崇福寺大雄宝殿 | 崇福寺鐘鼓楼 | 崇福寺媽姐門 | 崇福寺三門(楼門) |
長崎市鍛冶屋町7-5 | 長崎市鍛冶屋町7-5 | 長崎市鍛冶屋町7-5 | 長崎市鍛冶屋町7-5 |
竣工/正保3年(1646/江戸前期) | 竣工/享保13年(1728/江戸中期) | 竣工/寛文6年(1666/江戸前期) | 竣工/嘉永2年(1849) |
★国宝 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
すべて唐土で切組み舶載建立されたと思われる。前面吹放し廊下のアーチ型天井は「前巻」という。当初は単層だったが後に上層が付加された。 | 享保13年の年号と木匠頭荒木治右衛門の墨書がある。妻の懸魚や破風等の細部に和風様式が混入しているのは、棟梁が日本人のためであろう。 | 媽姐門は菩薩門とも呼ばれ、三間三戸の三棟造の八脚門形式になる。前面は黄檗系の建物によくみられる輪垂木の化粧屋根裏としてある。 | 棟梁大串五郎平以下、すべて日本人工匠の手による。山門が焼失したあと、嘉永2年に、この様式で上梁再建された。寺院の外門で三門という。 |
崇福寺第一峰門 | 崇福寺第一峰門 | 興福寺大雄宝殿 | 中島聖堂遺構大学門 |
長崎市鍛冶屋町7-5 | 長崎市鍛冶屋町7-5 | 長崎市寺町4-32 | 長崎市寺町4-32 |
竣工/元禄8年(1695) | 竣工/元禄8年(1695) | 竣工/明治16年(1883) | 竣工/正徳元年(1711/江戸中期) |
★国宝 | ★国宝 | ★国指定重要文化財 | ★県指定文化財 |
中国寧波で材を切組み、唐船数隻に分載舶来し再建された。垂木を平に使った二軒の隅扇垂木・鼻隠板・柱上部の籘巻等の中国の様式は寺内他の建物にも見られる。下に三門が出来、二の門にになる。 | 軒下の構造組物に特徴があり、四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)と呼ばれる複雑巧緻な詰組は他には類例がなく、華南地方にも稀という。軒下軒裏には極彩色の吉祥模様を施してある。 | 元禄2年に再建された堂は慶応元年に暴風で大破し明治16年に復興。中国工人の手による純粋な中国建築で精密な彫刻や鮮やかな彩色、氷裂式組子の丸窓などがある。3間X4間、裳階付、本瓦葺。 | 正保4年(1647)に儒者・向井元升が東上町に孔子廟と学舎を設立したが焼失。鋳銭所跡に再建したが明治以降衰退したので、現在地に移築、保存。扉門に大学の章句を刻むので俗に大学門と呼ぶ。 |
普門寺景粛堂(一本堂) | 旧松浦詮(アキラ)邸 | 島原武家屋敷の町並み | |
平戸市木ケ津町1457 | 平戸市鏡川町12 | 島原市下ノ丁 | |
竣工/文化11年(1814/江戸後期) | 竣工/明治26年(1893) | 竣工/ | 竣工/ |
★市指定文化財 | ★(松浦史料博物館) | ★市指定保存地区 | ★ |
平戸藩21代藩主・松浦義が植えたと伝えられる大杉一本だけで建てられた堂で、別名「一本堂」。寄棟造、瓦葺。大杉が台風により倒れ、 時の藩主は、何かの因縁と、景粛堂の建築を命じた。 | 主屋に当たる「千歳閣」を中心に手前に玄関、奥に書院に当たる九皐斎の3棟で構成される。千歳閣は謁見の間として建てられたもので南側の24畳と32畳のに膣を主室とする。近代藩主邸宅建築。 | 島原城の西側の上新丁、下新丁、中ノ丁、下ノ丁、江戸丁、新建に扶持取り70石以上の徒士屋敷約700戸が軒を連ねていた。道路の中央には水路を設け生活用水とした。現在は400mだけ残してある。 |
2020.08.15