明治記念館 | 河内屋橋本合名会社 | 日本聖公会 | ひまわり食堂 | 蔦温泉旅館 |
旧八戸小学校講堂 | 事務所 | 八戸聖ルカ教会 | 旧八戸商業銀行小中野支店 | 本館 |
八戸市八幡3 | 八戸市八日町 | 八戸市類家4 | 八戸市小中野町新町 | 十和田市蔦の湯 |
1880(明治13年) 撮影 99-06 | 1924(大正13年) 撮影 99-06 | 1925(大正14年) 撮影 99-06 | 1918(大正7年) 撮影 99-08 | 1918(大正7年) 撮影 87-03 |
★県指定文化財 | ★国登録文化財 | ★ | ★国登録文化財 | ★ |
size 3150 X 2023 | size 2713 X 1923 | size 2420 X 1912 | size 3151 X 2037 | size 3264 X 0983 |
02-0020-01 | 02-0020-02 | 02-0020-03 | 02-0020-04 | 02-0022-01 |
旧八戸小学校講堂は明治14年に竣工した。同年、明治天皇東北御巡幸に際は行在所となり、昭和4年に新校舎の完成により、図書館として使われていた。設計は地元出身の大工・関野太次郎、棟梁は青木元次郎である。 | 大正13年の八戸大火後、造り酒屋の事務所兼住宅として建てられた洋風建築。切妻屋根、2階部分のみ外壁を白地の柱に縦板張りとし、他は下見板張りである。設計は第一生命建築課長の安藤安夫氏に依頼したという。 | 現在の教会堂は大正14年に八戸市番町に新築された。そのご、昭和53年に現在地である八戸市類家に移転、移築された。木骨煉瓦造、平屋建、切妻、鉄板葺、鐘楼付。設計は不詳ですがガーディナーとも云われている | 大正七年に八戸商業銀行小中野支店として建築された八戸最古の洋風木造建築。昭和初期の世界恐慌のあおりで休業したという。その後、朝日商会の事務所として使われていたが、現在はひまわり食堂となっている。 |
蔦温泉の歴史は古く1174年には湯治小屋があったという。明治時代に文筆家の大町桂月が蔦温泉を愛し、たびたび訪れた。本館の建物は木造二階建て大正7年の建築。現在もなお正面玄関・客室としてそのまま使われている。 |
立石発電所 | 大湊水源地公園 | 北の防人大湊 弐番館 | 海上自衛隊大湊地方隊総監官舎 |
鈴木誠作記念館 |
発電所 | 陸奥石造ダム | 旧大湊要港部乙官舎 | 旧大湊要港部司令官官舎 | 旧大湊ホテル |
十和田市立石 | むつ市大湊町桜木町 | むつ市大湊町桜木町 | むつ市大湊町桜木町 | むつ市中央二丁目 |
1939(昭和14年) 撮影 90-06 | 1909(明治42年) 撮影 99-08 | 1916(大正5年) 撮影 92-07 | 1916(大正5年) 撮影 06-10 | 1919(大正8年) 撮影 92-07 |
★ | ★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 | ★ | ★市指定文化財 |
size 3256 X 2080 | size 3207 X 2087 | size 3328 X 2135 | size 3207 X 2088 | size 3300 X 1590 |
02-0022-02 | 02-0026-01 | 02-0026-02 | 02-0026-03 | 02-0026-04 |
陸奥石造ダムは名称を旧海軍大湊要港部水源地堰堤と云い、海軍の艦船補給用水や施設の防火用水、生活用水などの確保の為に計画された近代的水道施設である。日本国内最初期に属する石造のアーチ式堰堤である。 | 「北の防人大湊 弐番館」は大正4年に建設された旧海軍大湊要港部の士官官舎である。海軍士官官舎・金剛寮として使用され、戦後は海上自衛隊の官舎として使用されていた。旧大湊要港部乙第十号、第十一号官舎である。 | 大湊ホテルとして大正8年に建てられた。木造2階建、切妻、洋瓦葺、軒飾りなど当時の洋風建築のデザインが使われている。平面はコの字型で張り出し、妻面部にハーフティンバーを模した意匠を取り入れて ある。 |
JR大湊駅 | ●大湊高等学校女子寮 | 黒石市中町 | 鳴海家(菊乃井) | 中村亀吉酒造店 |
駅舎 | 旧海軍乙官舎 | 町並み保存地区 | 主屋 | 主屋 |
むつ市大湊新町 | むつ市大湊 | 黒石市中町地区 | 黒石市中町 | 黒石市中町 |
