北信及び中部はこちらから
小野家住宅 | 堀内家住宅 | 小松家住宅 | 島崎家住宅 |
塩尻市塩尻町89 | 塩尻市堀ノ内117 | 塩尻市片丘9038 | 塩尻市片丘8066-1 |
竣工/嘉永3年(1850/江戸末期) | 竣工/江戸後期 | 竣工/江戸中期 | 竣工/享保年間 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
江戸時代に「いてうや(銀杏屋)」の屋号で旅籠を営んでいた中山道沿いの家。間口8間、切妻造、二階建の背面に棟を直角に平屋が続いている。内部は二階の客室に鶴、松などを建具や壁に描き、絵に因んで部屋名を付ける。「桜の間」は天井まで極彩色の桜である。 | 堀ノ内村の名主を歴任した豪農。下西条村の川上家の分家をいちくしたものと伝えられる。本棟造、切妻板葺石置屋根、桁行10間、梁間10間。 |
東日本でも屈指の古い民家。間取りと構造は単純で非常に古い。桁行15.8m、梁間9.7m、寄棟造、茅葺。 |
本棟造の古い例。座敷を3部屋取るために一部屋が突き出しているのは非常に珍しい。座敷欄間などにみるべき意匠がある。桁行12.7m、梁間16.1m、入母屋造、板葺。
|
奈良井宿 | 手塚家住宅(上問屋史料館) | 手塚家住宅(上問屋史料館) | 中村家住宅 |
長野県塩尻市奈良井 | 塩尻市奈良井 | 塩尻市奈良井 | 塩尻市奈良井 |
竣工/ | 竣工/天保11年(1840/江戸後期) | 竣工/天保11年(1840/江戸後期) | 竣工/天保10年(1839/江戸後期)頃 |
★伝統的建築物群保存地区 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 |
奈良井は楢井とも書いた。奈良井千軒ともうたわれた賑わいの宿場だった。今も観光客で賑わう木曽路屈指の観光地である。記録にある旅籠5軒というのは少ないが、すべての店が宿屋を兼業し、商いをていた。大名の家来も数軒に分けて宿泊した。 |
奈良井宿には上問屋、下問屋の二軒の問屋があり上問屋は手塚家、下問屋は旅籠伊勢屋が半月交代で問屋職を担った。問屋役は江戸時代、幕府の役人や諸大名のために、宿場町として一定数の馬や歩行役を配置し、管理した。手塚家は270年間継続して問屋を務めた。 | 現在の主屋は桁行12.4m、梁間10.9m。主屋の他に座敷棟が設けられているのが大きな特徴である。問屋職は役人との接触が多いため格式のある座敷棟を必要とした。
列島古建築紀行に掲載 |
櫛問屋・中村利兵衛の店舗併用住宅で、木曽で有名な「お六櫛」などを商った。間口が狭く奥に深い奈良井の町屋の典型的な様式で、出梁造、台所の囲炉裏と大きな吹抜けに当時の暮らしが窺える。木造2階建、桁行3間2尺、梁間9間半、切妻造、鉄板葺。正面は蔀戸である。 |
旅籠伊勢屋 | 旅籠越後屋 | 田の上観音堂 | 田の上観音堂 |
塩尻市奈良井388 | 塩尻市奈良井493 | 木曽郡木祖村小木曽 | 木曽郡木祖村小木曽 |
竣工/文政元年(1818/江戸後期) | 竣工/寛政年間 | 竣工/安永5年(1776/江戸中期) | 竣工/安永5年(1776/江戸中期) |
★伝統的建築物群保存地区 | ★伝統的建築物群保存地区 | ★村指定文化財 | ★村指定文化財 |
かつては牛馬宿で下問屋の職も担った旅籠。建物は創業時のままである。向かいの越後屋と奈良井の現存旅籠の双璧ともいえるが建築的詳細資料が薄い。 |
角地なので妻側にも開口部を持つ。寛政元年創業。建築母体も当時のままと思われる。旅籠だけでなく昔は漢方薬も扱っていたので「官許」と書かれた看板も残る。旅籠行灯、箱階段、坪庭など往時を忍ぶものが多々残されている。 |
木曽三十三番札所のうち第五番のこの観音堂の創始は明らかでない。総欅造の御堂で木曽谷では稀有である。桁行2間半、梁間2間、向拝付。寄棟造、茅葺。正面扉、欄間などの彫刻は精巧で見事である。村中道沿いの高台にたつ。 |
小野家住宅 | 木曽福島 | 定勝寺庫裏 | 定勝寺山門 |
上伊那郡辰野町小野 | 木曽郡木曽町福島町 | 木曽郡大桑村須原 | 木曽郡大桑村須原 |
竣工/江戸末期 | 竣工/ | 竣工/承応3年(1654/江戸前期) | 竣工/万治4年(1661/江戸前期) |
