江戸時代、主街道には一里毎の目印として一里塚が設けられたが、これが地方へ波及したと考えられ、一里堂もその一つと思われる。明治になって霊場巡りが盛んになりそれも合体したと考えられる。木造平屋、方4.1m茅葺屋根。内部には弘法大師の立像1体と地蔵石仏4体が祀られ旅人が祈願、休息、雨宿りしたと思われる。 堂内には掃除道具や消火器が置かれ今も地域の人々に大切に守られている。宍粟新四国八十八カ所十番札所。