が日本に渡ってくる時、どのような伝わり方をしたのでしょうか。
 具体的には、
1,留学僧が仏教仏典だけでなく、仏教建築まで学んで帰国して、日本の大工に伝えた
2,日本の大工が、遣唐船などに乗り組んで、中国で建築を学び、帰国して伝えた
3,中国の大工が、日本に渡航して、日本の大工に伝えた
他には、日本の僧侶が、中国の寺院建築の図面だけを持ち帰り、日本の大工に伝えた可能性も考えられますが、技法の伝承は難しいでしょうね。
以上のように考えていますが、実際はどうなのでしょう?井上靖の小説「天平の甍」にも、建築技術の伝承のことまで、書いてあったかどうか。鑑真和上に同行して、渡日した中国の大工がいたのかもしれませんね。
 しろうとの質問で恐縮ですが、よろしくお願いします。
294ーー大森 健司様  投稿者: 宮本  投稿日: 3月18日(金)22時13分53秒
--->社寺建築の様式について1
勉強になります。
ありがとうございます。
293ーー社寺建築の様式について1  投稿者: 大森 健司  投稿日: 3月18日(金)14時59分33秒
社寺建築様式について、解説していきます。
 我が国の社寺建築の様式には、「和様」、「禅宗様式」、「大仏様」、「折衷様式」がある。このうち、和様、禅宗様、大仏様が基本であるが、全て中国や朝鮮からの輸入であるのに、和様というと鎌倉時代に禅宗様と大仏様が輸入されると、これらと区別するため我が国で変化を遂げて完成した型となったことで、和様とした。
和様(法隆寺、薬師寺東塔、唐招提寺などが主な建物)の特徴
※ 太目の柱を長押で繋ぐ
※ 貫は柱を貫通しない
※ 頭貫、台輪は隅柱から外へ出さない
※ 組物は柱上のみに置く〔疎(あま)組〕
※ 中備は蟇股や間斗束
※ 軒は原則として二軒の平行垂木
※ 内部は化粧屋根裏、又は格天井、組入天井など
※ 建具は板扉、蔀戸、連子格子
※ 化粧垂木の先端には鼻隠板を打つ木造伝統技術伝承教室 主宰者 宮大工 大森 健司 一級建築士
292ーー伝承しなければ  投稿者: 杉の子  投稿日: 3月15日(火)16時37分45秒
 昔の技術を伝承しなければ、その手法、技術は消えてしまいます、現在の大工さんは鉋も使えない若い職人さんが増えています、柱、長押など一本、一本包装した集成材が主流なってきました
そのまま使えますから鉋をかけなくていい、鉋を研がなくていい、長押は接着剤、仕口云々より
止め金具、左官下地はボード、合板、行政が許可した建材なのです、そしてシックハウス問題
住宅のコストは40〜50万上昇、驚きは、建材使わない寺院にも換気設備を、矛盾した話です
消費者が悪い、安易な方法を選ぶ大工が悪い、メーカーが悪い、認可する行政がだめなのか?
25〜30年の耐用年数の木造建築それを消却処分で環境問題が、日本は木の文化なのに、木を
もっと理解してもらいたいものです、そして木で生きる職人を育てなければなりません。
291ーー滅び行く職人芸  投稿者: 杉の子  投稿日: 3月15日(火)13時07分13秒
 管理人さんの投稿文書はいつも拝見してます、勉強にもなります、元気をもらうこともあります
本当にこのサイトは素晴らしいと思います、近くなら会員になりたいといつも思いますが、仕事
が忙しくなかなか実行出来ないでいます、一色先生の話も私の心を動かします、時の権力者が建立した古建築よりも、地方の小さな古建築の研究など、、生活様式が変わり木造建築物も変わりました、その中で古建築の良さを伝えようとこの研究会の活動は嬉しくなります。
290ーー伝えられる技術は50年  投稿者: 管理人  投稿日: 3月13日(日)22時23分8秒
 終戦後(太平洋戦争)、もう60年が経ちます。私の考えだと建築技術がどの位伝えられるかと言うと50年だと思います。現代の大工さんが使っている技術は30年前に開発された電動工具によるものである。今、現役で活躍している大工さんは40代、50代と思いますが、その人達が技術を習得した時期はもう既に電動工具が仕事の現場に普及していた時代である。普段に使う道具も電動鋸であり、電動鉋であると思われます。その時に教わったであろう師匠達も、新しく出てきた最新の道具をどう使いこなそうか苦労していたはずである。そうして、弟子達に先進の工具を使いこなすことを教えていたと思う。師匠達が大工技術を教わったのはその20〜30年前である。まだ電動工具が普及していなかった時代である。鑿も鉋も鋸も手動の時代である。沢山の鑿を使い分け、鋸や鉋も数丁持っていて、時と場合によって使い分けをしてきた。
 それ以前はどうであったか、古建築の流れを見ると18世紀の後期から建築の彫物が素木彫りに変わる。これは彫物を彫る鑿の発達がある。それ以前の彫物はほとんどが彩色が施されている。彩色がされればそれほど鑿のさえは必要とされない。大工道具の普及により、この時代に鑿を2丁、3丁又は数丁の鑿を持ち、彫物を制作したと考えられる。彩色では無く、鑿のさえによって、よりリアルに彫物が制作出来るようになった。
 まだ、沢山の建物を見たわけではないが時代によって、彫物の技術が変わってきた。江戸時代の初期と中期、後期でははっきり判ることがある。虹梁や木鼻の蔓の彫り方である。江戸時代の初期は彫りが浅く、幅も狭い、中期、後期に下がるに従って、彫りが深くなり、幅も広くなる。これも道具の発達に従ったものを思う。大工道具が貴重で高かった時代は道具を丁寧に扱うが、大量に供給され、安くなった時代にはより効率的に、道具の技術が見えるような方法に変わったと思う。
 江戸時代から遡って、鎌倉、室町時代初期は職人絵図や絵巻物によると大工職人はすべて、座って仕事をしていた。鋸も、鑿も、手斧も座って仕事をしていた。特に手斧ハツリも座って仕事をしていた。座って仕事をすれば立って仕事をするより、力が加わらない。その分、道具は長持ちする。
