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那古寺多宝塔 石堂寺本堂 石堂寺多宝塔 石堂寺薬師堂
館山市那古1125 南房総市石堂302 南房総市石堂302 南房総市石堂302
竣工/宝暦11年(1761/江戸中期) 竣工/永正10年(1513/室町後期) 竣工/天文14年(1545/室町後期) 竣工/天正3年(1575/安土桃山)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
方三間、銅板葺。床下を八角柱とし床上は面取の方柱である。切目縁に和様高欄を付ける。内部の四天柱のうち前方二本を欠く特色を持つ。心柱の墨書銘によって工匠名も判る。大工棟梁、府中の上野庄右衛門、那古の加藤清兵衛など、地元大工。 石堂寺は石塔寺とも呼ばれ、中世には、栄えた寺であったといわれる。堂は、禅宗様式を主とした折衷様式で、正面3間、側面4間で、屋根は茅葺形銅板葺の寄棟造。周囲には回縁をめぐらし、規模のわりに太い柱に太い梁が使用され重量感がある。
下層は方三間とし各面中央に両開きの桟唐戸を設け、上層の胴部には勾欄をめぐらし、上下の接続部分の亀腹は漆喰塗り。和様+唐様。内部に慶派仏「千手観音」を安置する。建立は、改修時に露盤に刻された天文14年の紀年銘が確認された。 石堂寺に属する仏堂として、丸山町石堂原にあったものを昭和46年に移築復原した。組物は側回りを三斗組、茅葺の仏堂。チョウナ削りの床が残る。移築復原の際に行われた解体修理で、墨書が発見され、建立年は天正3年であることが判明した。

 

旧尾形家住宅 薬王院薬師堂 大山寺不動堂 水田家住宅
南房総市石堂302 鴨川市粟斗179-1 鴨川市平塚1718 鴨川市西339-1
竣工/享保13年(1728/江戸中期) 竣工/1645(正保2年) 竣工/1802(享和2年) 竣工/江戸時代後期
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国登録文化財
尾形家は、丸山町(現在の南房総市)で名主を務めた旧家。居間と土間を別棟にした南方家系の分棟型民家。丸山町から移築。移築復原された際、享保13年の墨書が発見され、建築年代が判明した。 王院薬師堂は、宝形造の屋根を持ち、間口3間、奥行3間のいわゆる三間堂。前一間を外陣として後方内陣とする。内外陣柱に正保5年の墨書銘があり、江戸時代中期の建造物であることがわかる。 大山寺は、高倉山の中腹にあり、境内からは、長狭平野や鴨川市街が一望できる。建築年代は棟礼から江戸時代末期の享和2年と推定される。向拝の龍の彫刻は、波の伊八こと武志伊八郎信由の作品。 1次池田内閣以来7回にわたり大蔵大臣を務めた政治家、水田三喜男は市内曽呂に生まれた。生家の主屋は江戸時代後期に建てられ、房総民家の特色をもっている。長屋門は明治初期に建てられた。

 

鏡忍寺 永明寺向唐門 鳳来寺観音堂 仁王門
鴨川市広場1413 鴨川市西町1146 市原市吉沢237-1 夷隅郡大多喜町泉水
竣工/ 竣工/文化9年(1812) 竣工/室町後期 竣工/江戸初期
★市指定文化財 ★市指定文化財 ★国指定重要文化財 ★市指定文化財
鏡忍寺は、日蓮聖人「小松原の法難跡」として有名な日蓮宗の寺である。欄間彫刻は天明年間初め(1782頃)の製作と推定され、初代・伊八30代前半の作品。新築された祖師堂の中に展示されている。 山門の年代は、棟札から文化9年に改築されていることが判明している。1間1戸の妻入りで、前にある主柱は粽(ちまき)つき円柱で、後ろの控え柱は角、虹梁の上に蟇股、絵様は江戸後期のものである 旧善福寺の廃寺により鳳来寺に合併されて鳳来寺観音堂となった。方三間、寄棟造、茅葺で周囲に切目縁を廻す。柱は円柱で禅宗様の「粽(ちまき)」という形式をもち、軒は扇垂木、二手先詰組。 この仁王門はここに有った旧泉水寺と関連するものと思われる。その跡地には虚空蔵堂が有り、隣地に県指定文化財の六所神社本殿が有る。構造形式は八脚門で元は茅葺きであったが銅板葺きに替えた。

