大分県

 

府内城人質櫓・宗門櫓 後藤家住宅 願成院本堂(愛染堂) 願成院円通閣
大分市荷揚町 大分市荷尾杵1161 竹田市大字竹田 竹田市大字竹田
竣工/文久元年(1861/江戸末期) 竣工/江戸後期 竣工/寛永12年(1635/江戸前期) 竣工/寛政11年(1799/江戸後期)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★市指定文化財
慶長7年に四重櫓の天守が築かれたが寛保3年の大火で焼失し再建はされていない。その後再建された建物は少なく江戸期の建物で残っているのは人質櫓(文久元年)と宗門櫓(安政6年)だけである。 山間部にあり、小庄屋の屋敷。直屋(すぐや)、寄棟造、茅葺。土間沿いの一間幅の板間、座敷の格子窓、広間の蔀戸など、この地方の古い形式が見られる。大分県内でも最も古い部類に入る建築。 城下内に愛子の建造物。二代藩主・中川久盛により建立された。方三間、宝形造、本瓦葺。内部は柱の無い一間で独特の形式である。内部の側柱上部に彩色、小壁に天女などの壁画が描かれている。 中国蘇州の寒山寺楼門を模したという中国風の楼門である。二階の部分は願成院の庫裡として使われている。屋根の鬼瓦銘に寛政7年、保存修理が行われた際に確認された寛政11年の棟札がある。

 

塩屋荒物店 竹田の武家屋敷通り 多田家住宅 斉藤家住宅
竹田市竹田町526-1 竹田市殿町 豊後大野市三重町市場1308-1 臼杵市大字福良字屋敷余り212
竣工/明治中期 竣工/ 竣工/元治元年(1864/江戸後期) 竣工/明治20年(1887)
★国登録文化財 ★国登録文化財
竹田の城下町には小路と水路が張り巡らされ、その八幡川横丁に店がある。かつては農業品を扱っていたが現在は竹製品などを商う明治の商家建築。土蔵造、瓦葺。 竹田は岡城の城下町。城を眺める城下町の風情は無い。殿町の一角は土塀と漆喰壁が連なる。藩政時代の迎賓館「御客間」は現在茶房となったが枯山水の庭園が残る。 御成屋敷東側に接して建つ南北棟の居宅。御成屋敷玄関に並行して妻入の玄関を置き、全体でL字型は平面を成す。御成屋敷は藩主を迎えるために建てられたもの。 切妻造、瓦葺、二階建の町屋。1階軒周りに小庇がつく。北側は神社の参道に面し水切りの小庇を二段に付けた意匠た付属屋がある。左側は神社の参道で鳥居が見える。

 

小手川酒造主屋 宇佐神宮呉橋 宇佐神宮南中楼門 豊前善光寺本堂
臼杵市大字臼杵浜町538 宇佐市大字南宇佐2859 宇佐市大字南宇佐2859 宇佐市大字下時枝
竣工/慶応元年(1865/江戸末期) 竣工/元和元年(1615/江戸前期) 竣工/寛保2年(1742/江戸中期) 竣工/鎌倉後期~室町初期
★国登録文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
広い間口を持つ大規模な二階建平入の町屋。二階の外壁は白漆喰の大壁造。瓦葺、建築面積256㎡。規模が大きく建設年代が古い建築のひとつ。作家・野上弥生子の生家で一角に文学記念館がある。 寄藻川に架かる屋根付き朱塗りの木造橋。橋脚は石造。西参道は、表参道であった。朝廷より派遣された勅使が通るため勅使街道と呼ばれていた。10年に一度の勅使祭りだけ渡橋が許されている。 三間一戸楼門、後の間に床板を張り、左右は回廊(翼廊)、背面は申殿に続く「門」として特異な形態である。山口県山口市地方の今八幡神社、古熊神社にみられる「楼拝殿造」に酷似する。 本堂は和様、禅宗様折衷の鎌倉時代末期の建築様式を伝える建造物。桁行7間、梁間5間、寄棟造、本瓦葺、唐破風の向拝付。軒は二軒角繁垂木、組物は出三斗、木鼻の形は禅宗様である。

 

  
龍岩寺奥院礼堂 泉福寺昭堂 涛音寮茶房さんがいや 涛音寮茶房さんがいや
宇佐市慰安内町大門国東市横手 国東市国見町伊美2017 国東市国見町伊美2017
竣工/文弘安9年(1286/鎌倉後期) 竣工/明応6年(1497) 竣工/明治中期 竣工/明治中期
★国指定重要文化財 ★市指定文化財
日本三大投入堂の一つ、桁行3間、梁間2間、片流屋根、板葺の懸造の堂。礼堂の間に架けられたいる梯子状の「きざはし」は原始的工作による階段で、伊勢神宮と此処だけにみられるもである。 昭堂の背面は開山堂に繋がっており、開山堂の礼拝堂として建立されたものである。入母屋・妻入、背面は切妻、大虹梁上に火打窓を設け、内部に観音像を安置する。正面脇間に連子窓、引戸である。 伊美は国東半島の先端、伊美川の河口にある港町である。通称「三階屋」。造り酒屋の母屋として建てられたもので、木造三階建の天守閣のような建築。現在はギャラリー&飲食店に転用されている。  

