東京2はこちらから
桜田門 | 増上寺三解脱門 | 台徳院霊廟惣門 | 有章院霊廟仁天門 |
千代田区千代田1-1(皇居) | 港区芝公園4-7-35 | 港区芝公園4-8-2 | 港区芝公園3-3 |
竣工/明暦の大火後 | 竣工/元和8年(1622/江戸前期) | 竣工/寛永9年(1632/江戸前期) | 竣工/享保2年(1717/江戸中期) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
高麗門と櫓門で構成される。櫓門と高麗門共に現存するのは稀である。櫓門は徳川家康入城時の天正18年(1590)には小田原への道(中原街道)の起点である事から小田原口と呼ばれた柵戸仕立ての門。清水門と同様「明暦の大火」後の寛永13年(1636)の再建。高麗門は寛文3年(1663)再建、関東大震災で一部が壊れ鋼鉄土蔵造りに改修された。 列島古建築紀行に掲載 | 別名「三門」とも呼ばれる。三解脱とは「貪欲、怒り、愚か」の三煩悩をいい、この門をくぐることにより三悪を解脱するという門で、三戸楼門、入母屋造、朱塗り、唐様を基本に和様を加味する。大きさは間口約19m、高さ約21m、内部には釈迦三尊と十六羅漢を安置しる。日比谷通りに面してたつ。 |
二代将軍・徳川秀忠霊廟の表門。戦火で霊廟の多くを焼失。この門だけが現地現存で、勅額門などは埼玉県狭山市にユネスコ村に移築、保存されている。門内に安置する仁王像は区指定文化財。
|
有章院は幼くして亡くなった七代将軍・徳川家継の院号。霊廟は八代将軍・吉宗によって建立された華やかな霊廟だったが、太平洋戦争の戦火でこの門を残して全て焼失した。朱塗り、中央に観音開きの桟唐戸が入り、左右に二天像うを安置する。 |
瑞聖寺大雄宝殿 | 護国寺観音堂(本堂) | 護国寺仁王門 | 東京大学赤門 |
港区白金 | 文京区大塚5-40-1 | 文京区大塚5-40-1 | 文京区本郷7-3-1 |
竣工/宝暦7年(1757/江戸中期) | 竣工/元禄10年(1697) | 竣工/元禄後・18世紀前期 | 竣工/文政10年(1827/江戸後期) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★区指定文化財 | ★国指定重要文化財 |
当寺は、江戸で最初の黄檗宗に寺院である。大雄宝殿は入母屋造、本瓦葺、身舎の外側に裳階を廻らせた黄檗宗の仏殿。都心のビル街と思えぬ雰囲気を持つ建築と境内である。庫裏の設計は隈研吾。
|
護国寺は神齢山悉地院と号し、天和元年5代将軍綱吉の生母・桂昌院の発願により、開山された真言宗豊山派の大本山。創建時の本堂は(36坪)でしたが、現在の本堂である観音堂(161坪)は、元禄10年正月、幕府により造営された。方七間、入母屋造、向拝三間、瓦棒銅板葺。戦禍を免れた大御堂。 | 本堂より少し後の竣工。建立は、元禄10年造営の本堂よりやや時代が後と思われる。正面両脇に金剛力士像。(右側は阿形像・左側は吽形像)、背面の両脇には二天像(右側は増長天・左側は広目天)の仏法を守る仏像が安置されている。 |
加賀藩13代藩主・前田斉泰が11代将軍・徳川家斉の第21女・溶姫を正室に迎えた時に建立した御守御門である。当時、三位以上の大名が将軍家から妻を迎える時の住居を御守殿といい、通りから出入りする朱塗りの門を御守御門と呼んだ。様式は医薬門、切妻造、本瓦葺、左右に唐破風造の番所を置いている。 |
浅草寺二天門 | 浅草神社 | 根津神社 | 旧因州池田屋敷表門(黒門) |
台東区浅草2-3 | 台東区浅草2-3 | 文京区根津1-28-9 | 台東区上野公園13 |
竣工/慶安2年(1649/江戸前期) | 竣工/慶安2年(1649/江戸前期) | 竣工/正徳4年(1714) | 竣工/江戸末期 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