★県指定文化財 | ★ | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
伊那街道小野宿で問屋や名主を歴任した旧家。本棟造り、切妻、桁行8間半、梁間10間半。外壁は真壁造白漆喰仕上げ、左側に薬医門形式の表門と式台玄関を持つ。 |
戦国時代に木曽氏の城下町としてできた木曽御嶽山麓の集落で、飛騨路の分岐点でもある。その御嶽山が噴火して多くの死者が出たことは記憶に新しい(2014.09)。江戸時代には日本四大関所の一つである福島関所が設けられた。 | 定勝寺境内は木曾義在居館跡とされ、木曽路十一宿場の須原宿にある臨済宗妙心寺派の寺院。木曽三大寺(他は興禅寺・長福寺)の中で最古の寺院。庫裏は承応3年(1654/江戸前期)竣工、切妻造、銅板葺。 | 山門は万治4年(1661/江戸前期)竣工の四脚門一門一戸、切妻造、檜皮葺。本堂の竣工は慶長3年(1598)で桁行10間半、梁間6間半入母屋造、銅板葺。 |
池口寺(ちこうじ)薬師堂 | 妻籠(つまご)宿 | 林家住宅 | 林家住宅 |
木曽郡大桑村 | 木曽郡南木曽町 | 木曽郡南木曽町吾妻(妻籠宿) | 木曽郡南木曽町吾妻(妻籠宿) |
竣工/鎌倉後期 | 竣工/ | 竣工/明治10年(1877) | 竣工/明治10年(1877) |
★県指定文化財 | ★伝統的建築物群保存地区 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
徳治3年の刻銘を持つ鰐口があることから薬師堂も鎌倉時代の建立と考えられている。確かなら中禅寺、福徳寺に並ぶ県内最古の御堂建築ということになる。桁行3間、梁間4間、宝形造、こけら葺。 |
妻籠は映画のセットのように古い風景を残す宿場である。長野県の明治百年記念事業で馬籠と共に復元された町並みには大勢の観光客が押寄せ、全国の昔町活性化のさきがけともなった。 |
江戸時代には大名や公家たちが宿泊した脇本陣だったこともあり、現在は町が借り上げ、南木曽博物館「脇本陣奥谷」して公開されている。。近代和風建築としては長野県初の国指定重要文化財。 | 屋号は「奥谷」。江戸時代には檜材の一般使用は禁じられており、明治の廃藩以降に林家は自家の山から檜、さわらなどの大木を伐りだして建築用材として建てたのが現在の建物である。 |
藤原家住宅 | 熊谷家住宅 | 旧下嵯峨屋 | 旧下嵯峨屋 |
木曽郡南木曽町吾妻(大妻籠) | 木曽郡南木曽町吾妻(妻籠宿) | 木曽郡南木曽町吾妻(妻籠宿) | 木曽郡南木曽町吾妻(妻籠宿) |
竣工/17世紀中期 | 竣工/19世紀初頭 | 竣工/19世紀初頭 | 竣工/ |
★県指定文化財 | ★町指定文化財 | ★町指定文化財 | ★町指定文化財 |
県内最古に属する住宅。桁行4間半、梁間6間、建坪27坪、板葺石置屋根。かなりの改造は見られるが内部には梁や束、桁等の構造材が現、囲炉裏や火棚、神棚、カマドなどが供えられていた。 |
江戸後期に建てられた長屋の一部。左右の建物が建て替えられたことから、左右の半分ずつが一軒の家として使用されていた。この例は建築学上稀有な例で貴重である。間口3間半、奥行6間半。 |
三軒長屋だったものの一戸を解体、復元した。大きな特徴として柱に檜材が使用されていることである。檜の使用が規制されていた木曽谷の民家としては非常に珍しい建物である。間口3間、奥行5間。 | 妻籠の民家建築では比較的古い形式をとどめる。当時の庶民の住居を代表する片土間に並列2間取の形式を留める。上嵯峨屋同様の木賃宿で湯殿はない。便所は外部に設けられていた小規模町屋の遺構。 |
遠照寺釈迦堂 | 熱田神社本殿 | 熱田神社本殿 | 旧竹村家住宅 |
伊那市高遠町山室2010 | 伊那市長谷溝口宮久保 | 伊那市長谷溝口宮久保 | 駒ケ根市駒ケ根高原 |
竣工/天文18年(1549/室町後期) | 竣工/宝暦12(1762/江戸中期) | 竣工/宝暦12(1762/江戸中期) | 竣工/江戸中期 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
方三間、入母屋造、向拝一間、銅板葺き。室町時代に建立した和唐折衷様式の釈迦堂は全国的に珍しい。厨子の代わりに文亀2年建立の多宝小塔が置かれている。背後にある七面堂も県指定。 |
