飫肥城豫章館(旧伊東祐帰邸) | 旧藩校振徳堂 | 飫肥城大手門 | 飫肥の町並み |
日南市飫肥9-1-8 | 日南市飫肥10-2-1 | 日南市飫肥10-1-2 | 日南市飫肥 |
竣工/明治元年(1868) | 竣工/天保2年(1831.江戸後期) | 竣工/昭和53年(1978) | 竣工/ |
★市指定文化財 | ★市指定史跡 | ★ | ★伝統的建造物群保存地区 |
飫肥藩の典型的な武家屋敷。母屋のほかに雑舎、御数奇屋で構成されている。母屋はL字型に6室を配置、千鳥破風屋根の玄関は主玄関と脇玄関がある。建物は良質な飫肥杉で造られている。 | 藩主・13代祐相公により開かれた。伊東祐相公が改築し、天保2年位完成し、「振徳堂」と名付けた。高い石垣に囲まれた広い敷地内に長屋門と主屋がある。教授は安井息軒親子を始め5人で教えた。 | 難攻不落の名城として全国にその名を轟かせた日南市の飫肥城。すべての城郭建築は明治6年に取り壊された。石垣のみ残り、銃弾跡がある。大手門が復元された。建築史家・藤岡通夫博士の設計、監修。 | 高台にあり南に傾斜した地域に町は造られている。今の町割りは江戸期にできたものである。道路拡張に伴い町屋の多くは失われたが、振徳堂などある武家屋敷区域は石垣も良く残り往時を忍ばせる。 |
商家資料館 | 旧廻船問屋河内屋 | 旧矢野家(美々津軒) | 旧矢野家(美々津軒) |
日南市飫肥8-1-9 | 日向市美々津町3244 | 日向市美々津町3328 | 日向市美々津町3328 |
竣工/明治3年(1870) | 竣工/安政2年(1855江戸末期) | 竣工/明治17年(1884) | 竣工/明治17年(1884) |
★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★ | ★ |
江戸時代の山林地主の山本五兵衛が建てた木造二階建、白漆喰土蔵造、飫肥杉を使った店舗併用住宅。前面が店舗、住居空間は奥で土間が通り土間となっている。昭和3年に妹尾家の所有となり金物屋として使用した。 | 全国的に珍しい河口に面した港にある町家。虫籠窓、京格子など京や浪花の町屋造を取り入れた商家建築。中庭、離れ、箱階段など内部も贅沢な造りが見られる。廻船問屋なので二階からは海が望めるよぷになっている。 | 元廻船問屋。平入、木造二階建、瓦葺の町屋建築。重厚感ある佇まいはもちろん、土間や太い梁など古民家好きは必見。建物に関する情報や説明は極めて薄い。 |
美々津まちなみセンター | 美々津の町並み | 美々津の町並み | 若山牧水生家 |
日向市美々津 | 日向市美々津 | 日向市美々津 | 日向市東郷町坪谷3 |
竣工/明治期 | 竣工/ | 竣工/ | 竣工/弘化2年(1845/江戸後期) |
★市指定文化財 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★ |
白壁土蔵造の小売商を改修したまちなみ休憩施設。江戸時代から明治、大正時代に建てられた木造の古い家屋、平入り、妻入りの趣ある建物が多く軒を連ねており、往時の雰囲気を今に伝えている。 | 日向灘に面した港町・美々津は、江戸時代には高鍋藩の商業港として栄えた港町である。保存地区の上町、中町、下町は耳川河口に築かれた港の隣接地で、江戸~明治の町屋が数多く残る。 | 瀬戸内地方や上方(大阪)とを結んだ港町。南に延びる三本の主要路や、それの直交するツキヌケは江戸時代に設けられたものといわれ旧い敷地割や石畳が残る。河内屋や矢野家も伝建内にある。 | 牧水の祖父・健海は日本で最も早い時期に種痘を普及させた偉業を持つ医師、父も医師である。祖父は15才の頃から江戸や長崎で医学を学び、弘化2年に診療所を兼ねた二階建の医院併用住宅を建てた。 |
高千穂神社拝殿 | 高千穂神社本殿 | 方舟館 | 静養館(教師館) |
西臼杵郡高千穂町三田井字神殿1037 | 西臼杵郡高千穂町三田井字神殿1037 | 児湯郡木城町椎木字中原644-1 | 児湯郡木城町椎木字中原644-1 |
竣工/安永7年(1777/江戸中期) | 竣工/安永7年(1777/江戸中期) | 竣工/明治末期 | 竣工/明治12年(1879) |
★ | ★国指定重要文化財 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 |
社伝によれば、三毛入野命が祖神の日向三代を祀ったのが創まり。拝殿前に根元が1つの「夫婦杉」と呼ばれる2本の大杉が聳え、夫婦が3周すると、夫婦円満・家内安全・子孫繁栄の願いが叶うと伝わる。 | 本殿は梁間2間の五間社流で棟に千木、鰹木を置く。東側の脇障子に彫刻された鬼八を退治する三毛入野命の神像、伝説や祭礼に関する彫物など地方色に溢れる南九州を代表する大規模な社殿である。 | キリスト教を基礎とした理想的農村共同体。岡山からの移築。大正末期に3階部分を増築、星島二郎の募金活動で造られた「アンジェラスの鐘」が吊るされている。石井友愛社の事務所として使用。 | 石井十次が岡山に建てられた岡山孤児園舎を移築して茶臼孤児園舎の事務所として使用したもの。大正12年に二階建から平屋に改変された。岡山ではペレー館と呼ばれた。洋風要素がある。 |
高鍋藩家老屋敷黒水家住宅 | 明倫堂書庫・秋月毅堂書庫 | ||
児湯郡高鍋町大字上江1390 | 児湯郡高鍋町南高鍋6916 | ||
竣工/文化・文政頃(江戸後期) | 竣工/安永7年(1777/江戸中期) | 竣工/ | 竣工/ |
★ | ★国指定重要文化財 | ★ | ★ |
加辺藩家老・黒水家の住宅。主屋は鍵座敷になった寄棟造、茅葺。玄関に向かって左が居間、右へ順に10畳、8畳、の次の間と続き、書院のある上の間が鍵となって前方に突き出す造りである。籾蔵、味噌蔵も残る。 | 明倫堂は安永7年(1778)に高鍋藩7代・秋月種茂が創設した藩校である。書庫を正幸会が買い取り昭和29年に移築、復元して町に寄贈した。土蔵造。明倫堂文庫の蔵書には、「漢訳和蘭字典 五車韻府」(写本)などがある。 |
2020.08.20