塩竃神社 | 志波彦神社 | 太田味噌 | 塩釜市公民館 | 塩釜市公民館 |
社務所 | 拝殿 | 工場 | 本町分室管理棟 | 本町分室大講堂 |
塩竈市一森山 | 塩竈市一森山 | 塩竈市宮町2丁目 | 塩竈市本町 | 塩竈市本町 |
1938(昭和13年) 撮影 92-09 | 1938(昭和13年) 撮影 20-12 | 1925(大正14年) 撮影 92-09 | 1951(昭和26年) 撮影 92-09 | 1957(昭和32年) 撮影 92-09 |
★ | ★市指定文化財 | ★ | ★市指定文化財 | ★市指定文化財 |
size 3336 X 2135 | size 5472 X 3648 | size 3228 X 2127 | size 3251 X 2018 | size 3181 X 2020 |
06-0020-01 | 06-0020-02 | 06-0020-03 | 06-0020-04 | 06-0020-05 |
鹽竈神社の御祭神は鹿島・香取両神宮の武甕槌神、経津主神が祀られている。国指定されている本宮本殿及び別宮の一郭の右側の敷地に2階建て社務所が建っていたが、その場所に志波彦神社を建立のため、現在地に移った。 | 志波彦神社は延喜式神名帳に載る神社であったが、仙台市宮城野区岩切の社地が狭く、明治7年に塩竈神社の境内の別宮に遷座した。昭和9年に塩竃神社の社務所跡に社殿造営に着手出来るようになり、昭和13年に完成した。 | 太田與八郎商店の創業は幕末の弘化2年で、もとは塩釜神社の坂の下で旅籠屋を営んでいた。旅籠のかたわらで味噌・醤油の醸造を始めた。現在地には明治22年から23年頃に移転した。店舗は昭和4年、工場は大正14年の建築である。 | 昭和26年に落成した建築で、管理棟は、一階を鉄筋コンクリート造、二階を木造とした構造で、外観上はあたかも鉄筋コンクリート二階建てに見える。外壁、門などに塩竈石が大量に使用さている。塩竈市指定有形文化財である。 |
大講堂は公民館利用者が増えたため、昭和32年に増築された。柱には集成材が使用され、懸垂曲線を木造で造り、大空間を実現した日本でも初期の建築である。平成25年に大規模改修を行い、塩竈市杉村惇美術館が併設された。 |
● 日本パブテスト同盟 | 旧日本ハリストス | 石巻水道資料館 | 石巻水道資料館 | 旧観慶丸商店 |
塩釜キリスト教会 | 石巻教会聖堂 | 大街道浄水場ポンプ室他 | 大街道浄水場ポンプ室他 | 旧観慶丸陶器店 |
塩竈市本町 | 石巻市仲瀬3-18 | 石巻市双葉町4-6 | 石巻市双葉町4-6 | 石巻市中央3-6-9 |
1928(昭和3年) 撮影 92-09 | 1880(明治13年) 撮影 92-09 | 1929(昭和4年) 撮影 92-09 | 1929(昭和4年) 撮影 92-09 | 1930(昭和5年) 撮影 85-07 |
★ 取毀 | ★市指定文化財 | ★ | ★ | ★市指定文化財 |
size 1885 X 3157 | size 2760 X 2010 | size 3292 X 2087 | size 3246 X 2113 | size ・・・7点 |
06-0020-06 | 06-0030-01 | 06-0030-02 | 06-0030-03 | 06-0030-04 |
元は石巻市新田町(現在の千石町)に建てられた。昭和53年の宮城県沖地震で被災して、現在の場所に移築・復元された。現存する木造の教会としては日本最古のもの。東日本大震災でも、被災してが平成30年に再び復元される。 | 大街道浄水場は石巻港の北側、微高地にある。東日本大地震の津波の浸水被害も軽かったようだ。送水ポンプ室(昭和7年の建築)も少し高い位置にある。資料館はマンサード屋根のスレート葺き、下見板張りの木造建築である。 | 石巻で最初の百貨店として建築された。その後、陶器店として営業する。木造3階建て、スペイン瓦や丸窓、アーチ窓を有する外観は洋風建築である。平成25年、市に建物が寄贈され、歴史・文化の展示、貸スペースとなっている。 |
第2SSビル | 第2SSビル | ● 伏見毛糸店 | ● 岡田劇場 | ● 石巻小学校 |
東北実業銀行石巻支店 | 東北実業銀行石巻支店 | 店舗 | 映画館 | 講堂 |
石巻市中央3-1-37 | 石巻市中央3-1-37 | 石巻市中央 | 石巻市仲瀬 | 石巻市泉町1-1-2 |
1925(大正14年) 撮影 85-07 | 1925(大正14年) 撮影 92-09 | 1931(昭和6年) 撮影 92-09 | 1948(昭和23年) 撮影 92-09 | 1936(昭和11年) 撮影 92-09 |
