茨城県

茨城県南部

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富岡家住宅 大聖寺山門 善光寺楼門 西光院本堂
土浦市白鳥町602 土浦市永国  石岡市太田940-1 石岡市吉生2734
竣工/元禄末期頃 竣工/貞享期(1884-88) 竣工/室町中期 竣工/寛政3年(1791)
★県指定文化財 ★市指定文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財
富岡家は小田氏の時代は武家であったという。藩主が領地見回りの時に休息に利用した名主屋敷。大きな茅葺の唐門風の式台玄関屋根が魅力的な農家建築。間取りはひろま・田の字系の間取りでしたが、後世の増改築により平面規模が大きく複雑になり、屋根も大きくなった。
中世は歴代小田氏が庇護した為、寺領7千貫、僧兵300名を擁するなど寺運は隆盛した。小田氏の没落により庇護者を失い大聖寺も衰微し、つくば市に有ったが、土浦藩から篤い庇護を受け、現在地に移る。貞享2年に火災があった後には土浦城主松平信興が山門を寄進した。
現在は平屋の三間一戸門だが、二階建の楼門として計画されたと思われる。見えない小屋組の中に二階の部分が残されている。何らかの理由で完成できなかったのだろう。従って「楼門」の名称で重文指定を受けている。寄棟造茅葺屋根。本堂は江戸中期の建築で廃屋状態になっている。
峰寺山西光院は寺伝によると平安時代初頭、徳一法師の開基とされている。徳一法師は福島県などで30余の寺院を建立した名僧。本堂は寄棟造で、崖の上に柱を組み上げた、懸造という県内では珍しい建造物で、自然石の丸石が乗ったものが本尊で、馬頭観音として深く信仰されている。

 

椎名家旧宅 筑波山神社摂社日枝春日神社本殿 筑波山神社摂社・厳島神社 筑波山神社・神橋
水戸市八幡町8-54 つくば市筑波1 つくば市筑波1 つくば市筑波1
竣工/慶長3年(1598年) 竣工/寛永10年(1633) 竣工/寛永10年(1633) 竣工/寛永10年(1633)
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★国県指定文化財 ★県指定文化財
椎名家は代々茂右衛門を襲名し江戸時代は加茂村の村役を勤めた上層農家。主屋は桁行15.3m、梁間9.6m、直屋、寄棟造、茅葺。中は西側に土間、東側に部屋を配置する広間型民家の典型例である。格子戸の丸竹や蛤刃手斧、槍鉋など当時の大工道具で仕上げられ、土間の独立柱や開口部の閉鎖性など古式が見られる。 平安時代に奈良から来た僧・徳一が来住し、筑波山の中腹に中禅寺を開創した。春日神社本殿及び日枝神社本殿は、両方ともの三間社流造で、向拝中央の蟇股は、春日神社が鹿の彫物、日枝神社が猿の彫物で表している。その他、構造形式は全く同一で、太い木割、向拝柱の大面取、寛永期の代表的建築である。 江戸時代になって、中禅寺は江戸城の鬼門を守る祈願所として定められ、寛永10年に全山の堂舎が将軍家により再建・造営された。厳島神社本殿は方一間、妻入正面に向拝を設けた、いわゆる春日造。向拝蟇股に蛇の彫物があり、同じ境内社の春日神社・日枝神社と同様に、神使をもって神名を表現している。 桁行4間・梁間1間・切妻造・柿葺・妻入りの反橋(そりばし)で、筑波山神社の神事である御座替祭の時、神輿と随従の人々がこれを渡れる。両妻の太瓶束の左右に妻面を覆いつくすようにのびる唐草の笈形や虹梁上の板蟇股に、安土桃山時代の豪壮な遺風が見られる。 近年、修理も終わり彩色も復元された。

 

来迎院多宝塔 逢善寺本堂 逢善寺仁王門 逢善寺書院及び庫裏
龍ケ崎市馴馬町2362 稲敷市小野 稲敷市小野 稲敷市小野
竣工/弘治2年(1556) 竣工/天保13年(1842) 竣工/文明年間(1469~87) 竣工/1862(文久2年)
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財
本堂は本尊として十一面観音菩薩坐像を安置する観音堂で、方五間。仁王門は、室町時代建立の前身本堂の外側廻りの部材の柱を使い建立された。寄棟造の八脚門で、土台上に円柱を立て、組物は二手先亜麻組、軒は一軒、大疎垂木で、両脇には、床を張って仁王像を安置している。 寺伝によると最澄の弟子覚叡が諸国修行中、逢善道人の庵室に宿し、道人の頼みで寺を開き、千手観音を安置したのが始まりとされる。本堂は文政七年堂宇焼失し、天保13年に落成した。当初の計画では瓦棒銅板葺であったらしい(天保7年作成の立面版画)が木羽葺のまま明治期を迎えた、 山門は江戸城主・太田道灌が日枝神社(東京都千代田区)の山門として建立したものといわれる三間一戸の八脚門。明治初頭の神仏分離令により日枝神社の仏教色が排除され、運慶作と伝わる金剛力士像(応永9年作)と共に明治2年に当寺に移された。また本堂(天保13年)は県指定。 この建築は改造が少ない、全国有数の大規模な茅葺屋根の建造物で特に庫裡土間廻りの巨材は迫力がある、書院の杉戸絵は地元出身の松本楓湖の作。天保の焼失後の再建。正面の唐破風の式台玄関の左側が書院で、右側に庫裏の入口が有る。 江戸時代は学問所であったので僧坊があったという。

