佐藤一斎の「三学戒」
佐藤一斎(さとう いっさい)1772〜1859 
安永元年江戸後期の用命学派の儒者。江戸の人。名は坦。若くして林家の塾長に抜擢され、昌平黌の教授となる。諸大名以下門下3000人と称され、に佐久間象山、安積艮斎らの俊秀を輩出。86歳で逝去。主著『言志四録』『近思録』など。

美濃国岩村藩の家老の子に生まれる。名は坦、別号は愛日楼。1790年(寛政2)藩主の第三子松平徳詮(後の林述斎)の近侍となる。井上四明に朱子学を学び、のち大坂に出て中井竹山に学び陽明学に傾く。1793年(寛政5)林家の門に入り、松崎慊堂とは同門。林述斎の後をうけて昌平黌の儒官(教官)となり、官学中興に尽力した。その学問は、表面的には朱子学の立場をとったが、陽明学の影響を受け、西洋科学や海防の必要性も理解したものである。門人は佐久間象山・安積艮斎・大橋訥庵ら。
 「少(わか)くして学べば壮にして為すあり。」
若くして学べば、大人になって世のため、人のために役に立つ人間になる。
「壮にして学べば老いて衰えず。」

壮年になって学べば、年をとっても衰えない。いつまでも活きいきしていられる。

「老いて学べば死して朽ちず。」

 年をとって学べば、死んでもくさらない。その精神は永遠に残る。と、言志四録(げんししろく)の一説に「三学戒」として述べています。

 別の訳には、人は、幼少の頃に学ぶ楽しさが身につけば、大人になった時、社会の役に立つ人物となる。
 30歳を過ぎて学ぶ意欲が心の底から湧き出せば、中高年と言われる年代こそ日々の人生が充実し、周囲を明かるくするものだ。
 70代、80代で学ぶ人は、今までの人生経験に輝きが増し、後世の人々に大きな目標・理想の炎を燃やし続けさせる人物となる。

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