 古い技術がすべてよいとは思わない。一色先生もその時の最善の技術を使い、より効率的使われた技術が次代に伝われたと思う、と言っていました。いくら時間をかけても良い、いくら金をかけても良いというような技術は伝わらないとも言っています。その時代、その時代に使われた最善の技術が次の時代に伝わるのだと思う。
289ーー思い・・・。  投稿者: 宮本  投稿日: 3月 3日(木)23時05分40秒
はじめまして、いつも拝見させていただいております。
管理人様の「伝えられなかった技術」の内容に深く心を揺さぶられました。
確かに柱の長さを変える技法は、私のようなものが言うまでもなく、
現実に過去存在しています。また、柱に限らず、
古いものを修繕していますと、昔の大工の技術力の高さに
感心させられることが数限りなく有ります。
そのほとんどが、やはり美しく見せるということへの探求からなのでしょうか、
考え抜かれ、手間、暇を惜しまないものばかりです。
そのようにして出来上がっていったものはなるほど、見るほど美しく
威厳のようなものさえ感じます。
まさに、依頼主側と作り手の一体感のなせる業だと思います。
そこには、もはや現代には遠く欠落したしっかりとした信仰が宿っていて、
常に最良を目指した大工たちの汗や息づかい、眼光までも感じ取ることができるかのようであり、とても尊いものであります。
今の世の中ではあまり必要とされていないかのように感じます。
依頼主側は安くて良いものが必然で、請負側はいかにして儲けるかばかり・・・。
そこに好循環は無く、いつのまにか目的を見失ってしまうこともあるようです。
目的という表現は不適切かもしれません、理想と言った方が良いでしょうか、
建築業の全てに言える事でしょうが、とくに社寺の建設においては、携わる全ての人は、
その辺のところを今一度考えるべきではないでしょうか?
古き良き最高の技術をひたすら追い求めるのも良いでしょうが、ひけらかす事ができる場所でのみ有効です。
常識的に予算で縛られている以上、知識はあくまで予備に過ぎず、振舞われることは難しい。
本当に必要なものは一体感です。
その工事に携わる者全ての一体感!
その先に出来上がって行く物は、それを必要とされている方々にとって、最高と呼べるものになっているはずです。
最近、特にこんなことを考えてしまいます。
288ーー管理人様へ  投稿者: 大森 健司  投稿日: 3月 3日(木)14時28分54秒
京都・奈良の建物の見学会は奈良時代から室町時代までの建物を一色先生の解説付で見学された感想が出ておりましたが、江戸時代の建物から見ると全体のバランスや美しさに心を打たれたと存じます。
隅柱のび、柱転び、斗組の増し、丸桁を増さずに折ることなど古建築の軒を美しく見せる工夫です。明治時代から昭和まで、隅柱のびが間違いだと言って、建物の修理がなされてきました。法隆寺昭和修理から建物の軒や構造、地下遺構まで研究されるようになったと恩師 浅野清博士が話しておられました。又、先生が法隆寺で建物の調査をすることになった時、寺大工から、あんな若造にできる仕事かと言われたとも話をしてくれました。先生の努力、その仕事に携わった技術者の努力で法隆寺の建物からたくさんの発見があり、その後の建物の復原に役にたったのです。一例を挙げるなら、建物の修理報告書の大切なこともわかり、太田博太郎博士は建物を修理したら、必ず修理工事報告書を出すべきと指導され、今日に至っているのです。
私が社寺建築は奥が深いと言っていることは、奈良時代、平安時代(前・後)鎌倉時代、室町時代、江戸時代と各時代によって建物が変化してきたのです。変化した技術を習得することは、時間がかかり、良き指導者と出会うことです。
又、江戸規矩を習っただけでは、それ以前の軒規矩などわかりません。私は薬師寺に行った時、江戸規矩しかわからず、軒規矩を書いても笑われたものです。今日では、各時代の軒規矩を学ばせてもらいました。柱のびは室町時代まで残っていますが、それ以後はほとんど見られなくなります。
私は2月28日に20数年憧れていた和歌山県の長保寺へ調査に行くことが出来ました。本堂(国宝、1311年建立)、大門(国宝、1388年建立)、鎮守堂(重要文化財、1295年建立)の建物を拝見させていただきました。
本堂の隅柱はのびが有り、頭貫にも隅増しがありました。軒は木負も大きく反り、それ以上に茅負が反っていて、軒の美しさを見せていました。
大門は修理の時々のとりかえ材が多く見られましたが、正面は桜の木がかぶってしまい、全体は背面のみしか、よく見えませんでした。 
鎮守堂は小さな一間社流れ造りですが、惚れ惚れする美しさでした。細部に渡ってよく出来ていました。
3棟の建物を造った技術者には頭が下がり、とても私など足元にも及びません。良いお手本となる建物です。薬師寺から帰る時に西岡常一棟梁が中世の建物をたくさん学ぶようご指導して下さった言葉が改めてわかった次第です。又、日本一最低な宮大工と言っているのが、本当であるとつくづくわかりました。                       木造伝統技術伝承教室 主宰者
                        宮大工 大森健司 一級建築士
287ーー伝えられなかった技術  投稿者: 管理人  投稿日: 3月 2日(水)22時05分31秒
 このたび、古建築研究会は「奈良の国宝建造物を見る」と題して、奈良近郊の国宝建造物を巡ってきました。私自身は新薬師寺の本堂に感動してきました。建築文化史家の一色史彦先生によると新薬師寺の本堂は明治年間に修理された時、奈良の代々の宮大工にとって、この建築の技法が理解が出来なかったそうであります。天平時代には隅の軒反りを出す為には柱の長さを変えるということが行われていた。正面中心の柱が短く、隅に行くほど柱が長かったそうであります。明治の宮大工にとって、柱の長さが違うことは信じられなかったようです。明治の宮大工も代々先祖から伝えられてきた技術をになってきた優秀な人達です。古代の大工は技術が未熟で、柱の長さも揃えられなかったと思われたのでした。鎌倉時代以降、軒反りを出す為には丸桁を隅に行くほど厚くするようになりました。その為、柱の長さを変えるという技術は廃れてしまったのです。技術はより良いものが残り、難しいものや手間のかかるものは廃れてしまいます。古い技術がすべて良いものだとは思いませんが、古人の技術を現代に伝えて行くことも必要だと思いました。
