松本城 | 大宮熱田神社本殿覆屋 | 大宮熱田神社本殿 | 窪田空穂生家 |
松本市丸の内4-1 | 松本市梓川梓4396 | 松本市梓川梓4396 | 松本市大字和田1715-1 |
竣工/桃山・江戸初期 | 竣工/室町時代 | 竣工/室町時代 | 竣工/明治8年(1875) |
★国宝 | ★ | ★国指定重要文化財 | ★ |
平城。五重六階の天守としては現存日本最古。大天守と乾小天守を繋ぐ櫓は戦後期時代末期の文禄2~3年掛けて築造されたというのが公式見解である。辰巳附櫓と月見櫓は江戸初期に造られたと考えられている。 |
元々は梓川の水の守護神として本神山頂に梓川大神を祭神として奉斎されていた。後に熱田大神の他、近くに祀られていた天照大神と八幡大神などを合祀し、後に現在の地に遷座した。江戸末期に現在の社名になった。 |
本殿は、室町時代建立の一間社流造り、こけら葺で独特なつくりが随所に見られる。本殿は拝殿奥にあり近づけない。若宮八幡宮本殿は、室町時代の文明年間(1469~1486年)に造られた。国指定重要文化財 |
本棟造。整った接客部を待つ格式ある江戸末期の長野県西部を代表する民家建築。間口9間、奥行7間、切妻造、鉄板葺。棟飾りの「すずめ踊り」は屋根の雨仕舞のために必要な装置だが材料が進化した今は必要ではないがこの地方の民家の印である。 |
馬場家住宅 | 馬場家住宅 | 工女宿宝来屋 | 中町の町並み |
松本市内田357-6 | 松本市内田357-6 | 松本市島立2196-1 | 松本市中央 |
竣工/嘉永4年(1851/江戸後期) | 竣工/嘉永4年(1851/江戸後期) | 竣工/文化5年(1815/江戸後期) | 竣工/ |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 | ★ |
本棟造。整った接客部を待つ格式ある江戸末期の長野県西部を代表する民家建築。間口9間、奥行7間、切妻造、鉄板葺。 |
かつて奈川地区川浦の旧野麦街道沿いにあった宿。江戸時代は尾州藩領への旅人宿として、製糸業が盛んであった明治、大正時代には飛騨高山方面から岡谷、諏訪地方へ製糸労働の為に往来した工女宿だった。木造平屋一部二階、切妻造、板葺石置屋根。 | 善光寺西街道沿いにある商業町。主に酒蔵や呉服問屋などがあって繁盛したが、江戸末期や明治に大火に見舞われた。その後は耐火構造の土蔵造りの家が増えた。松本城からも近いので訪れる観光客は多く、中町通り、縄手通りを散策している。 |
大法寺三重塔 | 岩殿寺神願門 | 曽根原家住宅 | 曽根原家住宅 |
小県郡青木村当郷 | 東筑摩郡筑北村坂北別所 | 安曇野市穂高町有明1632 | 安曇野市穂高町有明1632 |
竣工/正慶2年(1333/鎌倉末期) | 竣工/天文19年(1550/室町後期) | 竣工/慶安3年(1650/江戸前期9頃) | 竣工/慶安3年(1650/江戸前期9頃 |
★国宝 | ★村指定文化財 | ★市指定文化財 | ★国指定重要文化財 |
美しさのあまり振り返ってみるため「見返りの塔」といわれる。和様の建築様式が正確に守られている。大阪四天王寺の大工四郎某ほか小番匠7人の作とされている。県内最古の塔である。 | 一門一戸、切妻造、茅葺の素朴な四脚門。岩殿寺大日堂は宝暦13年(1763)に造営されたもの。木造大日如来坐像-鎌倉時代-国指定重要文化財。 |
江戸時代は松本藩松川組新屋村の庄屋を代々勤めた農家。切妻造、板葺石置屋根、本棟造系統ではのわが国最古の遺構。 |
有明神社神門 | 有明神社神門 | 松尾寺薬師堂 | 松尾寺薬師堂 |
安曇野市穂高有明 | 安曇野市穂高有明 | 安曇野市穂高有明2327 | 安曇野市穂高有明2327 |
