大同2年に空海が自作の千手観音を安置したのが寺の始まりである。観音堂は別称「大悲閣」と呼ばれる傾斜地に建てられた懸造りの御堂で桁行5間、梁間3間。天井は格天井で見応えのある極彩色の観音像が描かれている。