本堂東にある門で、当初は随神門といわれ豊岩間戸命、櫛岩間戸命を守護神像として祀っていた。明治17年の神仏分離によって二天門となった。現在の安置される広目天と増長天は上野寛永寺の徳川家綱霊廟から移されたものである。 |
通称「三社様」。三代将軍・徳川家光の寄進で創建された。社伝によれば漁師の檜前浜成、竹成兄弟が隅田川で漁中に聖観音像を網で得て、土師真中知に相談した。土師はこれを安置し、後に自ら剃髪し自宅を寺とした。これが浅草寺の始まりで、後に土師、浜成、竹成の三者(三社様)を祀ったのが浅草神社の起源である。 |
この地は、5代将軍綱吉の兄である甲府中納言綱重の屋敷で、6代将軍綱豊(家宣)が生まれた地である。このため、根津神社はその産土神となった。宝永3年綱吉は現在地に社殿を造営した。権現造りの完成形として見事な姿を残す建築は、本殿、拝殿、幣殿、唐門、楼門、透塀が国の重要文化財に指定されている。 |
元は丸の内小路(千代田区)の鳥取藩池田家上屋敷にあった門。堂々たる姿から「上野の黒門」と呼ばれる。入母屋造、本瓦葺。左右に向唐破風造の番所を供えており、大名屋敷門として最も格式ある門。
|
寛永寺旧本坊表門 | 常憲院殿勅額門 | 厳有院殿勅額門 | 旧寛永寺五重塔 |
台東区上野公園14 | 台東区上野桜木1-16-15 | 台東区上野桜木1-16 | 台東区上野公園9-88 |
竣工/寛永2年(1626/江戸前期) | 竣工/宝永6年(1709/江戸中期) | 竣工/竣工/延宝8年(1680) | 竣工/寛永16年(1639/江戸前期) |
★国宝 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
切妻造、本瓦葺。潜門のつく医薬門である。医薬門とは本柱が門の中心から前方にずれ、本柱と控柱を結ぶ梁の中間部分に束を載せ、その上に切妻屋根を乗せた門の事である。門扉には上野戦争(戊辰戦争)時の弾痕がある。 | 常憲院殿(5代将軍徳川綱吉)霊廟勅額門 宝永6年建造 国指定重要文化財 霊廟は昭和20年の東京大空襲でこの門と水盤舎〈国指定重要文化財〉を残して焼切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺の朱塗りの四脚門。/td> | 竣工時期が複数出てくる建築。家光霊廟勅額門の移築ともある。それなら家光の上野霊廟(焼失/門は残った)の竣工年慶安4年(1651/江戸前期)にと考えられる。切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺の朱塗りの四脚門。 |
総高32m、全層和様。江戸期の多くの塔は和様、唐様に折衷様式がほとんどなので珍しい例である。屋根は四層までは本瓦葺で五層のみ銅板葺。初層の蟇股には十二支が装飾されている。 |
清水観音堂 | 上野東照宮 | 円融寺釈迦堂 | 日本民芸館西館長屋門 |
台東区上野公園 | 台東区上野公園 | 目黒区碑文谷1-22-22 | 目黒区駒場4-3-33 |
竣工/寛永8年(1631/江戸前期) | 竣工/慶安4年(1651/江戸前期) | 竣工/室町初期 | 竣工/明治13年(1880) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国登録文化財 |
京都の清水寺を模して建てられた舞台造(懸造り)の堂。上野の山に現存する創建年時の明確な最古の建造物。 |
寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。現在の社殿は慶安4年に家康の孫である三代将軍・家光がが改築し、日光東照宮まで参拝に行けない人々のために建立したといわれる。戊辰戦争や太平洋戦争の戦禍も免れた強運の神社である。 | 23区内最古の木造建築。唐様に和様を加味した御堂。屋根は茅葺から銅板葺になっている。火災予防の見地からというが残念である |
栃木県宇都宮市からの移築。屋根(入母屋造)と腰下の壁に大谷石を用いている。南北に伸びる塀は腰下の仕上げを変え、意匠を長屋門に合わせている。 |