山梨県・東部

 西部はこちらから

大善寺本堂 大善寺山門 向嶽寺中門 熊野神社本殿
甲州市勝沼3559 甲州市勝沼3559 甲州市塩山上於曽2026 甲州市熊野174
竣工/弘安9年(1286/鎌倉中期) 竣工/寛政10年(1798/江戸後期) 竣工/室町時代 竣工/文保2年(1318/鎌倉後期)
★国宝 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
薬師三尊像を安置しているため「薬師堂」とも呼ばれる。山梨県最古の建築。方五間で、幅広の縁側が四周を取り巻く。見事な檜皮葺きの屋根を持つ。内部は内陣下陣に分かれ、内陣には須弥壇を設けて厨子(国宝)を置き、国重文の薬師如来を安置、その両側には日光菩薩、月光菩薩、更に十二神将を配している。 山門は寛政10年(1798/江戸後期)の竣工。三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺。土屋但馬守英直(茨城県土浦城主)により再建されたもの。大工は旧大和村の土橋文蔵。



禅寺で臨済宗向嶽寺派の大本山。富士山に向かってあるので向嶽寺。大型の禅宗様四脚門。切妻造、檜皮葺、左右には土塀(県指定)を持つ。近世、近代の火災で諸堂を焼失した当寺における唯一の中世建築。梁に鎌倉に例の多い湾曲した海老虹梁を用いている。非公開寺院のため建物内部や庭園は原則的に拝観不可。 創建は大同2年(807)と伝えられる。本殿の東側2棟は文保2年の再建で一間社、春日造、妻入で全面を装飾的な格子を当てた板壁として、出入口を左側面の前よりに設ける。拝殿は天文18年(室町後期)入母屋、茅葺、壁は吹き放し。繊細な木割りや内部の自由な組み方は変化に富んで独特な技術を示す。

 

恵林寺三門 恵林寺四脚門 放光寺仁王門 放光寺本堂
甲州市小屋敷2280 甲州市小屋敷2280 甲州市藤木2438 甲州市藤木2438
竣工/(江戸初期) 竣工/慶長11年(1606) 竣工/江戸時代 竣工/寛文年間(江戸前期)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財
1330年に夢窓国師が開山した臨済宗妙心寺派の禅宗古刹。雄大な三門(三解門)の竣工は文脈などから安土桃山時代かと思われるが明確な竣工年はどこにも記されていない。県指定文化財である。

門は通称「赤門」と呼ばれ切妻造、桧皮葺。本柱、控柱ともに円柱。簡単な構架だが全体に木割りが大きく雄大で桃山時代の豪放な気風が現われている。


仁王門は三間一戸単層門、銅板葺。





本堂は桁行9間、梁間6間、入母屋造、銅板葺(元茅葺)で禅宗の方丈型。平面は南北に二列、東西に3列の6室から成り、南側に広縁、東西両側に入側を設けている。柳澤吉保の援助を受け保田若狭守宗雪が再建。

 

諏訪神社本殿 諏訪神社本殿 旧高野家住宅 旧武藤酒造母屋
甲州市大和町宮本 甲州市大和町宮本 甲州市塩山上於曽1651 甲州市藤木2007
竣工/寛政5年(1793/江戸後期) 竣工/寛政5年(1793/江戸後期) 竣工/江戸後期 竣工/安政4年(1857/江戸後期)
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国登録文化財
瑞垣に囲われているため近づけないが、身舎(もや)は中国を題材とした七賢人や動物などでの細密な兆候で埋められている。方一間、千鳥破風付入母屋造、向拝は唐破風付。銅板葺。

下山大工 土橋文蔵茂祗・松木萬右衛門・望月忠蔵によって再建される。下山大工の甲州流の建築として重要で本殿は甲州流の完成期に近いすぐれた作品。


甘草屋敷。江戸初期頃より薬草「甘草」の栽培を始めて繁栄したので「甘草屋敷」と呼ばれる。大きな切妻屋根の前面中央に突上げ屋根を設ける外観は当地方民家の特徴。かつては三階を養蚕に使用、突上げ屋根は採光のため。切妻造、茅葺形銅板葺。
(笛吹川芸術文庫)。切妻造、瓦葺屋根に越屋根を載せ、東西、北面に瓦葺の下屋が付いている。外壁は土壁の大壁造。西半分に二列6室の居室、東半分は土間で東端に内蔵を持つ。二階には半間毎に漆喰戸付の窓。小屋裏は三階と共に養蚕に用いた。

