熊本城天主 | 熊本城宇土櫓 | 熊本城不開門 | 熊本城平櫓 |
熊本市中央区本丸1-1 | 熊本市中央区本丸1-1 | 熊本市中央区本丸1-1 | 熊本市中央区本丸1-1 |
竣工/昭和35年(1960) | 竣工/慶長12年(1607/江戸初期) | 竣工/慶応2年(1866/江戸末期) | 竣工/安政7年(1860/江戸末期) |
★ | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
城は加藤清正によって慶長12年に完成。西南戦争で多くが焼失したが多くの櫓などが残る。天守は昭和35年RC復元。藤岡通夫自身による古写真と平面図を基に原寸図で正確な外観、復原設計した。 | 本丸の西北の石垣上に建つ。天守並みの構造と大きさがある。慶長の造営時に小西行長が築いた宇土城の三層五重の天守を移築したもので、豊臣秀吉が活躍した時代の天守の様式を示している。 | 城の北東に位置する。普段は閉ざし不浄なものを運ぶ時だけ開いたため不開門と呼ばれる。門の形式は両側の石垣に櫓を渡し架け、下が門となった櫓門で江戸時代のものはこの「不開門」のみ。 | 櫓、門、塀には慶長期の建築と幕末の建築があり、いずれも建築当時の姿をよくとどめている。平成28年(2016)の熊本地震で、重要文化財13棟が全て損傷し、平櫓も解体し、再建する予定。 |
古今伝授の間 | 吉田松花堂(薬舗) | 八千代座 | 八千代座 |
熊本市中央区水前寺公園8-1 | 熊本市中央区新町4-1-48 | 山鹿市山鹿1499 | 山鹿市山鹿1499 |
竣工/江戸初期 | 竣工/明治10年(1877) | 竣工/明治43年(1910) | 竣工/明治43年(1910) |
★県指定文化財 | ★市景観形成建造物 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
細川幽斎が八条家智仁親王に「古今和歌集」の講義を行っていたとの事。長岡天神に移され、細川家に寄贈、解体され保管。大正元年に復元。入母屋造、茅葺。桂離宮の松琴亭に似た概要の建築である。 | 江戸時代から重宝される薬「諸毒消丸」を製造販売する薬商。西側は町屋、東側は武家屋敷風の造り。熊本城下最大の町屋建築。文政年間に漢方医として熊本の地で開業したのが始まりという。 | 地元有志の組合よって建てられた芝居小屋で、設計施工も地元民による。木造2階建、正面17.2m、側面25.8m、(間口29.49mとした資料もあり)収容700名。小屋組は洋式トラス構造である。 | 八千代座は、明治43年に建築されたもので江戸時代の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える芝居小屋。八千代座を工事監督をしたのは、回船問屋の主人・木村亀太郎で各地の劇場見学し設計した。 |
旧池田屋質店 | 一の宮阿蘇神社社殿 | 旅館金波楼 | 旅館金波楼 |
山鹿市山鹿1495 | 阿蘇市一の宮町宮地3083-1 | 八代市日奈久上西町 | 八代市日奈久上西町 |
竣工/江戸末期 | 竣工/天保6~嘉永3年(1835-50) | 竣工/ | 竣工/弘化2年(1845/江戸後期) |
★ | ★国指定重要文化財 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 |
山鹿市の質屋の第一号。住居部分は明治33年の増築。明治時代の屋号は「亀屋」で古着商だった。建具にはベンガラが使用されていた。 | 神殿3棟、楼門など諸門6棟が国重文で、楼門は高さ18mで九州最大の規模を誇るが平成28年の熊本地震で倒壊、拝殿も倒壊した。復旧中。 | 日奈久温泉。本館は明治42年、北東側おL字型の棟は大正3年の隣接旅館を買い取り接続した。寄棟、切妻屋根を複雑に組み合わせたもの。 | 各階に庇を付け、おおきな窓とガラス戸を用いた開放的な外観である。東側奥に接続する大広間棟は昭和13年築の木造二階建である。 |
旧緒方家住宅 | 徳富蘇峰・蘆花生家 | 青井阿蘇神社楼門 | 青井阿蘇神社拝殿 |
