近代和風建築の原型としての武家住宅
土浦藩(九万五千石)では、風雲急を告げる幕末の文久三年(1863)に
新郭(通称、在宅)に武家住宅を造成した。
「土浦市史」(昭和50年11月発行)を引用する。
「参勤交代制が制度化された寛永12年から、諸大名は国元と江戸に1年
置きに居住することになり、江戸屋敷にも国元にも家臣を2分して置くこ
とを余儀なくされたのである。
いずれにしても、各藩とも参勤交代制の実施は財政的に大きな負担とな
ったが、幕末になって国防上の見地から、松平春嶽の献策により、文久2
年(1862)閏8月の大改革となり、御三家など溜間詰(たまりのまづめ)
は三年に一年在府とし、大名の妻子の就国も許すことになった。 したが
って土屋藩においても大部分の江戸詰め藩士は引き上げることになり、文
久三年 (1863)秋には常名に新郭をつくり、ここに移った。面積23万3
千5百坪を石高によって屋敷割りし、千石の杉村弘之充を筆頭として、1
60戸の藩士を入居させた。藩士の子弟のため、新郭の中に藩校郁文館の
分館菜藻館を設け、木原老谷が分館長として教育にあたった。版籍奉還、
廃藩置県によって藩士も離散し、今日では、道路区画やわずかに残る藩士
屋敷に、昔日の面影をしのぶだけである。」
現在では、殆どの武家住宅は取り壊されて、遺構としては、この一色家
住宅は希有の例となってしまった。柱は細く、簡単な茅葺き寄棟造である
が、当時の武家住宅の面影を充分に残している。