元は石動山天平寺の開山堂として建立され、明治維新に石動山の寺領没収や七ケ国知識米勧請停止など、一山の経営が成り立たなくなったため、諸堂を売却した際に中田村が道神社の拝殿として買い受けた。2002年に瓦葺を元のこけら葺に戻すなどして美しい堂が蘇った。