三渓園旧燈明寺三重塔 | 三渓園旧燈明寺本堂 | 三渓園旧東慶寺仏殿 | 三渓園聴秋閣 |
横浜市中区本牧三之谷58-1 | 横浜市中区本牧三之谷58-1 | 横浜市中区本牧三之谷58-1 | 横浜市中区本牧三之谷58-1 |
竣工/康正3年(1457) | 竣工/康正3年(1457) | 竣工/江戸初期 | 竣工/元和9年(1623) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、明治39年に公開された。園内には各地から移築された価値の高い建造物が巧みに配置されている。三重塔は室町時代に建てられた、園内の建造物中、最も古い建物。庭園から三重塔が美しく眺められるような配置がされている。 | 室町時代初期,中世密教寺院本堂。三重塔と同じ京都・木津川市の日蓮宗の寺院、燈明寺にあった。戦後の台風の被害を受け、30年もの間、解体保存されていた。三重塔の縁で三溪園に寄贈され、建立当初の中世密教寺院の様式に復原され、昭和62年に移築が完了した。 | 縁切寺・駆け込み寺の名で知られる鎌倉・東慶寺にあった禅宗様の建物で、江戸時代の初めごろに造られたものと考えられている。東慶寺は明治時代以降衰退し、建物の維持が困難になり、これを憂えた原三溪は、明治40年に三溪園に移築した。 |
徳川家光の上洛に際し、元和9年に二条城内に建てられ、のちに家光の乳母であった春日局がこれを与えられたという。嫁ぎ先の稲葉家の江戸屋敷に伝えられていた。大正11年に三溪園への移築された。幕府の造営・修繕に関わる作事方を務めた佐久間将監による意匠といわれる。 |
東漸寺釈迦堂 | 称名寺金堂 | 称名寺釈迦堂 | 称名寺光明院四脚門 |
横浜市磯子区杉田1-9-1 | 横浜市金沢区金沢町212-1 | 横浜市金沢区金沢町212-1 | 横浜市金沢区金沢町212-1 |
竣工/正安3年(1301) | 竣工/1681(天和元年) | 竣工/文久2年(1862) | 竣工/1665(寛文5年) |
★県指定文化財 | ★県指定文化財 | ★市指定文化財 | ★市指定文化財 |
仏殿(釈迦堂)(県重要文化財)1301年(正安3年)に円覚寺永仁再建で活躍した桃渓徳悟(宏覚禅師)が北条宗長を大檀那として建てた。その後の改修により、当初の部材はあまり残っていないが、禅宗様仏殿としては日本でも最古に属する。 | 北条(金沢)実時は、鎌倉幕府二代執権北条義時の孫で、引付衆や評定衆など幕府の重職を歴任して北条得宗家を政治的に支えた。金沢氏3代貞顕の代に境内を浄土式庭園の池など整備し、昭和62年に復元された。金堂は県指定の文化財になっている。 |
称名寺一体は金沢文庫を含めて国史跡に指定されている。実時は、学問に造詣が深く、収集した歴史、文学、仏教などの書籍を金沢文庫に集め、金沢文庫の基礎を作った。現在は県の博物館になっている。釈迦堂は茅葺きの三見堂で市指定である。 | 室町時代に入ると、徐々に衰退していったが、文庫にある書籍の価値が認められ、江戸時代に再興され、現在も残る建物はこの時期に建てられた。称名寺の塔頭・光明院の表門は境内に建立年代の判る、最も古い建築で市指定の文化財になっている。 |
日本民家園佐々木家住宅 | 日本民家園江向家住宅 | 日本民家園作田家住宅 | 日本民家園菅原家住宅 |
川崎市多摩区枡形7-1-1 | 川崎市多摩区枡形7-1-1 | 川崎市多摩区枡形7-1-1 | 川崎市多摩区枡形7-1-1 |
竣工/享保16年(1731) | 竣工/18世紀初期 | 竣工/17世紀後期 | 竣工/18世紀末期 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★県指定文化財 |
《信越の村》この建物は名主の家で、長大で軒が高く、中二階の採光のために屋根の東側を「かぶと造」としている。こうした外観の特色のほか、普請帳や記録によって家の歴史がわかる点で重要な民家である。
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富山県の五箇山地方は、岐阜県の白川地方とともに合掌造で知られている。それぞれ違いがあり、五箇山でも庄川本流と支流の利賀谷とでは違いが見られる。この建物は庄川本流系で、「妻入」「正面に茅葺の庇を付けた入母屋造風」「田の字型の四間取り」といった特徴を持っている。 |