286ーー永山さんへ  投稿者: 住めば都  投稿日: 2月25日(金)20時48分10秒
しっかりした投稿文から、誠実で謙虚な人柄が伝わってきましたので、門外漢ながら、一般的な助言をさせていただきます。
基本的には、すべて本人の努力次第ですが、25歳から技能者(職人)修行は、自覚されているように難しいかもしれません。しかし精密な図面を描くことができるなら、寺社建築をも手がける建築設計会社に就職して、40代〜50代くらいの脂がのりきった主任クラスの指導者について、サラリーを得ながら、勉強するのがいいのではないですか。そのような会社は、このホームページに全国の業者がリストアップされていますから、実績や客観的な評判などをよく調べてみるのが大事です。しっかりした会社なら、よい宮大工さん、文化財行政の担当者に接触するチャンスがあり、学ぶことが多いはずです。
また、貴君の文章力から判断すると、建築関係の雑誌や本を出している出版社の社員(最初は派遣社員やフリーライターかも)になれば、専門家(大学教授など)に取材したりする機会が増え、サラリー(最初は薄給でも)をもらいながら、勉強できるでしょう。
文化財としての寺社建築関係の研究機関は、若手の育成より即戦力を期待していますから、資格や実力が乏しいと就職は難しいでしょう。いろいろ調べてトライしてみれば、道が開ける可能性はあります。
 いずれにしても、どの分野でも、自立して、周囲の評価を勝ち取るまでの道のりは厳しいものです。健闘を祈ります。
285ーー建造物歴史保存の研究所ってありますか?  投稿者: 永山  投稿日: 2月25日(金)12時59分1秒
はじめまして。現在25歳です。
半年ほど前まで、建設会社で働いていましたが、仕事上の疲れとストレスのあまり体調を崩し入院。治療には時間がかかるということで会社を退職して治療に専念してきました。今年に入り、身の回りの生活ができるまでに回復しました。いま、再就職口を探していますが、中々厳しいものですね。半年のブランクはとても大きいです。
昔から歴史的建築物(特に寺社建造物)が好きで、一時期宮大工を目指していましたが、高校大学と進学してしまったせいか、宮大工の世界を諦める他なくなりました。両親の友人の知人に、宮大工をしてる人にいわれましたが、学問が先行してしまった以上、宮大工や大工さんなどの技能者になるのはとても難しい。って言われました。そのときは、半信半疑でしたが建設会社に入社して、いざ、自分から見習いとして半年大工さんとしてやってみて、技能者にはなれないと確信しました。
中々再就職を探すには、夢だけでは決められない世の中ですが、大学までの学問を活かしまた新しく学びながら、一生やりがいのある仕事をしたくて投稿して見ました。具体的には、文化財や社寺建築関係や歴史的建築物の保存や利活用を考える研究機関などを探しています。
長々と書いてしまいすみませんでした。宜しくお願いします。
284ーー中学生の知り合いが・・・  投稿者: あさくらです  投稿日: 2月20日(日)20時49分1秒
知り合いの息子さんが高等学校にて宮大工修行(高校進学せずも可?)したいと希望しておりまして、
関東近郊で勉学できるところを模索しております。
また中卒で雇っていただける親方さんなぞいらっしゃるでしょうか?
レスお待ちしております。
283ーー合掌屋根葺き替え  投稿者: 川崎市立日本民家園  投稿日: 2月15日(火)15時31分37秒
川崎市立日本民家園・屋根葺き替え見学会
合掌造りの茅葺き屋根の葺き替えが見られます!
 合掌造りのふるさと五箇山(富山県)から屋根職人を迎え、旧山田家住宅の葺き替えを行います。住宅の茅葺屋根の本格的な片面葺き替えは、民家園としては3年ぶりです。
見学会当日は専門職員による解説で、現場の状況によっては、足場に上って見学できるかもしれませんので、動きやすい靴でおいでください。(工事の進捗状況によりますので、上れないこともあります。)
2月12日(土)の見学会では、足場に上り間近に屋根を見たり、職人によるネソネリ実演(結束材のマンサク<植物>をねじりほぐす作業)も見られました。
2月20日(日) 13:30−14:30
整理券配布13:00から 山下家(そば・白川郷)前 雨天中止 先着30名
解説 外山 明彦(民家園職員・建築職)
(※なお、屋根の葺き替えは2月下旬まで実施され、この間は周囲から見学できます。)
川崎市立日本民家園
214−0032 川崎市多摩区枡形7−1−1 電話 044−922−2181 FAX 044−934−8652
282ーー概算サービス  投稿者: ?エースバン  投稿日: 2月15日(火)13時35分58秒
設計初期に建物工事費の概算内訳書を作成します。
¥7350円(2階建1棟:税共)
詳細は下記ホームページを参照下さい。
http://www.acevan.com
281ーー最近杉のよさを述べられる方が  投稿者: 北関東の大工  投稿日: 2月12日(土)13時52分44秒
 杉のよさは、私たち大工達も認めています、杉の目なんです、一本、一本皆違います、素朴さ
が何とも言えないです、でも桧と同じで、値段はピンからキリまでだね、関西方面は北の杉は桧
と同じくらいとのことですよ、100年以上なら手が出ないそうです。日本の住宅はやはり杉
ですものね、京都にも、桂離宮、他茶室など、寺院の板戸など、奈良、京都などの寺院は時の
権力者が作った物、北の寺院と同じじゃないね、素朴で良いよね。
280ーー孝治さん  投稿者: 杉の子  投稿日: 2月 6日(日)22時56分41秒