竣工/明治35年(1902) | 竣工/明治35年(1902) | 竣工/大永8年(1528/室町後期) | 竣工/大永8年(1528/室町後期) |
★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
日光東照宮陽明門を模して建てられた別名「信濃日光裕明門」。唐戸三間一戸の彫刻に彩どられた八脚門。彫刻師は清水虎吉、格天井の40枚の絵は田村香谷。 |
方三間、寄棟造。軒の出を深くして、軒支柱を建立当初から建てて五間堂形式とも思われる構法で構成されており、これは全国的にも稀有なものである。 |
明治の廃仏毀釈によって廃寺となり衰退し、仁王堂と薬師堂が残るのみとなってしまったが明治25年に復興された。十返舎一九の「続膝栗毛」にも登場する寺。 |
満願寺微妙橋 | 仁科神明宮本殿 | 仁科神明宮 | 若一王子神社三重塔 |
安曇野市穂高牧1812 | 大町市社1159 | 大町市社1159 | 大町市社2097 |
竣工/明治28年(1895) | 竣工/寛永13年(1636/江戸初期) | 竣工/寛永13年(1636/江戸初期) | 竣工/宝永8年(1711/江戸中期) |
★ | ★国宝 | ★国宝 | ★県指定文化財 |
微妙橋はお経橋ともいい、橋板の裏側に経文が書かれており、橋を渡る際はお経を唱えなくてはならないとされている。長さ10m、幅2.5mの屋根付木橋。 |
日本最古の神明造。神明造の建築としては唯一の国宝である。桁行3間、梁間2間、檜皮葺。中門(御門屋)は四脚門。創始については不明だが平安時代に遡ると考えれている。 |
式年造替していたが、仁科氏が主家の武田氏と共に滅亡してからは松本藩主がこれに代わって式年造替を奉仕したが、寛永13年の造替を最後として、その後は全て新築ではなく修造で現在に至っている。 | 県中部唯一の三重塔。蟇股に衣冠束帯で正座した十二支の人身の動物が方位に合わせて聴講されている、珍しいものである。桁行、方三間の三重塔婆、こけら葺。 |
旧平林家住宅 | 飯田神明宮本殿 | 青鬼(あおに)集落 | 青鬼(あおに)集落 |
大町市大町八日町2572 | 北安曇郡白馬村神城飯田 | 北安曇郡白馬村大字北城 | 北安曇郡白馬村大字北城 |
竣工/明治23年(1890) | 竣工/江戸中期 | 竣工/ | 竣工/ |
★ | ★ | ★伝統的建築物群保存地区 | ★伝統的建築物群保存地区 |
(塩の道博物館)平林家は江戸時代に庄屋で塩問屋を営んだ家。明治22年の大火後の再建で、立石清重の設計により、防火や耐火の対策が講じられた大町最初の土蔵造りの町屋として貴重である。 |
千国街道(塩の道)沿いに鎮座する神社。本殿は一間社流造、こけら葺。棟梁・横田某。 |
白馬村の北東、標高760mにある農村。集落の東に石垣を伴った二〇〇枚の棚田(日本の棚田百選)と、江戸末期に造られた「青鬼堰」がある。現在の民家群は、江戸後期~明治後期のものである。 | 土蔵も7棟残っているが、火災を考慮してか主屋とは離れた位置にある。棚田の辺りから見ると、五竜岳、鹿島槍といった北アルプスの見事な景色があり、類例少ない絶景の農村風景であるといえる。 |
新海三社東本社 | 新海三社三重塔 | 新海三社三重塔 | 八幡神社高良社 |
佐久市田口2394 | 佐久市田口2394 | 佐久市田口2394 | 佐久市蓬田 |
竣工/室町時代 | 竣工/応永12年(1515/室町後期) | 竣工/応永12年(1515/室町後期) | 竣工/延徳3年(1491/室町中期) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
東本社は一間社流造、木鼻、母屋木鼻には笹の葉の薄肉彫りがあり、向拝木鼻は木鼻の形が獣面化し出した初期のものである。 |
