室町末期に三吉氏によって寄進されたものと考えられている。三吉氏は中世にはこの地方の領主であった。宝蔵は琵琶板に墨絵があったり、蟇股に力士像も見られる。宝蔵には通常ない向拝付という形態は校倉建築としては珍しい例とされる。かつて社殿も校倉造だったためその姿を留めるため校倉造にしたといわれる。 床下と屋根は後世の改修だが素朴で美しい宝蔵である。