 私も、管理人さんの、言うとおりだと思いますよ、日本は今世界の木材を買い集めていますが、最近中国へ杉を輸出してます、また青森ヒバの話もあります、高級住宅の内装材
に、、、中国は数年前大洪水に見舞われ数ヶ月水が引けなかったですね、奥地の無謀な森林伐採が影響したそうですよ、現在は伐採禁止なのです。日本の風土に適した、日本の木材が見直されると私も信じてます。

279ーー再生可能な林業の未来  投稿者: 管理人  投稿日: 2月 6日(日)21時37分43秒
 現在、日本は外国から大量の木材を輸入しています。それは国産材より輸入材の方が安いからです。戦後、低開発国や国土の広くその割には人口の少ない国もあり、無限の森林が有ったからです。しかし、森林資源は無制限にあるのでしょうか。多分、そう遠くない時期に森林資源の欠乏の時代が来ると思っています。その理由は中国やインドの生活水準の上昇です。もう既に石油では産油国が生産量をのばしても、それをしのぐ消費量の増大が起るであろうと言われています。日本は今、大量の木材を輸入していますがそれ以上に中国やインドが消費してくるはずです。日本の人口は1億2千万人ですがインドは11億人、中国は13億人の人口があります。その一割の人が日本人と同じ生活水準になっただけでも2億4千万人になります。この人達が建築や家具、紙類など木材を消費し始めた時には莫大な量になります。
 その時に国産木材と外国産木材の価格差は無くなり、木材の価値は高くなると思っています。先日、ラジオで聞いたのですが現代の住宅建築は平均26年で立て替えられているそうです。このような、家屋の消耗品時代もそう長くはないと感じました。
278ーー「唐招提寺展」情報(補足)  投稿者: 沼澤  投稿日: 2月 6日(日)18時49分20秒
3月6日の講演会は、事前申し込み制です。定員380名。
申し込み方法:往復はがき往信用裏面に住所、氏名(ふりがな)電話番号、開催日を、
返信用表面にも住所、氏名を明記の上、下記に申し込む。
〒107−0062 東京都港区南青山2−24−15 青山タワービル11階
 「唐招提寺展」講演会係
申し込み締め切り:2月22日(火)1枚のはがきで1名のみ応募可。応募多数の場合は抽選になるそうです。
277ーー「唐招提寺展」の情報  投稿者: 沼澤  投稿日: 2月 6日(日)18時33分8秒
時々このホームページで勉強させていただいております。
本日、東京上野公園にある東京国立博物館の平成館で開催中の「唐招提寺展」を見てきました。現在、唐招提寺の金堂が平成の大修理中のため、国宝の廬舎那仏と鑑真和上像に東京にお出ましいただいて、関東の善男善女に見ていただこうという主旨でした。この2体の国宝のすばらしさもさることながら、金堂解体修理の様子も多数の写真パネルで説明されており、奈良時代の代表的な建築物の構造のみならず、部材や建物全体のデザインから天平時代の空気、そして唐の文化も感じ取れました。東山魁夷画伯の襖絵やCGで編集した唐招提寺の伽藍の紹介のビデオも大画面で見られ、すばらしいものでした。
 金堂の大修理が完了するのは、2010年だそうです。今回を逃すと5年間は見られませんし、その後は奈良・西の京まで行かないと見られませんから、おすすめです。
3月6日までです。入場料は、1400円。
なお3月6日には、「金堂解体修理の現状」と題して、奈良県文化財保存事務所の田中泉氏という方が講演されます。午後1時30分からです。
276ーー林業について  投稿者: 大森 健司  投稿日: 2月 6日(日)16時58分14秒
 孝治さん 
 我が国の林業を営んでいる人は大変だと存じます。間伐がされている林はよいのですが、していない林は売れる木と売れない木が混ざっていると、売れないことは一般の人は理解していないのが現状です。ハウスメーカーは「木の家」と言って、ホワイトウッド、オウシュウアカマツ、エゾマツで造っています。
 外材と国産材のシロアリの害は
 森林総合研究所の複合材料研究領域長の鈴木憲太郎氏が行なった試験で、桧、杉、ホワイトウッド、ベイツガの樹木の中心に近い部分10個ずつをイエシロアリの巣の上に置き、1ヵ月後の食べられた量の平均値を調べました。国産の桧は0.1%、国産の杉は2.4%、外材ではベイツガは48.4%、ホワイトウッドは81.4%でした。圧倒的に多いと言われています。
 ユーザーに国産の桧やスギを使って下さいとA4サイズの用紙に桧やスギの良さをアピールして手渡して配っていますが、ハウスメーカーを回ってきたユーザーは桧やスギは使ってもらえないと言って来ます。当事務所の外に桧やスギの柱1本の値段を書いて国産材の値段の安さを示し、ユーザーの手元に入るので使って下さいと訴えています。
私はなんとか山が元気になるように国産材の桧、スギで建物を造っています。今日の住宅は、軸組に坪当たり0.4から0.5立方メートル位の使用量です。建坪50坪でも25立方メートルしか使いません。「地震に強い家」をと考えて、3タイプの構法例を作りました。その結果、坪当たり、1.36から2.20立方メートル使うようにしました。1軒でも実現できればと売り込んでいます。岩手の菊池恭二氏に仕事をしてもらった時に、大工さんが「青森ヒバをこちらでは桧と言い、桧のことを本桧と言います」と話しており、「本桧はいいな」とも言っていました。国産の材料を使って建物を造る努力を造り手側がしないと我が国の山がダメになってしまいます。一般の人に現状を知ってもらうのも一案です。
林に下草が生えないと、微生物、ミミズ、モグラ、野ねずみが生活できません。それらを食べるヘビや猛禽類も生活できず、大型動物のクマやイノシシ、シカなども山で生活できず、里に下りてきて人間に嫌われて、殺されることが沢山あります。
又、一旦大量の雨が降ると保水力がなくなり、山が抜けて人間がやられてしまいます。又、多量の土砂を含んだ水が海まで流れて、磯焼けにもなります。
山の重要性を訴えていきましょう。
私のホームページもご覧下さい。                木造伝統技術伝承教室 主宰者
                               宮大工 大森健司 一級建築士
                 http://www2.tba.t-com.ne.jp/oomori-kida/
275ーー実家は林業ですが  投稿者: 孝治  投稿日: 2月 5日(土)15時53分22秒