 

観音寺仁王門 旧坂野家住宅 旧坂野家住宅 竜禅寺三仏堂
牛久市久野1249 常総市大生郷町203 常総市大生郷町203 取手市米の井467
竣工/宝永4年(1707) 竣工/江戸中期 竣工/江戸中期 竣工/永禄12年(1569/室町後期)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
仁王門は、室町時代建立の前身本堂の外側廻りの部材の柱を使い建立された。寄棟造の八脚門で、土台上に円柱を立て、組物は二手先亜麻組、軒は一軒、大疎垂木で、両脇には、床を張って仁王像を安置している。 本堂も県指定。 豪農であった坂野家は幕府役人の逗留などもあったことから農家でありながら薬医門や式台玄関がある。約1haの敷地には主屋、書院(月波楼)、文庫蔵など多くの建物が残されている。敷地は博物館になり、整備された。 主屋は江戸中期竣工、木造平屋、寄棟造、茅葺屋根。伝統的な農家型民家。武士接客のための格式ある座敷を設けている。書院(月波楼)は大正9年(1920)の竣工で文人墨客が集うサロンとして建てられた近代数奇屋建築である。 桁行3間、梁間3間左右と背面に裳階。三方に裳階が付く形式の建物は、他に類例がない。天台宗に属し、内陣には禅宗様の須弥壇が置かれ、三仏堂の名称の由来ともなった釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩の三仏を安置する。

 

国王神社拝殿 国王神社本殿 結城・奥順店舗 鈴木新平商店
坂東市岩井951 坂東市岩井951 結城市結城 結城市結城
竣工/天和3年(1683/江戸前期) 竣工/天和3年(1683/江戸前期) 竣工/大正初期 竣工/明治16年頃
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国登録文化財 ★国登録文化財
「国王神社縁起」及び「元享釈書」によると、最後の合戦の時、三女は奥州会津の恵日寺に逃れ出家して如蔵尼と称した。将門の死後33年目に奥州で隠遁生活を送っていたが郷里に戻り、この地に庵を結び、父将門の像を刻み、小祠を建てて安置し将門大明神と号して祀られた。 社殿は本殿、幣殿、拝殿が一体となる権現造り。本殿は一間流造。拝殿の竣工は文化14年(1817/江戸後期)で桁行4間、梁間2間、入母屋造、茅葺屋根。本殿から拝殿まで茅で葺かれている。御神体の像は、寄木造りの座像で高さ2尺寸の衣冠束帯姿で、右手に笏を持っている。
店舗は見世蔵に遅れて大正初期に建設された。木造の店舗は,1階正面は西側に半間の戸袋を残して前面を開放し,2階は両側に半間の戸袋を設け,中央はガラス戸となっている。また,内部は1階が店舗,2階は12畳の座敷で,1階店舗の奥には旧住居部分がある。他に見世蔵と離れが登録。 鈴木家は、加賀屋と称し江戸末期に金沢から移り住んだ呉服問屋とされる。見世蔵などの3棟が登録される。土蔵造二階建。正面に下屋を設けて格子をたて、二階軒は出桁造で黒漆喰で塗込める。一階店舗では成の高い差物を桁行に渡し、二階和室に座敷飾を備えるなど旧規をよく残す。

 

旧中山家住宅 旧飛田家住宅 長勝寺仏殿(本堂) 長勝寺楼門
古河市大字鴻巣1045 古河市大字鴻巣1045 潮来市潮来428 潮来市潮来428
竣工/延宝2年(1674) 竣工/明治16年頃 竣工/室町時代・元禄7年修理 竣工/延宝8年(1680)
★県指定文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 
坂東市に有った建物で、昭和50年、古河総合公園内の民家園に移築された。 猿島地方に多くみられる「直屋」といわれる典型的な「田の字」型の造りとなっており、江戸前期に属するの猿島地方を代表する大型農家である。床板裏面に「延宝二歳」の墨書があり、建築年代と推定される。 もと県北の常陸太田市の金砂郷地区にあり、構造手法等などからみて18世紀前半の建立と考えられ、県下における最古の曲屋(まがりや)形式と思われる。曲がりの部分に馬屋が有る。隣にある中山家住宅より規模が小さく、建立年代も下がるのでこの建物が県指定と間違う人も多い。
坂東市に有った建物で、昭和50年、古河総合公園内の民家園に移築された。 猿島地方に多くみられる「直屋」といわれる典型的な「田の字」型の造りとなっており、江戸前期に属するの猿島地方を代表する大型農家である。床板裏面に「延宝二歳」の墨書があり、建築年代と推定される。
もと県北の常陸太田市の金砂郷地区にあり、構造手法等などからみて18世紀前半の建立と考えられ、県下における最古の曲屋(まがりや)形式と思われる。曲がりの部分に馬屋が有る。隣にある中山家住宅より規模が小さく、建立年代も下がるのでこの建物が県指定と間違う人も多い。