 

清白寺仏殿 清白寺庫裏 窪八幡神社本殿 中牧神社本殿
山梨市三ケ所620 山梨市三ケ所620 山梨市北64 山梨市牧丘町千野野宮
竣工/1415(応永22年) 竣工/1688-04(元禄期) 竣工/応永17年(1410/室町中期) 竣工/1478(文明10年)
★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
臨済宗妙心寺派、山号は海涌山。開基は足利尊氏。室町時代の応永22年の建立。仏殿は身舎の周囲に裳階を付けた形式で、同様の形式をもつものの中で最小規模でありながら、内部に文様彩色と丁寧な漆塗が施されている点は他に例がない。 庫裏とは僧侶の住居兼台所で切妻、妻入りの典型的な禅宗様式の庫裏。南を正面とする茅葺で、北面に下屋を設ける庫裏は再建と考えられ、江戸中期の禅宗寺院庫裏として貴重な遺構である 。

大井俣窪八幡神社(通称・窪八幡)は貞観元年(859年)に清和天皇の勅願により創建。以来一千年を越す古社。建当初は大井俣神社と称したが、後に現在の窪の地に移したため窪八幡となる。

文明10年(1478)に建てられたことが棟札によって明らか。一間社流造、檜皮葺、身舎は円柱で、その正面と両側の三面に高欄付き縁を巡らしている。深く折れた破風や彫刻類の力強い曲線が、室町時代後期の古さを物語っている。

 

天神社本殿 大嶽山本殿 慈眼寺本堂・庫裏 慈眼寺鐘楼門
山梨市大工1563 山梨市東後屋敷971 笛吹市一宮町末木336 笛吹市一宮町末木336
竣工/大永2年(1522/室町後期) 竣工/桃山時代 竣工/江戸前期の再建 竣工/慶安3年(1650/江戸前期)
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
全体の構成は窪八幡神社末社武内大神本殿との類似性が指摘されている。背部の脇障子が江戸時代の改修で旧状を失っているが他は室町時代後期の姿をよく残している。一間社流造、檜皮葺

大嶽山那賀都神社の遙拝所として、寛保年間頃に大嶽山別当であった光福寺の法印尭海が笛吹市境川町の諏訪南宮神社から移築したと伝えられている。一間社流造、檜皮葺で、小規模ながら均整のとれた桃山時代の遺構。 真言宗の古刹。武田家の保護を受け伽藍が整えられたが、天正10年(1582)に織田信長の兵火により焼失。本堂は中央奥に仏間、その両脇に座敷を配した簡素な方丈形式で、本堂、庫裏とも入母屋造、茅葺屋根。 慈眼寺の入口にそびえる門は2階建ての楼門で、2階部分に銅鐘を吊している。蟇股に牡丹、琵琶、菊、蓮の彫刻がある。



 