僕の家は林業を営んでいましたが山の木が安くてどうにもならないようです。父さんは勤めています、お祖父さん一人で細々と山に入り手入れをしてますが将来日本の林業はどうなるのでしょうか、教えてください。

274ーー保存技術の保存  投稿者: 管理人  投稿日: 2月 3日(木)20時44分50秒
 文化財保存法の中に「保存技術の保存」という1条が入りました。いわゆる人間国宝の選定です。建築文化史家の一色史彦先生はこの法律の制定に反対しました。一色先生によれば「保存される技術」などは無いと言っています。建築でもそうですが技術の世界では「切磋琢磨」の社会です。使われない技術は廃れるものなのです。使われないということは、それに変わる新しい技術が使われたからです。人間国宝に祭り上げるより、その人に仕事を沢山、あたえた方が技術の移転に役に立つと言っています。
 材木でもそうだと思っています。古い時代、縦挽きの鋸が普及しない時代には建築には檜や杉などの「割り易い」材木が使われました。縦挽きの鋸が無い時代には柱も板も「くさび」を使って木を割り、手斧で削り、板や柱を造っていました。木が捻れる癖があるケヤキなどは表に見えるところには使われませんでした。縦挽きの鋸が普及し始めた頃より、柱にケヤキが使われるようになりました。技術の発展により今まで使われなかった材木も使われます。まだ詳しく調べてみませんが柱材が時代によって、また、地域によって材料が違うことがあると思われます。檜の北限は福島県と言われています。福島県より北の方では古い建築には檜が使われたことが無いと思われます。多分、「地木」を使って建てられた思います。「檜」崇拝も疑問符を持って考えた方が良いと思います。
 現代のように全世界から材木が取り寄せられる時代とは違って近くの木を使うの古い時代の常識だと思います。どの材料が良いかはその地域に生えている木を知って、考えるものと思います。
 現代では文化財の補修工事にも外材が使われています。その材木がその地域に合うかが判るのは300年、400年後の世界です。現実に文化財民家修理の補強に沢山の鉄材が使われています。大工さんに言わせると木材で300年持ったものを何故、300年持つかどうか判らない鉄材を使うか疑問だと言っています。
273ーー間違いました  投稿者: 杉の子  投稿日: 2月 2日(水)06時09分26秒
パソコンの変換。。。。簡単だが、、、報償????保証でした・・・恥ずかしい
272ーーログを見て感じること  投稿者: 杉の子  投稿日: 2月 1日(火)18時01分7秒
 昨年10月頃から宮大工になりたいと言う若い人が数名いました、印象に残ったのが北海道の状況が知られていない事です。曹洞宗永平寺禅師様、総持寺禅師様、お二方は北海道です。(現在)
西岡棟梁の元で修行した宮大工もいます。最近釧路方面から、若い人が奈良の西岡棟梁関係先に弟子入りしたと聞きます。北海道の宮大工のルーツは岩手、青森の大工が一番多い、次に北陸地方です。ここ10数年寺院建立ブームなのです、ようやく下火になりましたが、理由は開基100年事業のためなのです。真宗系が1000ヶ寺、禅宗系500ヶ寺、日蓮宗400ヶ寺、真言系と続きます。明治27年頃までは、北陸の松井棟梁(現、松井建設)が別院をクラスを建立しています。
有名な棟梁は気仙大工の花輪棟梁です(80ヶ寺)彫刻士は青森(元南部藩)です。現在の建築現場をのぞいて見ますと、驚きですよ、京都の名門、奥谷の現場は、20歳代の若い人が大半でした。昔と違いますね、最低賃金法で、賃金も報償されていますからね、この世界は努力次第で棟梁になれます、昔と大分違いますよ、中学卒業だけで一級建築士を取得、原寸図面を書き上げて素晴らしい寺院を建立してます(大隅流) 奈良、京都、四国、北陸、東北みんな手法が違いますよ
現在の木割などは、江戸時代に大工が集まって統一したんだと。だから昔のことは、大工やりながら勉強すれば良いんです、このサイトの宮大工欄に全国の業者がリンクされてますからね。
271ーー大森 健司様  投稿者: 篠田(馬鹿小工)  投稿日: 2月 1日(火)14時29分31秒
私も、ゆうずうきかない、馬鹿職人ですから、もう一度伺えます。脱線しましたが、本題にはなにも答えて下さらないですね。あの建物宝塔をイメージそれとも、銀閣寺を、お金かかってますよね
それは自由ですけどね。教授のお遊びですか、それとも大森様の思いつきですか、それなら解りますが、問題は役物の配置および年代様式を無視して、これかっこいいからつけよう、あれもつけよう、じゃないかな、それなら思い切り、前衛現代寺院建築家を名乗りましたら、それなら、他の宮大工は何も言わないと思いますよ、あの建物が大学教授の教えとは思いたくありません。
270ーー合板ベニアは構造用合板と置き換えて下さい  投稿者: 篠田(馬鹿小工)  投稿日: 2月 1日(火)11時39分51秒
北海道での基礎根堀は、1m以上ですので、べた基礎は寒冷地では、現実性がありません。
269ーー大森 健司様  投稿者: 篠田(馬鹿小工)  投稿日: 2月 1日(火)11時29分16秒