 

鹿島神宮奥宮本殿 鹿島神宮楼門 鹿島神宮拝殿 鹿島神宮本殿
鹿嶋市宮中2306-1 鹿嶋市宮中2306-1 鹿嶋市宮中2306-1 鹿嶋市宮中2306-1 
竣工/慶長10年(1605) 竣工/寛永11年(1634) 竣工/元和5年(1619) 竣工/元和5年(1619)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 
三間社流造。この建物は関ヶ原の戦勝後、徳川家康によって慶長10年、造営された神宮の旧本殿で、元和5年、徳川秀忠の社殿造替に際して現在地に移され、奧宮本殿としたもの。全体に木割りが太く、白木造り、意匠も簡潔だが、蟇股や柱状の木鼻の彫刻などには桃山時代の豪放な気風がうかがわれる。境内の社殿中もっとも古く、以前の社殿の形を伝える建造物として貴重。 境内の入り口近くに西面して立つ門で、寛永11年、水戸初代藩主徳川頼房の造営になる建物。棟梁は越前の大工坂上吉正。左右に接続する回廊も同時の作。三間一戸、楼門で、1階の両脇間は金剛柵で囲い床を張って随神像を安置している。現在は銅板葺きですが以前はは檜皮葺きであった。木鼻や虹梁などの渦文の繊細さ、組物の比例がなど寛永時代の雰囲気である。 拝殿、幣殿は素木造で蟇股だけ彩色されている。また、拝殿に置かれていた狛犬には「紀州根来、平之内正信、元和五己未年卯月吉日」の墨書がある。後に幕府棟梁になる平之内正信も鹿島神宮の建立に関わっていたことが判る。拝殿には向拝が無いために、前に参拝者のために背の低い 礼拝所が有るために拝殿の全景が見えなくなっている。何か良い方法が無いだろうか。 本殿は三間社流造、石の間は桁行き2間、梁間1間、幣殿は桁行2間、梁間1間、拝殿桁行き5間、梁間3間、いずれも元和5年、幕府の大棟梁鈴木長次の奉行になるもの。拝殿の後方に幣殿を凸字形に建て、その後方に石敷きの「石の間」と呼ばれる渡り廊を隔てて本殿に接続する複合社殿である。本殿・石の間は漆塗りで柱頭や組物などには華麗な極彩色が施されている。

 

観音寺薬師堂 観音寺山門 万福寺阿弥陀堂 万福寺仁王門
潮来市上戸 潮来市上戸 行方市羽生745 行方市羽生745
竣工/弘治3年(1557/室町後期) 竣工/寛政年間(1789-02) 竣工/竣工/貞享4(1687/江戸前期) 竣工/天正5(1578)
★国指定重要文化財 ★市指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 
真言宗豊山派の寺で、瑠璃光山観音寺という。大同3年に徳一大師が開いたと伝わる古刹。薬師堂は方三間、寄棟造茅葺屋根。室内は無柱で屋根垂木は全て梁で支えられている。天井は格天井で狩野元信筆の龍が描かれている。
山門も茅葺で寛政年間の竣工。切妻屋根の四脚門で妻入りの珍しい山門。市指定文化財。牛堀の観音堂と云われ、国道51号線のバイパスと旧国道の交差点から細い道を入って行った低い谷の奥の突き当たりにある。
阿弥陀堂は、三間四方の寄せ棟造、四手先萱葺きで念仏三昧を修める常行堂様式に造られている。内部の格天井鏡板には三頭の龍の図が色彩で描かれ、寄進銘に「貞亭四年芹沢氏高幹」。元禄11年萬福寺は芹沢から羽生に移された。 仁王門は天正6年に逢善寺に建てられたが、享保9年、逢善寺で新たに仁王門を建立するにあたり、当時の万福寺住職が過去に逢善寺の留守住職をしていた縁故から譲り受けたもの。入母屋造、茅葺屋根、三間一戸の八脚単層門。

 

西蓮寺楼門 大場家住宅長屋門と通用門 大場家住宅御殿部 大場家住宅
行方市西蓮寺504 行方市玉造甲4533 行方市玉造甲4533 行方市玉造甲4533
竣工/天文12年(1543/室町末期) 竣工/寛永期(1624-44) 竣工/寛永期(1624-44) 竣工/寛永期(1624-44)
★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 
真言宗豊山派の寺で、瑠璃光山観音寺という。大同3年に徳一大師が開いたと伝わる古刹。薬師堂は方三間、寄棟造茅葺屋根。室内は無柱で屋根垂木は全て梁で支えられている。天井は格天井で狩野元信筆の龍が描かれている。
この住宅は、水戸藩主の領内巡視の際の宿舎兼水戸藩南部の藩政事務所として、建てられたものという。茅葺寄棟造で役宅部、居室部、御殿部の三棟からなる大型住宅。茅葺の長屋門と通用門が並ぶ姿が良い。
 列島古建築紀行に掲載

2020-12-20修正

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