1921(大正10年) 撮影 92-08 | 1915(大正4年) 撮影 92-08 | 町並み 撮影 92-08 | 1806(文化3年) 撮影 18-10 | 1913(大正2年)撮影 18-10 |
★ | ★ 取毀 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★市指定文化財 | ★伝統的建造物群保存地区 |
size 3255 X 1452 | size 3174 X 2109 | size ・・8点 | size 3483 X 2229 | size 4000 X 2672 |
02-0026-06 | 02-0026-07 | 02-0030-01 | 02-0030-02 | 02-0030-03 |
江戸時代の中町には、造酒屋、しょう油屋、みそ屋、米屋、呉服屋などの商店が、前町には、旅籠が数軒立ち並んでいた。保存地区の町並みの特徴は、主屋の1階の高さに合う1間の庇を付け、歩行者が自由にここを通行出来る。 |
鳴海家は文化3年に創業した老舗の造り酒屋で菊乃井が有名。鳴海家住宅主屋は創業時の建築。主屋と作業場、土蔵(大正2年建築)は一体化している。道路側には「こみせ」が取り付けられ長さは23間半もある。 |
中村亀吉酒造店は大正2年創業の『玉垂』で有名な酒造店である。木造2階建て、妻入り、金属板葺きの大型町屋建築で表の道路側に雪国の特徴である「こみせ」が設けられている。店の前にある酒林は、日本一と言われている。 |
黒石市消防団第三分団 | 黒石市消防団第二分団 | 黒石市消防団第一分団 | 黒石市消防団第一分団 | りんご資料館 |
第三消防部屯所 | 第二消防部屯所 | 第一消防部屯所 | 第一消防部屯所 | 旧青森県りんご試験場 |
黒石市元町 | 黒石市元町 | 黒石市山形町127 | 黒石市山形町127 | 黒石市大字牡丹平字福民2 |
1924(大正13年) 撮影 18-10 | 1920(大正9年) 撮影 92-07 | 1946(昭和21年) 撮影 18-10 | 1946(昭和21年) 撮影 92-07 | 1931(昭和6年) 撮影 92-07 |
★県指定文化財 | ★ | ★ | ★ | ★ |
size 2540 X 3856 | size 2084 X 3188 | size 2336 X 3448 | size 1979 X 2649 | size 3312 X 2103 |
02-0030-04 | 02-0030-05 | 02-0030-06 | 02-0030-07 | 02-0030-08 |
大正13年に建てられた建物は木造二階建で、二階前方にバルコニーを設けていた。昭和3年に消防自動車の配備に伴い、一階部分を増築し、バルコニーを取り外した。洋風のデザインを取り入れた望楼付きの消防屯所。 |
黒石市消防団第二分団屯所の建築は市内で最も古い、大正9年屯所である。木造2階建てで、1階は消防車を格納する溜め少し背が高く、2階は詰所になっている。望楼は四角で屋根もシンプルな四角い宝珠作りになっている。 | 黒石市消防団第一分団屯所は山形町にあり、昭和21年の建築である。木造2階建、妻入りで、正面右側の屋根上部に洋風の望楼がある。望楼の外壁は下見板張りで、洋風建築の要素を取り入れてある。屋根は切妻屋根である。 |
りんご史料館は旧青森県りんご試験場の建物であった。イギリスのイーストモーリング研究所の建物を参考にし建てられた洋風の建物である。平成14年に改修工事を行い、建設当初とほぼ同じように復元された。写真は復元前。 |
上原呉服店 | マルチ薬局 | ● 旧南津軽郡役所 | ● 東英小学校校舎 | 斜陽館 |
店舗 | 店舗 | 庁舎 | 校舎 | 旧津島家住宅 |
黒石市前町 | 黒石市前町 | 黒石市黒森山 | 稚弘前市文京町 | 黒石市上山形 |
1932(昭和7年) 撮影 18-10 | 1929(昭和4年) 撮影 18-10 | 1907(明冶40年) 撮影 92-07 | 1948(昭和23年) 撮影 92-07 | 1907(明冶40年) 撮影 92-07 |
★ | ★ | ★ | ★ 取毀 | ★県指定文化財 |
size 3280 X 2240 | size 3841 X 2663 | size 2352 X 2106 | size 3043 X 1936 | size ・・13点 |