 

三浦梅安旧宅 富貴寺大堂 杵築の町並み 神尾家住宅
国東市安岐町富清2507-1 豊後高田市田染蕗2395 杵築市北台、南台 中津市山国町守実120
竣工/安永4年(1775/江戸中期) 竣工/平安後期 竣工/ 竣工/明和8年(1771/江戸中期)
★国指定史跡 ★国宝 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財
梅安は江戸時代の思想家。祖業の医師を継いで郷土を出ず塾を開いて門生を指導した。民生の向上にも意を用い、郷党の尊敬を受けた。宅は寄棟造、茅葺。向かって右に狭い土間を設け、左に座敷居間を配置し玄関を設ける。 正面3間、側面4間で堂後方に仏壇を置いて、その前方に礼拝のための空間を広く取っている。屋根は宝形造、瓦は「行基葺」と呼ばれるものである。九州地方に残る和様の平安建築として歴史的、建築的価値が高いものである。 杵築城の城下町である。南北の両台地上に上級家臣の武家屋敷町が築かれ、その谷間に商家などが並ぶ町人町が造られた。さらに城下の入口にあたる南側の南杵築地区には寺町と中、下級武士の屋敷を配して防衛線とした。 江戸時代に組頭を勤めた旧家であった。建立年代が判る民家としては九州最古。曲り寄棟造、萱葺。三つに折れ曲がった屋根や18畳の大広間、家中にある馬小屋などの特徴が見られる。雁行形の曲り寄棟造りが特徴である。

 

大野老松神社旧本殿 豆田の町並み 草野家住宅 旧行徳家住宅
日田市大野833 日田市豆田町 日田市豆田町11-4 日田市夜明3256
竣工/長享2年(1488/室町後期) 竣工/ 竣工/元禄年間(江戸中期) 竣工/天保13年~弘化4年
★国指定重要文化財 ★伝統的建造物群保存地区 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
三間社流造、板葺。覆屋を架けている。比較的木割が太く製糖的様式だが細部に特異な手法も見られる。社伝では延久3年大蔵永季の創建という。豊後国志に長享 2年に長谷部氏によって本殿建立とある。数少ない室町時代の建築。 江戸幕府直轄の畳間町「天領」で、山林井恵まれ林業が盛んで日田杉を用いた下駄などの木工品等の山の幸でも町は潤った。西側の御幸通り、東側の上町(うわまち)通りの二本の通りとそれを繋ぐ細い路地で成る町並みである。 草野家は元禄時代からここに屋敷があり生蝋の製造(屋号は桝屋)を営み、元禄初期から明治末期までは掛屋(代官御用達金融業)を勤めた商家である。最も古いのは仏間部で享保10年頃の建造といわれ、他は豆田大火後に建築。 大分県西部に分布する曲り屋形式の屋根と土間を広く取った大庄屋階級の家。桁行15.7m、梁間10.8m、寄棟造、茅葺。正面中央に式台玄関がある。行徳家は医者の家系で,現在も別の場所で開業している。天保の墨書がある。

 

薫長酒蔵資料館(中蔵) 岩尾薬局日本丸本店 旧原節蔵商店 千辛萬苦之場
日田市豆田町6-31 日田市豆田町4-15 日田市隈2-1-9 別府市上田の湯6-37
竣工/文政9年(1826/江戸後期) 竣工/明治~大正 竣工/ 竣工/天天保13年(1842/江戸後期)
★市指定史跡
元禄15年(1702)竣工の北蔵を筆頭に大正7年(1918)竣工の南蔵まで5棟の歴史ある酒蔵を守りながら現在も酒造りをしている。資料館は中蔵を活用したもの。資料館の隣に酒造りの工程や昭和30年頃の酒造りの様子が判る。 何にでも効く特効薬「日本丸」は薬名。建物は城郭風で「豆田の天守閣」などと呼ばれる。当初は総二階造(重箱造)だったが大正15年に入母屋造銅板葺の望楼が増築された。母屋1階の書斎は江戸後期の建築といわれる。   旅籠「若彦」の離屋敷にあった土蔵造の木造二階建の建築。1階は8畳1間、2階は6畳1間から成り各階共に南側に縁を設ける。慶応元年、井上馨が一時潜伏した場所で、後に井上が来別して「千辛萬苦之場」と揮毫した。

 

2020.08.12

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