 

六所神社本殿 六所神社本殿蟇股 渡辺家住宅 大聖寺不動堂
夷隅郡大多喜町泉水120 夷隅郡大多喜町泉水120 夷隅郡大多喜町久保26 いすみ市大原10676
竣工/文明8年(1476) 竣工/文明8年(1476) 竣工/嘉永2年(1849/江戸後期) 竣工/室町後期
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
三間社流造で、屋根は建築当初流板葺であったが平成の修理時に茅葺形銅板葺に改められている。組物は和様三斗で、中備に本蟇股を置く。向拝と主屋を水平の虹梁で繋ぐ、中備を間斗束とする。
正面欄間の蟇股は、肩から脚がでる形で、茨城県水戸・薬王院や栃木県・西明寺など室町後期の建築に見られる。蟇股の内部に宝珠を中心とした唐草模様の透かし彫りがあり、古様である。 大多喜藩の御用商人で屋号は「穀屋」。棟札から嘉永の建立年代が判明。二階建町屋形式で一階は店舗で前面に土庇が付く。千葉県には少ない近世商家建築の遺構として貴重な存在である。
大聖寺(だいしょうじ)は通称「波切不動」。地元の漁師の妻が海中で発見した不動明王像を安置したのが始まりと伝わる。不動堂は寄棟造、茅葺。岬町の清水寺からの移築。三間堂、茅葺き。

 

飯縄寺本堂 行元寺旧書院 芥川荘 芥川荘
いすみ市和泉2935 いすみ市萩原2136 長生郡一の宮町9241 長生郡一の宮町9241
竣工/享保12年(1732) 竣工/寛文13年(1673) 竣工//明治30年(1897) 竣工/明治30年(1897)
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国登録文化財 ★国登録文化財
元禄16年の大地震による大津波で被害を受けて現在の地に移転した。寛政9年に現在の本堂が再建された。本堂は、桁行3間、梁間4間の本屋の正面に1間の向拝を設ける。本堂内には、「武志伊八郎信由」の銘文のある「牛若丸と大天狗の図」が欅の一枚板に彫られている。 第37世栄長の書院として、文化6年に竣工したもので、その後現在の地に曳屋して客殿としたもの。寄棟造の茅葺で、座敷の周囲を廊下が取り巻いている。側面に内玄関を設けている。波の彫刻で有名な彫刻師武志伊八郎の彫刻入り欄間が組み込まれている。五楽院等随の鷹の絵もある。 一宮川河口に位置する旅館・一宮館の離れで、大正5年(1916)8月17日~9月2日まで、24才の芥川龍之介は友人・久米正雄(作家・劇作家)とこの離れに滞在した。離れは木造平屋建、茅葺寄棟造、主室、次の間(共に6畳)の三方に濡縁を回し、その一端に洗面所が付いている。 建物の状態は、やや傷みはあるもののほぼ当時のままで、松風、潮の匂いが流れる海辺の宿の風情が良く残されている。芥川は滞在中に、後に妻となる塚本文に長い求婚の手紙を送り、一宮での思い出を「微笑」「海のほとり」「玄鶴山房」「蜃気楼」などの作品に登場させている。

 

笠森寺 浄泰寺本堂 浄泰寺山門 長勝寺浪切不動堂
長生郡長南町笠森302 山武郡九十九里町真亀2448 山武郡九十九里町真亀2448 山武市成東2551
竣工/文禄年間(安土桃山) 竣工/延宝年間(1673-81) 竣工/室町後期 竣工/明和3年(1766/江戸後期)
★国指定重要文化財 ★市指定文化財
通称「笠森観音」坂東三十三観音の札所。。大岩上に建てられた観音堂は、61本の柱で支えらた四方懸造と呼ばれる日本唯一の特異な建築様式。75段の階段を上がった回廊からの眺望は一見に価する。
浄泰寺の縁起によると、文明18年に日曜和尚が真言宗の寺院として開山したという。東金殿(上総酒井定隆)の時代に日蓮宗(現・顕本法華宗)に改修したという。本堂は延宝年間の建立。 石碑によると永正3年に日耀上人により開基されるとある。山門は本柱、控柱ともに丸柱の四脚門。正面は詰組、妻側は海老虹梁、組物や木鼻など絵様の細部様式はこの時代の様式を示している。 鐘楼の建立も講堂と同じ頃で、桁行1間、梁間11間、入母屋造であったが、平成4年(1992)の修理の際に屋根裏に残っていた部材などから、鉄板葺前の屋根材が判明し、栩葺きに復原されている。

