下総地区
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法華経寺五重塔 | 戸定邸(旧徳川昭武別邸) | 戸定邸(旧徳川昭武別邸) | 旧花野井家住宅 |
市川市中山2-10-1 | 松戸市松戸642-1 | 松戸市松戸642-1 | 野田市清水馬作902 |
竣工/元和8年(1622/江戸前期) | 竣工/明治17年(1884) | 竣工/明治17年(1884) | 竣工/17世紀後半 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
本阿弥家光室が故父母・妙光のために元和8年に、加賀藩主前田利常の援助を受けて建てたもの。和様、朱塗りの塔。方三間、初層から四層までは軒二重垂木で最上階だけ扇垂木。二層以上は四周高欄付。 | 国道6号線・水戸街道の通る、松戸は古くから水戸藩と繋がりの深い土地であった。戸定邸は江戸川を臨む下総台地上にある。徳川昭和武の別邸だが、戸定邸の「戸定」は地名に由来するものである。 | 明治30年代には実兄の元将軍・徳川慶喜も訪れている。延床面積725㎡、9棟の建物に23の部屋があり、うち8棟が国重文である。上流階級の明治邸宅建築として歴史的価値が高い。 |
花野井家は幕府直轄の小金牧の牧士を任され名字帯刀を夜された家柄である。牧士は野馬奉行配下で牧の管理、野馬の捕獲を指揮した。家は寄棟造、茅葺、桁行15.5m、梁間9.1m。流山市からの移築。 |
上花輪歴史館(高梨家住宅) | 上花輪歴史館(高梨家住宅) | 栄福寺薬師堂 | 宝珠院観音堂 |
野田市上花輪507 | 野田市上花輪507 | 印西市角田2 | 印西市小倉1138 |
竣工/明和3年(1766)~昭和6年 | 竣工/明治12年(1879)~昭和6年 | 竣工/文明4年(1472/室町中期) | 竣工/永禄6年(1563/室町後期) |
★国名勝 | ★国名勝 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
醤油醸造(寛文元年創業)を家業とし、代々名主を勤めたていた高梨家の住宅、庭園を歴史館として公開したもの。明和3年築の長屋門、文化3年築の書院等々各時代の多彩な建築が見られる。 |
列島古建築紀行に掲載 | 方三間、寄棟造、茅葺の朱塗りの御堂。向拝部分は江戸時代中期の増設。内部は外陣鏡天井に極彩色の天女図を描き、内陣には額彩色の須弥壇が設けられている。棟札に「文明四年成就」と墨書銘があり | 宝珠院は、貞観年間開基と伝えられる古刹、現在はこの観音堂のみ。方三間、寄棟造、茅葺。内部は前部一間が外陣、後部二間が内陣。天井の一部に色彩装飾があり通称「光堂」とも呼ばれている。 |
新勝寺釈迦堂 | 新勝寺額堂 | 新勝寺三重塔 | 龍正院仁王門 |
成田市成田1-1 | 成田市成田1-1 | 成田市成田1-1 | 成田市滑川1196 |
竣工/安政5年(1858/江戸末期) | 竣工/文久元年(1861)江戸後期 | 竣工/正徳2年(1712/江戸中期) | 竣工/文亀年間(室町中期) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
旧本堂。方5間、入母屋造、瓦棒銅板葺、正面は千鳥破風と一間の軒唐破風付向拝を設ける。安政5年に3代目の本堂として建立され、昭和43年に今の大本堂が出来上がるまでの110年間、本堂として使われていた。大本堂の建立に伴い現在の場所に移築された。 | 額堂は、書画や工芸、数学(和算)の研究成果を記した算学絵馬等を奉納展示して、公開で技を競う場としても活用されていた。桁行書面3間、背面6間、梁間2間、入母屋造、四方吹放ちである。建物の彫刻は、江戸深川の彫工後藤勇次郎経慶の作品である。 | 中規模の塔で軒板に極彩色の雲文を浮き彫りにしている。大工棟梁は常陸の宮大工・桜井瀬左衛門、彫物は無関円鉄。二人の関わった建物には龍の尾垂木が使われている。塔の初層(重)内陣には「五つの智慧」をあらわす五智如来が安置されている。 | 当院は通称「滑河観音」坂東三十三観音の札所。門は寄棟造、茅葺の簡素な八脚門。昭和26年の仁王門解体修理のおり、仁王尊の胎内から文亀2年から3年までの多数の墨書願文が発見された。仁王門の再建もこの頃の可能性が考えられている。柱は十六角柱である。 |
旧但馬家住宅 | 旧但馬家住宅 | 旧河原家住宅 | 旧武居家住宅 |