合板ベニアが300年持つとは誰も信じていません、大森様が常々言ってることと違いますね、
外材うんぬん、桧の合板ですか?日本の木造建築の耐久基準は25〜30年、一般住宅の基準、大学教授の指導ですか、国の機関、製造会社関係団体は300年なんて言ってませんよ、そんなことを信じているのですか?寺院の補修してますとね時々合板で補修した箇所が出てきますが、感心
しません、ふくらんでいます、汗をかいてるんですよ。日本は30年、アメリカ50年、イギリス
70年位が木造建築の耐久基準だそうですね。日本の建材の基準もその辺ですからね、寺院建築は
やはり昔の知恵を現代に伝えてこそ宮大工の役目では、あの建物は一般の建築確認は取れません
ので、構造上の問題で、教授に相談したのでは?設計監修とありますね、べた基礎も、大森さまの
融通性のない思いこみと思います、たたき部分をGLより下げてますね、湿気がよどみますよ。

268ーー篠田様  投稿者: 大森 健司  投稿日: 2月 1日(火)09時37分23秒

ご意見ありがとうございました。あなたが学んだ事と私が学んだ事の違い。
あなたを育ててくださったたくさんの指導者と私を育ててくださったたくさんの指導者の違い。
あなたがお手本とする建物と私が手本とする建物の違い。合板ベニアと構造用合板の違いを私が語るより、国の機関や製造会社やその関係団体から資料を取り寄せて調べてください。
古い建物を調査すると足元にも及ばない凄さを感じます。それらを造った大工棟梁がこの世に生き返って私を含めての造り手の社寺建築を見たらどうでしょうか。想像でありますが、「なにこんなのが社寺建築?ひどい。良い建物を残してやったのに。もっと学んでくださいね。」と言われそうで怖いです。
社寺建築は奥が深いです。学べば学ぶほどむずかしくなって来ます。
現在大きな建物を設計し始めましたが大変です。しっかり設計図を書かなければと思案しています。
なお、私のホームページを隅から隅までお読みくだされば見えてくることもあると存じます。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/oomori-kida/