 

観音経寺三重塔 観音経寺本堂 観音経寺門前町旅館遺構 旧藪家住宅
山武郡芝山町芝山298 山武郡芝山町芝山298 山武郡芝山町芝山 山武郡芝山町芝山414-1
竣工/1814(文化11年) 竣工/1719(享保4年) 竣工/明治末期 竣工/江戸中期
★県指定文化財 ★県指定文化財
三重塔は、方三間、総欅造、銅板平葺で、柱はすべて円柱で、正面1間は両開きの桟唐戸である。各層とも和様の板壁で、柱上に三手先斗栱を配し、初層の尾垂木のみに竜の彫刻を付け、他は彫刻を付ける穴がみられるだけである。 観音経寺は江戸時代、十万石の格式を持つ伴頭拝領寺として関東天台の中核をなす寺院であった。火事・泥棒除け・厄除けの仁王尊として江戸の庶民の信仰を集めた。本堂は江戸中期の建立で無関円鉄の彫物などが有る。 火事泥棒除けの仁王尊として信仰を集め、各地より多くの参拝者が訪れた。仁王尊の門前には旅人のための茶屋や旅籠などの店が天保の絵図には十一軒も描かれていた。写真の建物も明治の終わり頃に建てられたものである 旧藪家は、江戸時代に代々名主を勤めていた家柄で、現在の山武市板川に住宅は建てられていた。建立年代は江戸時代中期で、平成元年に芝山公園に移築された。建物は、間口10間、奥行4間半の茅葺寄棟造である。

 

伊藤左千夫生家 伊藤左千夫生家 大原幽学旧居 林家住宅
山武市殿町393 山武市殿町393 旭市長部312 旭市長部312
竣工/江戸後期 竣工/慶安4年(1651/江戸前期) 竣工/天保13年(1842) 竣工/天保15年(1844)
★県指定史跡 ★県指定史跡 ★国指定史跡 ★県指定文化財
伊藤左千夫は元治元年(1864)にこの家で生まれた歌人・小説家。家は茅葺、平屋の中農民家。敷地内には東京本所茅場町かの自宅から移築された茶室「唯真閣」もある。
 列島古建築紀行に掲載 大原幽学は幕末に農村改革をし、実践跡である耕地地割が史跡として指定を受けている。天保13年に住居として改築したものである。台所、便所、押入などを備えてあり質素で丈夫な造りになっている。 幽学の高弟だった匝瑳郡十日市場村(現旭市)の名主役を勤める林伊兵衛の住居。幽学の指導を受けて建てたと伝えられ、天保15年の墨書銘が部材にある。

 

飯高神社本殿 飯高寺講堂 飯高寺鼓楼 飯高寺鐘楼
匝瑳市飯高椙山 匝瑳市飯高1789 匝瑳市飯高1789 匝瑳市飯高1789
竣工/宝暦8年(1758/江戸中期) 竣工/慶安4年(1651/江戸前期) 竣工/享保5年(1720/江戸中期) 竣工/慶安4年(1651/江戸前期)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
本殿は、三間社流造で外面の全体に彫刻が取り付けられている。周囲には銅板葺の屋根をもつ目かくしの板塀を巡らし、前面には拝殿を配している。壁面、小壁に二十四孝等の彫刻が施してある。
天正8年(1580)から明治7年(1874)までの294年にわたって日蓮宗の檀林(学問所)が置かれた。講堂は慶安4年、水戸藩の援助で建立された。講堂は寄棟造、とち葺。平面は方丈形式。 鼓楼は享保5年の建立で、桁行1間、梁間1間、袴腰付で入母屋造茅葺きである。総門、鼓楼、鐘楼、講堂が国重文で、境内全域が県指定史跡である。総門は高麗門で天明2年(1782)の建立。 鐘楼の建立も講堂と同じ頃で、桁行1間、梁間11間、入母屋造であったが、平成4年(1992)の修理の際に屋根裏に残っていた部材などから、鉄板葺前の屋根材が判明し、栩葺きに復原されている。

 

2020.03.16  21.03.05修正

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