佐倉市宮小路町61 | 佐倉市宮小路町61 | 佐倉市宮小路町57 | 佐倉市宮小路町60 |
竣工/安政5年(1858/江戸末期) | 竣工/文久元年(1861)江戸後期 | 竣工/正徳2年(1712/江戸中期) | 竣工/文亀年間(室町中期) |
★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★県指定文化財 | ★国登録文化財 |
佐倉武家屋敷・・佐倉城址にある歴史民族博物館の裏手に、城下町佐倉の面影を残す土塁と生垣の通りに面して、武家屋敷が現在公開されている。3棟とも江戸時代後期の建築で、佐倉藩士が暮らしていたものである。 | 佐倉武家屋敷・・旧但馬家住宅は、当時より現在の場所に建っていた。復元されるおり、屋敷地や庭木など周囲の環境も含めて保全され、敷地全体が武家屋敷の形状を残している。建物内の見学・休憩ができる。 | 佐倉武家屋敷・・旧河原家住宅は武家屋敷町の旧鏑木小路にあった。佐倉藩の武士が居住した名残りを良好に残している。建築年代は明確ではないが、弘化2年3月の「河原喜右衛門江屋敷相渡帳」という記録から、この頃か。 | 佐倉武家屋敷・・旧武居家住宅は、移築にともない出土した武家屋敷関連の資料の展示が見られる。表向と生活空間を二列に分けた平面が特徴的。細い木柄の柱を一間毎に立てる古い形式である。江戸時代後期に建てられた。 |
常福寺本堂 | 常灯寺本堂 | 香取神宮楼門 | 光明院阿弥陀堂 |
成田市名木953 | 銚子市常世田町53-1 | 香取市香取1697 | 香取市多田637 |
竣工/享保12年(1732) | 竣工/寛文13年(1673) | 竣工/元禄13年(1700) | 竣工/天正6年(1578/安土桃山) |
★ | ★県指定文化財 | ★国指定重要文化財 | ★県指定文化財 |
中興の宥鑁上人が、寛永三年身の丈六尺程の青銅の不動尊を鋳造しお堂を造り安置した。宥鑁上人はここで生まれ、成田山新勝寺の住職なった。その折、家康に呼ばれ、「鬼平犯科帳」で有名な江戸の弥勒寺を創建した。常福寺本堂の大工棟梁は桜井瀬兵衛政信。 | 常灯寺は常世田薬師の名で知られ、江戸時代から明治時代までは東総の三薬師として隆盛をきわめた。本堂は、草葺の寄棟造で桁行5間、梁間6間、正面向拝1間の仏堂であった。近年の修理で茅葺き型銅板葺きに替えられた。向拝の龍は無関(島村)円鉄の作。 | 香取神宮の祭神は、出雲の国譲り神話の中で、鹿島神宮の祭神である武甕槌命とともに出雲に赴いた経津主命である。三間一戸、朱塗り、入母屋造銅板葺(元はとち葺)。本殿も同年竣工で国重文。拝殿は昭和15年竣工で国登録文化財。旧拝殿は県指定。 | 竣工年の裏付けはない。方三間、寄棟造、茅葺の仏堂。柱は角柱、上部が丸みを持ちながらすぼまる粽(ちまき)。四周に縁を廻す。組物は禅宗様。内部は一間の向拝は後補と思われる。内部の天井は格天井で中央部のみ格子を大きくして鏡天井としている。 |
佐原の町並み | 正上醤油店 | 正文堂書店 | 木の下旅館 |
香取市佐原 | 香取市佐原イ3406 | 香取市佐原イ503 | 香取市佐原イ498 |
竣工/ | 竣工/天保3年(1832/江戸後期) | 竣工/明治43年(1910) | 竣工/明治13年(1910) |
★伝統的建造物群保存地区 | ★県指定文化財 | ★県指定文化財 | ★ |
江戸時代に舟運が盛んになり、小野川沿いなどが物資の散集地として発展した町である。江戸時代から昭和時代にかかけて建てられた木造の町屋や土蔵が連なり、町を東西に走る香取街道と小野川沿いに懐かしい家並みが連なり川風が柳を揺らす風情ある水辺の昔町である。 |
古くは油店、天保3年以降は醤油業を営む。店舗の前の小野川岸は荷上場だった。建物の一階は揚げ戸(鎧戸)を建て込み、外側の土庇を格子戸と壁で囲う。軒を大きくせり出した「せがい造り」である。土蔵も県指定で明治前期の竣工。「いかだ焼本舗正上」で知られる佃煮舗でもある。 | 木造二階建、土蔵造、切妻桟瓦葺屋根。大黒柱は欅財、二階の窓は開き戸、さらに横引きの土とに板戸と三重の防火設備を備えている。棟札により、建立年代と工匠名も判明し、大工は高野友三郎、柳沢重蔵である。 |
小野川沿いにたつ木造旅館。創業時の建物で、内部には20mはあろうかという桁材が見られる。木造二階建。江戸時代の小野川は利根川に通ずる運河で往時は多くの川船が往来し、木の下旅館も船宿として賑わった。 |
2020.03.12 12.20修正