★ | ★国指定重要文化財 | ★ 取毀 | ★ 取毀 | ★ 取毀 |
size 3287 X 2492 | size 2004 X 3088 | size 3144 X 2104 | size 3156 X 1899 | size 2903 X 1933 |
06-0030-05 | 06-0030-06 | 06-0030-07 | 06-0030-08 | 06-0030-09 |
旧東北実業銀行石巻支店として建築された。玄関周りを外壁面から張り出して造り、2・3階部分は上部が半円形の窓。設計は辰野金吾と東京で辰野葛西設計事務所を開設した葛西萬司で辰野金吾没後、単独で運営した頃の建築。 |
● 石巻小学校 | ● 石巻赤十字病院 | 大崎市民会館 | ● 古川第一小学校 | 松山の町並み |
講堂 | 看護学校 | 旧古川市民会館 | 古川尋常高等小学校 | 町並み |
石巻市泉町1-1-2 | 石巻市中央 | 大崎市古川北町5-5-1 | 大崎市 | 大崎市松山千石 地区 |
1936(昭和11年) 撮影 92-09 | 1874(明治7年) 撮影 92-09 | 1951(昭和26年) 撮影 92-08 | 1995(平成7年) 撮影 92-08 | 1907(明治40年) 撮影 11-09 |
★ 取毀 | ★ 取毀 | ★ | ★ 取毀 | ★ |
size 3111 X 2076 | size 3219 X 2053 | size 3186 X 2076 | size 3328 X 2111 | size ・・・8点 |
06-0030-10 | 06-0030-11 | 06-0036-01 | 06-0036-02 | 06-0036-03 |
四隅にある三角形の壁柱が、重いRCの屋根を吊る様式で、室内空間を大きくする。設計は武基雄。早稲田大学理工学部建築学科卒、昭和15年より、昭和54年まで早稲田大学で教鞭をとる。昭和25年に武建築設計研究所を開設した。 |
松山町は新幹線の古川駅より南方にあり、東北本線の松山町駅がある。仙台伊達藩の重臣・茂庭家一万三千石の城下町である。狭い範囲だが城下町らしい雰囲気が残る落ち着いた町。歌手・フランク永井の故郷でもある。 |
松山の町並み | 気仙沼市役所第二庁舎 | 教育資料館 | 警察資料館 | 水沢県庁記念館 |
町並み | 気仙沼尋常高等小学校 | 旧登米高等小学校 | 旧登米警察署 | 旧水沢県庁舎 |
大崎市松山千石 地区 | 気仙沼八日町1-1 | 登米市登米町寺池6 | 登米市登米町下町 | 登米市登米町寺池桜小路1 |
撮影 11-09 | 1927(昭和2年) 撮影 00-06 | 1888(明治21年) 撮影 18-10 | 1889(明治22年) 撮影 92-08 | 1872(明治5年) 撮影 92-08 |
★ | ★ | ★日本の道100選 | ★市指定文化財 | ★市指定文化財 |
size | size 3319 X 2080 | size 4946 X 2440 | size 2932 X 1974 | size 2634 X 1410 |
06-0036-03 | 06-0040-01 | 06-0050-01 | 06-0050-02 | 06-0050-03 |
松山町の町を訪れたのは東日本大地震の半年後である。町を歩くと土蔵造りの蔵が多く壁が崩れたり、棟が崩れて落ちていたりした。珍しい龍の棟飾りがあった。関東では鯱は見かけるが龍はない。崩れた土蔵も残してほしい。 | 現教育資料館は明治21年に完成した旧登米高等尋常小学校である。素木造、屋根は寄棟造り棧瓦葺きで、木造二階、バルコニーのある玄関ポーチがある。設計監督者はヨーロッパに渡り洋風建築を学んだ大工の山添喜三郎である。 |
旧登米警察署庁舎は、明治21年に金成警察署登米分署から登米警察署に昇格し、庁舎を新築して明治22年に完成した。木造二階、下見板張り白ペンキ塗り寄棟造、玄関の二階はバルコニーとなっている。設計は山添喜三郎である。 |
登米県庁舎として着工されたが一関県、水沢県と変更された。玄関は入母屋造で、破風には木連れ格子を付した純粋な日本建築となっている。内部は洋風な木造平屋建て、明治以降の公共建築を代表する貴重な洋風建築と言える。 |
海老喜 | 登米の文化住宅 | 登米の文化住宅 | 歴史民俗資料館 | 歴史民俗資料館 |
旧店舗 | 住宅 | 住宅 | 旧金成小学校校舎 | 旧金成小学校校舎 |
登米市登米町寺池三日町22 | 登米市登米町寺池 | 登米市登米町寺池 | 栗原市金成町中町7 | 栗原市金成町中町7 |