02-0030-09 | 02-0030-10 | 02-0030-11 | 02-0030-12 | 02-0032-01 |
教会堂の建物は明治43年に建てられた。設計はオージェ神父で、施工は棟梁は堀江佐吉の弟の横山常吉が担当した。木造平屋建て、鉄板葺、外壁はモルタル仕上げ、中央の尖塔があり、丸窓、縦長の開口部など当時の洋風建築。 |
● 飯詰浄水場 | 盛美園 | 盛美園 | 尻屋崎灯台 | 尻屋崎灯台 |
旧清藤弁吉別邸 | 旧清藤弁吉別邸 | 灯台 | 灯台 | |
五所川原市飯詰字日影沢 | 平川市猿駕 | 平川市猿駕 | 下北郡東通村尻屋崎 | 下北郡東通村尻屋崎 |
昭和初期 撮影 11-08 | 1909(明治42年) 撮影 99-08 | 1909(明治42年) 撮影 87-12 | 1876(明治9年) 撮影 87-12 | 1876(明治9年) 撮影 96-08 |
★ 取毀 ? | ★国指定名勝 | ★国指定名勝 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 |
size 4192 X 3065 | size 3046 X 2073 | size 2476 X 1695 | size 3105 X 2054 | size 3215 X 2096 |
02-0032-02 | 02-0036-01 | 02-0036-02 | 02-0100-01 | 02-0100-02 |
地元の資産家であった清藤盛美が庭師の小幡亭樹を招き、作成した武学流の庭園である。洋館、盛美館は1階は庭園を鑑賞するため縁側を付けた和風。2階は庭園を見渡せる東北角に八角形のドーム屋根を付けた和洋折衷の建築。 | 本州最北東端に位置する尻屋崎の突端に、白亜の灯台がある。明治9年、洋式灯台として点灯した。設計は日本の灯台の父である英国人のブラントンである。太平洋戦争末期に破壊されたがRC造および石造により再建している。 |
佐滝別邸 | 旧富田歯科医院 | 五戸町消防団 | 名川町消防団 | 北川村消防団 |
主屋 | 第九十銀行三戸支店 | 第1分団屯所 | 第四分団屯所 | 第三分団屯所 |
三戸郡三戸町大字梅内 | 三戸郡三戸町 | 三戸郡五戸町新町 | 三戸郡南部町名川 | 三戸郡南部町名川 |
1925(大正14年) 撮影 96-06 | 1924(大正13年) 撮影 96-08 | 1922(大正11年) 撮影 96-08 | 昭和初期 撮影 96-08 | 昭和初期 撮影 96-08 |
★国登録文化財 | ★ | ★県指定文化財 | ★ 不明 | ★ 不明 |
size 3146 X 1816 | size 3196 X 2051 | size 1935 X 2575 | size 2780 X 1556 | size 3877 X 2050 |
02-0010-23 | 02-0010-24 | 02-0010-25 | 02-0010-26 | 02-0010-27 |
佐瀧家は明治19年に酒類を取り扱う雑貨商として創業した。望楼の付いた2階建の洋館と,数寄屋造の平屋建の和館からなる。大正14年に設計、施工は弘前の堀江組で堀江佐吉の六男・堀江金蔵が担当した。本店も同時期に建築。 | 町民有志に新築運動により、大正11年に建築される。望楼を含めて、木造5階建で町内一の規模の消防屯所である。外壁は下見板張り、縦長の窓など当時の洋風建築のデザインを取り入れた。青森県指定の文化財になっている。 |
鶴田町歴史文化伝承館 | 板柳町立郷土資料館 |
旧水元小学校校舎 | 旧役場庁舎正面玄関 |
北津軽郡鶴田町廻堰 | 北津軽郡板柳町大字灰沼 |
1935(昭和10年) 撮影 99-08 | 1899(明治32年) 撮影 11-08 |
★町指定文化財 | ★町指定文化財 |
size 3312 X 2071 | size 4260 X 3216 |
02-0140-01 | 02-0142-01 |
昭和11年に建築された、木造2階建ての旧・水元小学校の校舎が「鶴田町歴史文化伝承館」として、公開されている。校舎は総ヒバ造りの建物で木造校舎が、そのまま残っているのは少ない。町指定の文化財になっている。 | 郷土資料館の建物は、昭和27年に板柳中学校校舎として建造されたものである。玄関部分は明治32年に建てられた、旧板柳尋常高等小学校の玄関である。昭和2年に小学校が新築され、校舎が役場及び公会堂として使われていた。 |