山梨岡神社本殿 芦川の集落 芦川の集落 龍泉寺本堂
笛吹市春日居鎮目1376 山梨県笛吹市芦川町 山梨県笛吹市芦川町 大月市大月町花咲193
竣工/室町末期 竣工/ 竣工/ 竣工/1852(嘉永5年)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財
平安時代の「延喜式神名帳」に記載されている甲斐国の式内社20社の一つ。梁間正面一間・背面二間、桁行に間の一間社隅木入り春日造り、柿葺き。正面には片流れの向拝を付ける。規模が大きく、全体的に変化に富む技法と蟇股の彫刻などの細部の意匠に新しい表現を試みた当時の特質が認められる。 鴬宿は、中道を通る商人たちの宿場として発展した集落である。今は鉄板葺屋根に替わったが、かつては茅葺のかなり大きな兜造り民家が多く見られた所で、今も50軒くらいの改修された兜造り民家が残る。昭和9年頃、柳田国男が全国の集落を調査した折、山梨県ではこの芦川の集落が取り上げられたという。 かつての東八代郡芦川村。新井原、上芦川、中芦川、鴬宿の集落からなる。笛吹市となって東八代郡は消滅したが、風景は大きく変わることもなくひっそりとした山里の風情を残している。ここは東海道から甲斐国に通じる中央の道「中道」で、信長や家康も利用したといわれる峠越えの道である。 旧甲州道下花咲宿の本陣。 正面は軒をせがい造りとし、二階に縁、高欄をつける。上段の間があり、式台や湯殿、雪隠を二個所に設けた点など、本陣建築の性格をよく表す。 階上は三層に分かち、養蚕に使用。大規模で良質、細部までよく残る。


 

北口本宮冨士浅間神社 北口本宮冨士浅間神社 北口本宮冨士浅間神社 北口本宮冨士浅間神社 
本宮本殿 東宮本殿 拝殿・幣殿 福地八幡社本殿
富士吉田市上吉田5558 富士吉田市上吉田5558 富士吉田市上吉田5558 富士吉田市上吉田5558 
竣工/元和元年(1615)  竣工/永禄4年(1561) 竣工/元文4年(1739) 竣工/元文5年(1740)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
本殿は、元和元年に郡内領主鳥居土佐守成次によって建立された。桁行1間、梁間2間の入母屋造の建物を身舎として、その前面に唐破風造の向拝をつけた形式。廻りに覆いが架けられていて、外からよく見えない。拝殿内部から入って本殿を拝観が可能である。
本殿は永禄4年に武田信玄が新たに造営したもので、室町時代の遺構として知られている。桁行1間、梁間1間の身舎の前面に1間の向拝をつけた一間社流造で、3殿のうち最古の建造物となっている。外観の装飾的な意匠には、その後の桃山時代の影響が認められる。 拝殿及び幣殿は正面中央に構える大きな唐破風造の向拝を彫刻や彩色,錺金具により飾り,参詣者のための壮麗な礼拝空間を創っている。神楽殿、手水舎などの社殿は富士講の寄進により再興された。境内は近世らしい装飾豊かな参詣の空間を創出している。
福地八幡社本殿は、貞享元年に建立された後、元文5年に富士講の村上光清らが新たに造営した。元文期の建立は、その規模や構造の類似から東宮本殿をモデルとして行われた。身舎の木鼻などは貞享期の特徴をもつため、古材を再利用して、新規建立した可能性がある。

 

龍泉寺本堂 諏訪神社拝殿 妙法寺庫裏 妙法寺三十番神堂 
南都留郡冨士河口湖町精進 南都留郡冨士河口湖町精進84 南都留郡冨士河口湖町 南都留郡冨士河口湖町 
竣工/明和年間(江戸中期)  竣工/明治39年(1906) 竣工/文政元年(1818/江戸後期) 竣工/ 明治23年(1890)
★町指定文化財  ★町指定文化財 ★町指定文化財 ★町指定文化財
精進湖北岸に位置する曹洞宗の寺院で、精進諏訪神社に隣接する。本堂は河口湖町最古の寺院建築である。寄棟造、茅葺。庫裏は寛政11年(1799)で本堂より少し後の竣工だが茅葺は瓦葺きに変わっている。
竜泉寺に隣接する精進築の氏神。拝殿は本殿(天保14年/1834)の覆屋で拝殿もも兼ねている建物である。天井には百人一首が描かれえている天井絵はよくあるが百人一緒は稀有な例である。入母屋造、茅葺。 船津にあった民家の移築。江戸末期の大戸や建具を備えた当時の民家を知る上での貴重な遺構。


法華経守護の三十番神像を祀る堂宇で伊豆の宮大工の手によるもの。



 

2020.02.17  12.20 2021.5.10修正

古建築図鑑 トップ

古建築研究会 トップ

列島古建築紀行