《関東の村》この建物の外観は二棟が軒を接しているように見える。内部は二棟の間にクリの木の半割丸太をくり抜いた大きな雨樋がつないでいる。これを分棟型と呼ぶ。千葉から茨城の内陸部にある型式。 |
《東北の村》湯殿山麓の田麦俣集落やその周辺には、屋根に高窓(ハッポウ)を設けたハッポウ造と呼ばれる独特の民家が分布してる。写真は豪雪地域のため、板壁で囲って茅で覆った雪囲いの外観である。
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円覚寺舎利殿 | 建長寺山門 | 建長寺仏殿 | 建長寺唐門 |
鎌倉市山ノ内409 | 鎌倉市山ノ内8 | 鎌倉市山ノ内8 | 鎌倉市山ノ内8 |
竣工/室町中期 | 竣工/天明3年(1783/江戸中期) | 竣工/寛永5年(1628/江戸前期) | 竣工/寛永5年(1628) |
★国宝 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
円覚寺は、鎌倉幕府第8代執権北条時宗が元寇の戦没者を追悼するために創建した寺。当初の舎利殿は永禄6年の火災で焼失してしまうが、天正元年、北条氏康によって西御門にあった尼寺太平寺の仏殿が移築された。室町時代中期頃の建築物と推定され、日本最古の禅宗様の建物。 | 禅宗様を基調とした三間二階二重門で,下層を吹き放し,上層内部には仏壇を備え,屋根は入母屋造銅板葺で,二階正面中央には軒唐破風を設ける。上層は深い軒と軒唐破風によって重厚感を創りだしており,建長寺大工の力量を示すものといえる。 東日本最大の規模を誇る。 | 仏殿は建長寺の主要伽藍の一角をなし、山門の背後に位置する建物である。現在の仏殿は江戸時代に、芝の増上寺から、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の夫人、崇源院の霊廟の建物を移築したものである。建物は桁行3間・梁間3間の一重裳階付の寄棟造である。移築に際し改造がある。 |
建長寺方丈、竜王殿の正門である。桁行1間・梁間1間という規模を持ち、向唐門という形式で建てられている。増上寺にあった、江戸幕府2代将軍徳川秀忠夫人である崇源院の墓地の中門を、正保4年に移築したものである。建物は全面に漆が塗られており、元はもっと華美であった。 |
旅館 對僊閣 | 三河屋本店 | のり真安濟商店 | 本禅寺本堂 |
鎌倉市長谷3-12-9 | 鎌倉市雪ノ下1-9-23 | 鎌倉市長谷1丁目 | 厚木市飯山3515 |
竣工/昭和2年(1927) | 竣工/昭和2年(1927) | 竣工/大正13年(1924) | 竣工/寛永18年(1641) |
★市景観重要建築物 | ★市景観重要建築物 | ★市景観重要建築物 | ★県指定文化財 |
高浜虚子がホトトギスの会を開き、与謝野晶子がらも投宿した明治末期創業の老舗旅館。二階の高欄を設け、これを支える持ち送りや二階上部に設けられた欄間窓など華やかな雰囲気を持つ商業建築。関東大震災で倒壊し昭和2年に再建された。 | 若宮大路沿いに立つ老舗酒店・三河屋本店は、明治33年創業の酒店で、現在の建物は昭和2年に建てられた。伝統的な出桁造の店構えで、昔ながらの商文化が大切にまもられています。三河屋本店は、鎌倉の戦前の商店建築を代表するものとして貴重な建物。 |
安齊商店は、大正2年創業の農水産物加工問屋卸商店(乾物屋)である。現在の建物は大正13年に建てられ、石造の基礎や土間、揚戸(あげど)など創建当初の姿を残す。近世の 商家を思わせる作りになっている。長谷の商業地としての往時の賑わいを伝える。 | 寛永18年に堂宇が落成したと言われてる。一部の改修された部分のほかは、創建当時の姿を残している。創建当時の型をよく残し、全国的に中世、江戸初期の日蓮宗建築が少ない中で貴重なものである。正面5間、梁間6間寄棟造、日蓮宗本堂の典型的建物。 |
長谷寺観音堂 | 聞修寺山門 | 旧北島家住宅 | 旧小川家住宅 |
厚木市飯山5605 | 厚木市小野1221 | 大和市上草柳629-1 | 大和市上草柳629-1 |
竣工/江戸中期 | 竣工/室町末期 | 竣工/江戸末期 | 竣工/江戸後期 |
★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★市指定文化財 | ★市指定文化財 |