八代市椎原46 | 水俣市浜町2丁目6−5 | 人吉市上青井町 | 人吉市上青井町 |
竣工/寛政年間(江戸後期) | 竣工/寛政2年(1790/江戸後期) | 竣工/慶長18年(1613/江戸前期) | 竣工/慶長18年(1613/江戸前期) |
★ | ★市指定文化財 | ★国宝 | ★国宝 |
壇ノ浦で敗れた左中将清経の子孫・緒形紀四郎盛行が住み、」代々この地を支配した。二階には隠し部屋があるという。五家荘と呼ばれる地域で中世以来の五軒の家が地域を治めたことに由来する。 | 言論、文学界で活躍した兄弟の生家。県下最古の町屋建築である。道路に面して二棟の建物が並立し西側の妻入の建物が生家である。東側の建物は明治22年の竣工で後の所有者・西村家の増築である。 | 楼門、拝殿、幣殿、廊、本殿が一括して国宝指定である。楼門、拝殿、幣殿は茅葺。桃山様式の華麗な建築群で南九州に多い雲竜形の彫刻が添えられていることも特徴の一つである。楼門は禅宗様式。 | 建物の内部は拝殿・神楽殿(かぐらでん)・神供所(じんくしょ)の三部屋に仕切られているのが最大の特徴。神楽殿には天体にたとえたヤツジメとよばれるこの地方独特な舞台装飾が施される。 |
青井阿蘇神社幣殿 | 青井阿蘇神社本殿 | 明導寺阿弥陀堂 | 明導寺阿弥陀堂 |
人吉市上青井町 | 人吉市上青井町 | 球磨郡湯前町東方 | 球磨郡湯前町東方 |
竣工/慶長18年(1613/江戸前期) | 竣工/慶長18年(1613/江戸前期) | 竣工/寛喜2年(1230/鎌倉中期) | 竣工/寛喜2年(1230/鎌倉中期) |
★国宝 | ★国宝 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
本殿から向かって縦長に配置され内部は四季折々の花鳥風月、外部は動植物の華麗な彫刻や餝金具の装飾で彩られている。彫刻技法や特異な幣拝殿形式などは、広く南九州地方にその影響が認められる。 | 青井阿蘇神社は、中世以降、領主相良氏の崇敬を受けた。本殿の正面中央の御扉(みとびら)は神仏習合の思想を偲ばせる真言密教の法具である「輪宝(りんぽう)」の金具が使われている。左右は蔀戸である。 | 鎌倉初期にこの地方を支配した豪族の久米氏が自らの極楽往生を願って建立した。大正4年の国宝指定の際に誤記されて「城泉寺」とも記される。県内最古の鎌倉時代の木造建築。方三間、寄棟造、茅葺。 | 城泉寺は沙弥浄心(久米三郎真家)が創建したので昔は浄心寺と呼ばれていた。現在は明導寺の飛地境内になっていることから、阿弥陀堂は明導寺阿弥陀堂と呼ばれている。石造九重塔、石造七重塔も重文。 |
青蓮寺阿弥陀堂 | 青蓮寺阿弥陀堂 | 太田家住宅 | 旧境家住宅 |
球磨郡多良木町黒肥地北山下 | 球磨郡多良木町黒肥地北山下 | 球磨郡多良木町多良木中仁原4 | 玉名郡和水町江田302肥後民家村 |
竣工/永仁6年(1298/鎌倉後期) | 竣工/永仁6年(1298/鎌倉後期) | 竣工/江戸末期 | 竣工/文政13年(1830/江戸後期) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
多良木相良氏三代目・頼宗が曽祖父・頼景のために建立。広さ100㎡、高さ13mの県内最大の茅葺御堂。堂内は内陣と外陣に分かれ柱はすべて円柱である。五間堂で、正面3間は桟唐戸が付く。 | 頼影婦人青蓮尼の位牌所として青蓮寺を建立し、寺名は頼景後室・青蓮尼に由来する。相良氏は遠江国相良荘の武士で、関ヶ原合戦を生き残り、明治維新まで674年間、球磨郡の領主として存続した。 | 太良木で農業と酒造を営んだと伝えられる。建物は寄棟造、茅葺の屋根を二カ所折り曲げ、前後に突出部のある曲が屋風の外観である。人吉球磨地方の鉤型の民家を代表する大型で質の良い建築。 | 正面から見ると寄棟造だが平面はコの字型で、裏側に二つの屋根がある。両方の軒先を接する谷に瓦製の雨樋をかけて雨水を排出する。内部は広い土間に沿って3室が一列に並ぶ、開放的な空間である。 |
2020.08.27