埼玉南部はこちらから
|
小林家住宅 | 広徳寺大御堂 | 安楽寺三重塔 | 八宮神社本殿 |
桶川市寿1-14-11 | 比企郡川島町大字表 | 比企郡吉見町御所374 | 比企郡小川町990-1 |
竣工/江戸後期 | 竣工/室町後期 | 竣工/寛永年間 | 竣工/天保4年(1833/江戸後期) |
★国登録文化財 | ★国指定重要文化財 | ★県指定文化財 | ★町指定文化財 |
もと旅籠を材木商が幕末から店舗に用いてきた。切妻造、平入、二階建。二階の軒は出桁造で開口部に横一杯に繊細な格子を建て込んでおり、旅籠の面影を伝えている。 |
大御堂(おおみどう)とは平安末期から鎌倉期にかけての阿弥陀堂のこと。この御堂は13世紀初めに北条政子が美尾屋十郎廣徳の菩提を弔うために建立したと伝えられている。建物はその後再建されたもので、方三間、寄棟造、茅葺屋根、禅様(唐様)。 |
安楽寺は通称「吉見観音」。三重塔は方三間、総高24.3m、基壇はなく心柱は初重天井上の梁で支えている。 |
優れた彫刻は上州花輪(現・みどり市)の彫師・石原常八主信を彫物棟梁にして再建された見事な社殿である。 |
吉田家住宅 | 安養院山門 | 円心寺山門 | 国済寺山門 |
比企郡小川町勝呂424 | 本庄市中央3-3-6 | 本庄市本庄3-3-2 | 深谷市国済寺521-1 |
竣工/享保6年(1721/江戸中期) | 竣工/元禄15年(1702/江戸中期) | 竣工/天明年間 | 竣工/江戸中期 |
★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★市指定文化財 |
竣工実年の判る県内最古の民家。桁行21.8m、梁間10.5m、入母屋造。間取りは三間広間型と呼ばれる奥に二間の畳敷きの座敷、手前にい板間のある江戸時代の典型的な家。土間の東半分は馬屋で、南側には腰窓があり紙漉きをしていた。 |
安養院は禅宗曹洞派の寺院で、その創立は戦国時代にさかのぼり、児玉党の後裔本庄藤太郎雪茂が、東富田に草庵を結んだことがその始まりと言われる。本堂は安永8年(1779)、総門は享保元年(1716)の再建。 |
円心寺は浄土宗寺院で、本庄城主小笠原左衛門佐信之が実父の為に慶長8年に円心坊として建立されたといわれる。山門は天明年間の建築と伝えられており、木造二層建築の鐘楼山門。木割りを縦横に駆使した構造的にも最も発達した時期の山門といえます | 国済寺は、奥州管領上杉憲英が開基となり、峻翁令山禅師を招請して開山とし、上杉憲英の館であった庁鼻和城南側に康応2年創建したという。総門、三門、本堂が直線的に配置された禅宗伽藍で、江戸中期個の美しい建築群である。 |
尾高惇忠(藍香)生家 | 金讃神社多宝塔 | 金讃神社多宝塔 | 内田家住宅 |
深谷市下手計236 | 児玉郡神川町二ノ宮736-3 | 児玉郡神川町二ノ宮736-3 | 秩父市蒔田891 |
竣工/江戸後期 | 竣工/天文3年(1534/室町後期) | 竣工/天文3年(1534/室町後期) | 竣工/江戸中期 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
尾高は渋沢栄一の義兄であり師でもあった。通称・新五郎、号は藍香。家は惇忠の祖父が建てた木造二階建。 |
総高13.8m、相輪高4m、こけら葺の二重屋根。心柱の墨書から、武蔵七党で名高い丹党の豪族・安保弾正が子孫の繁栄を願って建立したことが判明。 |
内田家は鉢形北条氏の家臣で、鉢形城落城後に蒔田に落居し、名主を勤めた家柄である。桁行24.9m、梁間11.1m、入母屋造。間取りは土間に面して座敷があり、奥は田の字に間仕切りされている。土間の横に馬屋がある。二階は中央部を除いて養蚕できるように床板をはっている。 |
平石馬頭尊堂 | 四萬部寺本堂 |
三峰神社本殿 | 三峯神領民家 |
秩父市吉田久長607-2 | 秩父市栃谷418 | 秩父市三峰298 | 秩父市三峰298 |
竣工/弘化4年(1847/江戸後期) | 竣工/江戸中期 | 竣工/寛文元年(1661) | 竣工/文政年間 |
★市指定文化財 | ★県指定文化財 | ★県指定文化財 | ★市指定文化財 |
天保11年に村民の発願により建立が計画されて翌年着工し弘化4年に竣工した。方三間、正面唐破風向拝付。堂を覆う彫刻は高度なもので熊谷在の彫刻師といわれる。 |
秩父札所34番巡りは、この寺から始まる。観音堂は向拝付三間四面、入母屋造で、県指定の文化財である。秩父地方の名匠藤田徳左衛門吉久によるものである。天井には狩野常信の弟子抱素斎休世常耀益之の画いた龍画がある。 | 「寛文元年霜月廿日」の銘ある棟札が現存し、中興第六世竜誉法印が願主になって造営したことが知られるが、昭和34年の解体修理の時、明暦元年(1655)の墨書銘のある枘(ほぞ)が発見されている。一間春日造。 |
規模は桁行7間3尺、梁間3間5尺。入母屋造、萱葺屋根で、屋根には「ノザス」と呼ばれる大きな棟おさえがある。母家は、土間・コザ・居間(いのま)・台・納戸・縁側からなり、居間は板敷で囲炉裏が切られていた。 |
旧新井家住宅 | 旧新井家住宅 |
小鹿野の町並み | 小鹿野の町並み |
秩父郡長瀞町大字長瀞1164 | 秩父郡長瀞町大字長瀞1164 | 秩父郡小鹿野町小鹿野 | 秩父郡小鹿野町小鹿野 |
竣工/江戸中期 | 竣工/江戸中期 | -歌舞伎と花の宿場町- | -歌舞伎と花の宿場町- |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★ | ★ |
大きな居間を持つ秩父地方に広く分布していた板葺石置屋根農家の典型である。外観意匠も優れている。桁行17m、梁間10m、切妻造。 |
二階建ての店蔵で、木造二階建ての主屋があり、中庭を介して奥に二階建ての地蔵がある。土蔵の竣工は江戸後期。 |
埼玉県の西部にある小鹿野(おがの)は、平安中期に編纂された「和名抄」に記されている「巨香郷(こかのごう)」が小鹿野の始まりとされている。古代神話で日本武尊がこの地を「小鹿の原」と呼んだという説もある。かつては林業と養蚕で生計を立てていた。 | 江戸時代には天領となり、秩父路最後の宿場町として、六斎市がたつなどして栄えた。「小鹿野歌舞伎(県指定)」は名高くい。古い風情は役場付近から原町交差点界隈まで残り、良質の商店や蔵が点在するが、家並みの連続性は薄い。春祭りに歌舞伎を見ながら訪ねたい町である。 |