飯山観音と呼ばれ、坂東三十三カ所霊場の第六札所。観音堂は、桁行5間、梁行5間の正方形平面で、屋根は宝形造の銅板葺だが、当初は茅葺であった。細部の建築様式から享保から宝暦の頃の建築と推定されている。 | 聞修寺(もんしゅうじ)は、室町時代に開かれたといい、参道にある山門がその面影を残している。山門は、切妻造りで、以前は茅葺で、現在はトタン葺になっている。建築年代は、桃山時代から江戸初期頃と推定される。 |
下鶴間の公所(ぐぞ)集落にあった。屋根は茅葺きの入母屋造りで、妻側の軒を高く切り上げてある。養業に対応して屋根裏を二層にして、妻側には風通しや採光のための窓がつけられている。屋内は4室で板の間に囲炉裏がある。 | 上和田の久田(くでん)集落にあった、市内に残る最古の民家である。茅葺きの寄棟造り、正面から右面にかけては半間幅の吹き放ちの土庇が付いている。後の時代になると部屋に取り込まれる。広間型三間取理の間取りである。 |
光明寺観音堂 | 宝城坊本堂 | 宝城坊鐘堂 | 石雲寺本堂 |
平塚市南金目897 | 伊勢原市日向1644 | 伊勢原市日向1644 | 伊勢原市日向1767 |
竣工/明応7年(1498) | 竣工/万治3年(1660) | 竣工/江戸中期 | 竣工/安永4年(1775) |
★県指定文化財 | ★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 | ★ |
坂東33観音の札所、金目観音として有名。観音堂は観音像などの胎内銘により、明応7年に厨子と前立の観音像の造立及び本堂の供養が行われた。現在の本堂は、この明応7年の本堂供養時に建立されたと考えられる。 |
規模の大きい七間堂で、本堂内部の前の二間は、土間の外陣で、引き違いの格子戸の後方3間は内陣となる。康暦2年に堂宇の修理がなされ、この修理から280年後の万治3年、本堂薬師堂を修理したという棟札があったという。 |
鐘堂は境内の東側にある。昭和54年に改修工事が実施された時に発見された棟札には、宝暦13年に修理銘があり、建立はそれ以前で現存する県内最古級の鐘堂であることが判明した。四隅に3本の柱を使う特殊な形である。 | 日向川に沿って上った山深い山中にある。寺伝によると、養老 2年に華厳妙瑞法師が亡き大友皇子の冥福を祈って建立したとさる。室町時代中期に天渓宗恩が曹洞宗として中興する。本堂は延享2年焼失、安永4年再建。 |
勝福寺本堂 | だるま | 福住楼 | 福住楼 |
小田原市飯泉1161 | 小田原市本町2-1-30 | 足柄下郡箱根町塔之沢 | 足柄下郡箱根町塔之沢 |
竣工/宝永3年(1706) | 竣工/大正末期 | 竣工/明治23年(1890) | 竣工/明治23年(1890) |
★県指定文化財 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 |
「飯泉観音」と呼ばれ、坂東三十三観音の第五番札所として有名。本堂は正面に向拝を設け、縁を廻す、間口5間奥行5間、密教系式の構えで、内陣は後部3間、外陣は前部2間の板の間である。 | 網元だった金沢出身の達磨(たつま)仁三郎が明治26年に創業した料理店。建物は関東大震災で倒壊し、その後の再建。入母屋造、唐破風構えの玄関を持つ。 |
「福住楼」は1890年(明治23年)にこの塔之沢で創業された。多棟式木造三階建、数奇屋造。特に「竹の持つ美しさ」を顕わした建築として評価されている。客室数17、各室意匠が異なる。 |
白雲洞茶苑不染庵 | 三河屋旅館 | 三河屋旅館 | 三河屋旅館 |
足柄下郡箱根町強羅1300-69 | 足柄下郡箱根町小涌谷温泉 | 足柄下郡箱根町小涌谷温泉 | 足柄下郡箱根町小涌谷温泉 |
竣工/大正5年(1916)頃 | 竣工/大正後期 | 竣工/大正後期 | 竣工/大正後期 |
★国登録文化財 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 |
雲洞の西側にたつ茶室。寄棟造、茅葺。2畳台目の小間と4畳の付寄、水屋を備え前面に低い土庇を付すなど草庵風の意匠である。設計は近代数奇屋の名匠の一人と言われた仰木魯堂。 列島古建築紀行に掲載 | 明治16年(1883)創業の老舗温泉旅館。本館は唐破風の玄関を持つ。「九重荘」は少し後でできた本館よりシンプルな近代数奇屋風の造りである。 |
列島古建築紀行に掲載 |
2020.02.07 21.01.08 修正及び追加 計画像36点