名古屋の熱田神社の形影を迎えて産土神として祀ったのが当社の始まりである。本殿は溝口村百数十戸の氏子が300両という大金を出し合って建てたもので三間社流造の身舎である。 | 棟梁は溝口村の宮大工・高見善八、彫刻は武州(埼玉)熊谷の森田清吉で、社殿は「伊那日光」と呼ばれるほど巧妙華麗である。覆屋は明治21年(1888)の再建、入母屋造、茅葺屋根。 |
代々名主を勤めた家柄で式台玄関を備えた東日本では最大級に属する民家。江戸後期には伊那地方の家は本棟造、板葺屋根に変わり大きな茅葺屋根の家は造られなくなったので貴重な遺構である。 |
光前寺本堂 | 光前寺弁天堂 | 光前寺三重塔 | 光前寺三門 |
駒ケ根市赤穂29-1 | 駒ケ根市赤穂29-1 | 駒ケ根市赤穂29-1 | 駒ケ根市赤穂29-1 |
竣工/嘉永4年(1851) | 竣工/天正4年(1576/室町後期) | 竣工/文化5年(1808) | 竣工/文政元年(1818) |
★ | ★国指定重要文化財 | ★県指定文化財 | ★市指定文化財 |
本堂は嘉永4年に再建されたもので入母屋、こけら葺き、妻入、桁行5間、軒唐破風向拝付、外壁は真壁造板張り、内部の内陣には本尊である不動明王が安置されている。 |
方一間の簡素な小堂。入母屋造、銅板葺。小規模な御堂ながら天正期の建築として国重文に指定された。内部の厨子は宝形造で堂と共に国重文である。 |
三重塔は立川和四郎による再建で南信濃唯一の三重塔。高さ17.1m、こけら葺。棟梁は初代立川和四郎(富棟)とその子供である四郎治(富方)。 | 大規模な三間二重門で、入母屋造、こけら葺である。文政元年に焼失し、嘉永元年に美濃国中津川の工匠横井和泉藤原栄忠によって再建されたことが棟札よりわかる。 |
開善寺山門 | 旧小笠原書院 | 竹ノ内家住宅 | 竹ノ内家住宅 |
飯田市大字上川路 | 飯田市伊豆木3942 | 下伊那郡高森町吉田 | 下伊那郡高森町吉田 |
竣工/室町前期 | 竣工/寛永年間 | 竣工/寛政11年(1799/江戸後期) | 竣工/寛政11年(1799/江戸後期) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
建立当初は楼門だったが元禄時代に参道の老松が倒れて上層部が破損し単層門に改修されたという経緯を持つ門。三間三戸、八脚単層門、桁行3間、梁間2間、切妻造、銅板。外壁は真壁造、板張。 |
伊豆木陣屋は交代寄合旗本の小笠原氏一千石の陣屋である。陣屋には居間、書院、土蔵、厩舎などがあった。明治以降、建物が壊されていく中で書院と玄関が現存している。書院は武家書院で南の約3分の一崖上にある懸造である。 | 伊那地方南部にある中型の本棟造の民家。幕末近くの建築であるため外観正面の意匠が整っている。棟札が残っているため竣工年が明らかなことは非常に貴重である。 |
桁行8間、梁間7間半、切妻造、板葺石置屋根。「よこざ」と土間境に柱がなく進歩した手法が見られる。 |
旧下市田小学校 | 福徳寺本堂 | 松下家住宅 | |
下伊那郡高森町下吉田1043 | 下伊那郡大鹿村大河原上蔵 | 下伊那郡大鹿村大河原1665 | |
竣工/明治21年(1888) | 竣工/室町初期 | 竣工/文政3年(1820/江戸後期) | 竣工/ |
★町指定文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★ |
洋風に唐破風玄関を付けた和洋折衷の近代学校建築。1階正面の簡素な虹梁などと相まって不思議な雰囲気を作っている。母体は村内の大工によるが玄関部分は当時名工の誉れ高かった木曽の宮大工・木曽亀こと坂田亀吉が請け負った。 | かつては福徳庵と呼ばれた。方三間、入母屋造、こけら葺のいわゆる阿弥陀堂形式と呼ばれる御築で県内では中禅寺薬師堂に次ぐ最古に属するの木造建築である。大鹿村の風光明媚な高地にたつ簡素で美しい御堂。 |
松下家は当地の大地主。南アルプス山麓に残る本棟造の大型民家。年代が新しいため間取りに進化がある。梁は非常に長く端から端まで一本で通した箇所もある。一部二階建、切妻造、一部越屋根、鉄板葺(元板葺石置)。 |
2020.02.24 12.20修正