かつて東隣にあった神宮寺の塔として建立されたもの。高さ20m、和様を主とし唐様(禅宗様)も混在する折衷様式。初層と二、三層の垂木の方向の違いにそれが見られる。 | 明治の神仏分離で解体されそうになったが神庫(倉庫)ということで残された。これは全国的にも見られることである。 |
旧八幡神社本殿。望月領主・滋野遠江守光重が望月御牧を知行できたことを感謝して八幡宮を造営した。三間社、流造、こけら葺。 |
真山家住宅 | 諏訪大社上社本宮 | 諏訪大社下社秋宮 | 諏訪大社下社春宮 |
佐久市望月201-1 | 諏訪市中洲宮前 | 諏訪郡下諏訪町上久保5828 | 諏訪郡下諏訪町193 |
竣工/明和3年(17663/江戸中期) | 竣工/天保6年(1835/江戸後期) | 竣工/天保6年(1835)他 | 竣工/安永9年(1780/江戸中期) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★ |
望月宿で旅籠・大和屋を営んだ真山(さなやま)家は問屋も兼ねた名主であった。桁行10.9m、梁間17.8m切妻造、桟瓦葺の宿場建築。 |
諏訪大社は本殿はなく、後方の山を遥拝する。拝殿は左右の片拝殿に付随して建築されており細やかな彫刻がある。桁行1間、梁間一間、唐破風造向拝、銅板葺。大工・原五左衛門。 |
神楽殿は幣拝殿の前にあり前方の 3間は舞台で、後方は楽所や拝殿となっている。天保6年に上棟式を挙げている。二代立川和四郎富昌の作で、秋宮幣拝殿を建築した富棟の子。幣拝殿は初代・立川和四郎富棟、建立は安永10年。 | 建物の配置は幣拝殿は二重楼門造の拝殿と左右に片拝殿が並ぶ。棟梁は地元の宮大工・柴宮(伊藤)長左衛門。 |
下諏訪の集落 | 渡辺家住宅 | 旧林家住宅 | |
諏訪郡下諏訪町 | 岡谷市長池 | 岡谷市御倉町2-20 | |
竣工 | 竣工/江戸後期 | 竣工/明治40年(1907) | 竣工/ |
★ | ★県指定文化財 | ★国指定重要文化財 | ★ |
下諏訪宿は中山道随一の佳宿といわれた宿場町である。東に和田峠、西に塩尻峠という難所を控え、温泉地でもあり、諏訪大社の下社もある。甲州街道との分岐だったことなど多くの要素が旅人の足を止め宿場は繁栄した。 | 代々高島藩主に仕えた散居武士の武家住宅。散居武士とは城下町外の在郷に住んだ藩士のこと。寄棟造、茅葺。 |
明治9年に天竜製糸所を創業した山一林製糸所の初代・林国蔵の住宅。主屋と離れの座敷、茶室、洋館に分かれ、主屋の南側には繭倉庫の形式の土蔵がある。「金唐革紙」の和室が有名。明治後期の和洋折衷の住宅建築。 |
木之間観音堂 | 木之間観音堂 | 光輪寺薬師堂 | 古川寺山門 |
諏訪郡富士見町木之間 | 諏訪郡富士見町木之間 | 東筑摩郡朝日村西洗馬 | 東筑摩郡朝日村古見 |
竣工/天文14年(1545/室町後期)? | 竣工/天文14年(1545/室町後期)? | 竣工/宝暦10年(1760/江戸中期) | 竣工/17世紀末頃 |
★ | ★ | ★県指定文化財 | ★町指定文化財 |
集落の三叉路にたつ堂。内部は開け放たれており、旅人が休息をとる泊り屋の役割もしたかと思える。地域の中で生き続ける庶民的な貴重な茅葺の御堂である。 |
観音堂の後ろにある六地蔵石幢は町指定文化財で竿部に観音堂の由来が刻まれている。 |
山間の集落に佇む大型の御堂。桁行5間、梁間4間、向拝1間付、入母屋造、茅葺。彫刻も多い。大工は木曽郡宮越宿の中村伝左衛門藤原季利。本尊薬師如来、日光月光菩薩、十二神将などの優れた仏像が安置されている。 | 高野山真言宗の寺院。山門は一間一戸、入母屋造、茅葺の四脚楼門、高欄付。筑摩三十三番観音札所第28番札所で厄除け観音として多くの人が遠方から参拝に訪れている。 |
2020.02.24