1912-26(大正期) 撮影 18-10 | 昭和戦後 ? 撮影 18-10 | 昭和戦後 ? 撮影 18-10 | 1887(明治20年) 撮影 10-08 | 1887(明治20年) 撮影 10-08 |
★国登録文化財 | ★ | ★ | ★県指定文化財 | ★県指定文化財 |
size 3818 X 2832 | size ・・・6点 | size ・・・6点 | size 4368 X 2504 | size 2196 X 3132 |
06-0050-04 | 06-0050-05 | 06-0050-05 | 06-0060-01 | 06-0060-02 |
海老喜は登米の旧城下町に所在する、味噌、醤油などの醸造業として江戸後期に創業した豪商である。店舗は角地に建っている為、角を隅切をして一階を店、二階に客座敷としている。二階は大壁で、腰の海鼠壁の意匠を凝らす。 | 擬洋風建築の木造2階建て、寄棟、鉄板葺き、外壁は下見板張り、玄関ポーチが大きく、前に張り出して2階をバルコニーになっている。最近の調査で明治20年に新築され、改造を受け明治43年、現在地に移築された事が判明。 |
金成ハリストス正教会 | 金成ハリストス正教会 | 金成ハリストス正教会 | 金成ハリストス正教会 | ● 宮北自動車整備工場 |
イオアン聖堂 | イオアン聖堂 | イオアン聖堂 | イオアン聖堂 | 旧若柳公会堂 |
栗原市金成町字上町 | 栗原市金成町字上町 | 栗原市金成町字上町 | 栗原市金成町字上町 | 栗原市若柳町字川北南道伝前 |
1934(昭和9年) 撮影 10-08 | 1934(昭和9年) 撮影 10-08 | 1934(昭和9年) 撮影 10-08 | 1934(昭和9年) 撮影 10-08 | 1928(昭和3年) 撮影 92-09 |
★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★ 取毀 |
size ・・・4点 | size ・・・4点 | size ・・・4点 | size ・・・4点 | size 3112 X 2093 |
06-0060-03 | 06-0060-03 | 06-0060-03 | 06-0060-03 | 06-0060-04 |
金成町出身の酒井篤礼は函館で医者していた頃、ロシアの宣教師ニコライより洗礼を受けた。金成町にもどり、明治8年に仮会堂を建設した。その後、甥にあたる川股松太郎が自宅敷地に現聖堂を建てた。設計は内井進である。 |
松島町健康館 | ● 松島城待合所 | ● 松島観光ホテル | 原阿佐緒記念館 | 大和武道館 |
旧松島駅 | 待合所 | 旧松島城 | 原阿佐緒生家 | 武道場 |
宮城郡松島町初原字町内 | 宮城郡松島町初原字樋田 | 宮城郡松島町字普賢堂 | 黒川郡大和町宮床字八坊原 | 黒川郡大和町吉岡字町裏 |
1919(大正8年) 撮影 92-09 | 1919(大正8年) 撮影 92-09 | 1927(昭和2年) 撮影 92-09 | 1883(明治16年) 撮影 12-07 | 1929(昭和4年) 撮影 92-08 |
★ | ★ | ★ | ★ | ★国登録文化財 |
size 3235 X 2071 | size 1759 X 2513 | size 3335 X 2095 | size 3622 X 2521 | size 3093 X 2055 |
06-0130-01 | 06-0130-02 | 06-0130-03 | 06-0134-01 | 06-0134-02 |
東北本線は開業当初、現在の岩切-品井沼駅間を利府経由を通り、松島駅は町の中心部より遠い山間部にあった。昭和19年に塩釜駅経由の新線が完成して廃線になった。後に松島町国保診療所になり、現在は松島町健康館である。 | 松島町健康館(旧松島駅)の道路をはさんだ向かいには天守閣のような3階建ての異様な建物があった。東北本線の利府線が通っていた頃、それだけ沢山いた松島城(松島観光ホテル)の観光客の送迎用待合室であったのだろう。 | アララギ派の女流歌人であった原阿佐緒の記念館である。阿佐緒の生家を修復、一部改築して開館した。明治16年ころ、阿佐緒の祖父と父によって建てられたと推定される。歌集(初版本)、歌稿、着物などが展示されている。 |
大和町で数少ない洋風建築の大和町武道館は旧吉岡尋常高等小学校の講堂だったものだ。屋根は半切妻、瓦葺き、妻入りの建物で、正面入口の3つの入口の庇の上部にには半円形のファンライトという明かり窓が付いている。 |