267ーー北限とは秋田縣周辺の杉  投稿者: 杉の子  投稿日: 1月31日(月)11時44分10秒
 北海道にも杉が造林されています、ヒバも造林されています、しかし土質の関係で寺院用材には
向きません、青森ヒバは桧の仲間(翌檜)です。成長は造林桧、杉の3倍かかりますので、造林
(植林)には不向きです、自然発芽ですから貴重種でせね。
杉を見直して下さい  投稿者: 杉の子  投稿日: 1月31日(月)11時21分31秒
 北限の杉は目が積んでます、丈夫ですよ、樹齢100年前後なら、50〜60年の桧より良いです。関西では北の杉の方が高いですよ。例えば、茶室に使う面皮杉105mm丈3mが 7万円前後
秋田では、2万前後です。桧と言っても殆ど造林木ですね、木曽桧は、伐採量が限られていますし高価です。三大美林は、秋田杉、木曽桧、青森ヒバですね、何れも高価です樹齢300年以上。
幕府が保護したので現在まで残りました。南部赤松は30m以上真っ直ぐに成長してます、関西方面に出荷されていますよ、一部茶室に使います。6間梁間に使用できます、丸桁にも利用できます
266ーー大森健司様  投稿者: 篠田(馬鹿小工)  投稿日: 1月30日(日)21時13分57秒
 一度伺ってと思いつつ現在に至りました。「山陰20世紀最大の木造」私には納得出来ないので
塔でないのになぜ、塔に上げる相輪なんですか、宝珠がが順当なのでは、なぜ間斗束と蟇股が混ざってるんでか、なぜ蟇股が二つ並んでいるですか「内部」、格天井の収まりが納得出来ません。
寺院には配置の決まりがあるのでは、奇数が基本ではないのですか。私には、建築様式のチャンポンとしか思われませんが。ついでに、小堂ですが、なぜ壁に合板を使うのか納得できません。
教えてください。
265ーー古建築研究会フアンさまへ  投稿者: 管理人  投稿日: 1月29日(土)22時43分37秒
 「古建築研究会フアン」さんのご声援、有り難うございます。八郷町の社寺調査のところで書きましたが、古建築も京都、奈良に有るような大きくて、立派な建造物も有れば、皆様の住んでいる身近にも沢山の古建築が目立たずにあるのです。大工も同じです。テレビに出て活躍している大工もいれば、誰にも評価されなくても立派な仕事をしている大工さん達も沢山います。この掲示板も同じです。発言する人もいれば、掲示板の意見を読んで「古建築研究会フアン」さんと同じ意見を持っていて、発言しない人も沢山いることと思います。同じくらい、反対の意見を持っている人もいるかもしれません。大きい建物が有って、小さい建物が有る。大きい声の人もいれば声の小さい人もいる。その方が楽しいと思っています。
 掲示板の主催者としては小さな声の人の意見が沢山来ることを期待しています。
 最後に茅葺屋根の「奥の正法寺」の話が出ていましたので『茅刈り応援団」の募集記事を載せました。茨城には目立つところには茅葺き住宅が有りませんが全国でも有数の茅葺き住宅の多いところです。茨城の茅葺き住宅は屋敷林に囲まれて、敷地内に入らないと見えないところにある場合が多い。美山や、白川郷のように固まって有るわけでもないので気づかれないようです。
264ーー茅刈り応援団  投稿者: 管理人  投稿日: 1月29日(土)19時28分27秒

 今年も茨城県大子町の『木の文化塾」が「茅刈り応援団」応援団を募集しています。私も第一回に参加してきました。古建築に興味の有る方で茅葺き建築保存に活動している人の参加を求めています。下記の通り、2回、3回も予定されていますので是非参加して下さい。
茅刈りの場所と期日
◎期日      第1回 平成17年1月23日(日)
◎        第2回 平成17年2月13日(日)
◎        第3回 平成17年2月20日(日)
◎時間      ご連絡していただいた方にお知らせいたします。
◎場所      ひたちなか市 ジョイフル本田周辺
応援団申し込み
◎八溝文化社      柳下征史  ひたちなか市田彦 029-273-3202
◎木の文化塾      菊池 均  大子町下野宮   02957-2-2446
 E-mail  茅刈り応援団  kayakari_oendan@hotmail.co.jp
  茅刈り応援団の昨年の活動は毎回約40名の参加があり、積極的な活動でした。今年の春にもまた、この場所で茅を刈る予定でいます。
http://www.geocities.jp/matwola/woodculture/index.html

263ーー訂正  投稿者: 杉の子  投稿日: 1月29日(土)10時55分21秒
 一部ケヤキも使っています、ケヤキと杉は木肌が良くあいますよ。   
古建築研究会フアン様、場所はその通りです、私はまだ見てないですが、近く見に行きます、
散策道から見えるそうです。
262ーー700坪の茅葺屋根  投稿者: 杉の子  投稿日: 1月29日(土)10時36分35秒
 現在葺き替え工事中ですよ、日本一の屋根です。奥の正法寺は曹洞宗の三本山です、しかし
幕府の命令で総持寺、永平寺の二ヶ寺に、正法寺は総持寺の筆頭直末寺になりました、伽藍は殆ど
杉です。文化財ですよ、修行僧は真冬でも裸足で修行しています、裏山の杉で作りました。建築手法も上方手法との違いなど勉強になります、新幹線水沢江刺下車、バスで、、、、近くに気仙大工
の仏閣もあります、気仙大工は大工集団ですから、自由奔放に作っています、本当に面白いですよ
大船渡の長安寺、洞雲寺、高田の普門寺、最近の作で華蔵寺素晴らしいですよ全て杉です。
261ーー杉の子さん  投稿者: 古建築研究会フアン  投稿日: 1月29日(土)09時32分57秒
 日本一の背丈52mの杉古木は秋田県二つ井町ですか教えて下さい
250ーー松浦様  投稿者: 古建築研究会フアン  投稿日: 1月29日(土)09時16分50秒
 ログを拝見しました、松浦様は、宮大工希望の若い人に親切丁寧にアドバイスされています、
若い人に希望を与えいます。しかし最近へんな方が入り込んで若い人の夢を壊しています、松浦様はリンクされてるホームページを見て探してみたらとアドバイス、、、、変な人は、ホームページ
を見るとこれでも社寺かと批判する、相談に割り込んで、きつい事を言う、最初から資格云々、、
これではこの掲示板の純粋さがなくなると思います、楽しい掲示板にしてください。
259ーー大森さん  投稿者: 解体業者(建築)  投稿日: 1月29日(土)02時08分7秒
 「地震に強い家」合板を張れば確かに地震に強いですが、合板は100年も持ちませんよ、私達
解体業者は2.30年の家を解体してるので、良くわかります、合板はパイのようになっていますよ。
258ーー越後大工が無知なの  投稿者: 越後大工  投稿日: 1月29日(土)01時08分37秒
 書き込みを見て驚いた、設計士、大工が無知だから家が壊れたのだと、なに宮大工だとショックだ、災害にあい、暴言にあい、悲しいよ。
257ーー日本で一番高価な木材  投稿者: 杉の子  投稿日: 1月29日(土)00時37分7秒
 秋田杉は m3単価は 350万前後が相場です(天然木)年間伐採量は 5000m3 位だそうですよ、
桧より高価なのです、嘘と思うなら積算手帳(赤い本)見て下さい。日本一背の高い木も杉です、52mとか驚きですね、初期のピラミットの内部空間梁も杉だそうです(紀元前)ヨルダン杉とか
京都の清水寺の土台が杉の赤身で、最近の調査でわかったらしいよ、1000年木だとか、西岡棟梁の
言ってた事本当だね。清水寺の裏山に杉を植林するそうです、山桜も植えて昔の山に再生するそうです、300年以上かかるらしいですよ。
256ーー掲示板のログを保存しました  投稿者: 管理人  投稿日: 1月28日(金)22時08分24秒
 最近の活発な書き込み有り難うございます。他のページで何回か『過去ログ」を落としてしまいました。その反省でこのページに関しましてはすべて残すようにしています。掲示板は過去のログを10X10までしか保存されませんので、早速、古いログを保存し掲載しました。貴重な皆様のご意見を大切にしたいと思っています。
 また、古建築の見学記や貴重な情報など有りましたならば是非ご利用ください。
http://www.tsuchiura.org/~kokentik/
255ーー下の坊主  投稿者: 大師  投稿日: 1月28日(金)19時56分17秒
----坊主
>いやー愉快だな、面白かった、これで終わり、続けてよ皆さん。
おととい来やがれ!!(笑)
254ーーこれ見ている皆さん  投稿者: 坊主  投稿日: 1月28日(金)15時25分0秒

いやー愉快だな、面白かった、これで終わり、続けてよ皆さん。

253ーー一石崎様  投稿者: 旅歩き記者  投稿日: 1月27日(木)22時56分45秒

恐縮いたします。私と誤解されたされたようですみません。(数日、出張していてお詫びが遅れました)

252ーー八郷町の社寺調査をして  投稿者: 管理人  投稿日: 1月27日(木)22時45分58秒
 古建築研究会の松浦です。昨年、今年と2カ年で八郷町の社寺建築調査をしています。この町には大きな社寺建築は数少なく、NHKテレビ(宮本武蔵)にも出た善光寺の本堂が唯一の五間堂です。
 しかし、一つ一つのお堂や神社本殿は小さくても地元の人達が大切に保存して来ました。彫刻の優れた建築もあれば彩色の有るものもあります。その善し悪しは有ります。それでも、それらの建築は建立された時代に少ない資金の中で、精一杯の努力で建てられたことがよく判ります。檀家や氏子が沢山いれば、もっと大きなものも作れたのかもしれません。施主も大変でしょうが、請け負った大工さん達も少ないお金でいかに立派に見える建築を造ろうかと努力したと思われます。これらの建築を見るとこの地域の祖先がいかに努力したかが伺われます。建築の善し悪しに関わらず、これらの建築を次代に引き継ぐことの大切さが判ります。文化財的な価値は一つの建築が何代にも渡って、たくさんの人々によって保存されてきたことに有ると思います。そのことが建築の中にある棟札によって知ることが出来ます。
 現代でも同じだと思います。檀家や氏子が多いところも有れば、少ないところも有ります。多分、優秀な大工もいれば、そうでもない大工もいるでしょう。それでも、すべての大工達が自分の造った建築が未来に大切に残されることを願っていると思います。また、檀家や氏子の人達もそう願っているはずです。
251ーー先生方  投稿者: 釘袋  投稿日: 1月27日(木)21時41分16秒
屋大工のワシにはそちらの世界は分からん?????>しかしなかなかおもろい!大森様と大森先生はちがうしとか?誰か教えてくで?
 
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