大阪府

 

住吉大社本殿 住吉大社本殿 住吉大社摂社大海神社 住吉大社南高蔵
大阪市住吉区住吉2-9-89 大阪市住吉区住吉2-9-89 大阪市住吉区住吉2-9-89 大阪市住吉区住吉2-9-89
竣工/文化7年(1810/江戸後期) 竣工/文化7年(1810/江戸後期) 竣工/宝永6年(1709/江戸中期) 竣工/慶長12年(1607)
★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
住吉大社は航海守護として信仰され、摂津国の一の宮とされた。底筒男・中筒男・表筒男の三神および神功皇后を祀る。『日本書紀』・『古事記』には、息長足姫が新羅遠征を行い、帰国後これを祀ったという伝承が見える。 本宮は四殿から成り、第一本宮、第二本宮、第三本宮が東西の直線上に並び、第三本宮の南に第四本宮(神功皇后)が配される。新羅遠征時の船の配置という。本殿は朱塗りで丸柱、切妻造、妻入りで、大嘗宮が同じという。 摂社大海神社も本宮と同じ住吉造で四本宮よりも古く宝永6年に建築され、重要文化財に指定されている。海幸山幸神話の竜王とその娘にあたる豊玉彦と豊玉姫の二柱を祀っている。幣殿、渡殿、西門が重文に指定されている。 本宮の裏手に南北2棟の高蔵がある。桁行3間、梁間2間 寄棟造、本瓦葺の板倉。南、北高蔵、摂社大海神社西門、末社招魂社本殿は桃山~江戸初期の建築で、近世の住吉大社の社殿の構成を伝える遺構として価値が高い。

 

大阪天満宮参集殿 住之江味噌池田屋本舗 茨木の町並み 茨木の町並み
大阪市北区天神橋2-1-8 大阪市住吉区住吉1-9-22 茨木市大手町 他 茨木市大手町 他
竣工/明治44年(1911) 竣工/明治25年(1892) 竣工/ 竣工/
★国登録文化財 ★国登録文化財
本殿と梅花殿の間にある東西棟、入母屋造、銅板葺。神楽所とは一段落として変化を付け、梅花殿とは廊下で繋がれている。身舎・庇構成をとる。現在は梅花殿の控え室である。 元禄年間創業の老舗。軒上の常夜灯と虫籠窓が印象的である。入母屋造。住吉大社の東側、旧熊野街道沿いにあり、住吉村の庄屋を務め、元禄期に創業その後にみそ醸造を始める。 中世の城下町として始まり、江戸時代以降は宿場町、在郷町として栄えた。茨木城が築かれていた片桐町の茨木小学校界隈には城下町特有の複雑に入り組んだ町割りが見られる。 下大手町界隈には塗籠造に千本格子の町屋が残っている。町人町だった上泉町周辺にも旧家が残され伝統的な厨子二階の家も見られる。本源寺あたりの路地にも古い家並みが残る。

 

旧西尾家住宅 旧西尾家住宅 旧西尾家住宅離れ 桃林堂板倉家住宅
吹田市内本町 吹田市内本町 吹田市内本町 八尾市東本町2-5-12
竣工/明治28年(1895) 竣工/明治28年(1895) 竣工/大正14年(1925) 竣工/江戸中期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国登録文化財
仙洞御料庄屋をつとめた伝統と茶の湯をつたえる住宅。式台玄関を持つ玄関棟とこれに平行させて二階建の主屋棟が建ち鞘の間と呼ぶ渡り廊下で繋がれている。 さらに数寄屋風を意識した主屋棟と玄関棟の東側土間部分に直交させる形で、計り部屋棟(献上米の計量、検査場所)を連結するという、複雑な構造である。 和洋折衷の意匠を試みた離れは大正14年、設計は武田五一。ほかに茶道藪内家の指導になる茶室、牧野富太郎の関与が伝えられる温室など多彩な建物がある。 江戸時代に河内木綿を商った問屋の建物を菓子舖・桃林堂の創業者・板倉與兵衛が大正時代に買い取ったもの。間口の広い大和棟茅葺屋根、切妻造の住宅建築。

 

  
茄子作の町並み 茄子作の町並み 葛井寺四脚門 野中寺本堂
枚方市茄子作枚方市茄子作 藤井寺市藤井寺1-16-21 羽曳野市野々上5-9-24
竣工/ 竣工/ 竣工/慶長6年(1601/桃山末期) 竣工/江戸中期
★国指定重要文化財
枚方市の最南端に位置する。地名については諸説が有ってはっきりしないがかつては茄子の産地だったようでそこからの命名が地元では有力視されている。 産神様の春日神社周辺には、伝統的様式の立派な大型家屋が多くあり、昔からの農村集落の様子が窺える。重伝建になっても不思議でない町並みと思える。 豊臣秀頼が南大門として建てたといわれ、江戸中期頃に西門として移築された小振りな赤門。本堂宮殿内に安置される国宝の乾漆千手観音坐像で有名である。 伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされる。創建時の堂塔は兵火で全焼しているが境内には法隆寺式伽藍配置を示す礎石・野中寺旧伽藍跡=国史跡がある。

 

旧杉山家住宅 旧杉山家住宅 旧杉山家住宅 孝恩寺本堂
富田林市富田林町14-31 富田林市富田林町14-31 富田林市富田林町14-31 貝塚市木積798
竣工/江戸初期 竣工/江戸初期 竣工/江戸初期 竣工/鎌倉後期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国宝
杉山家は代々「杉山長左衛門」と名乗り、富田林寺内町の中心であった八人衆の筆頭年寄を勤めた家柄。古くは木綿問屋を営み、後に酒造業を商った大商家。 寺内最古、最大の南河内地方農家風建築様式の大邸宅である。現在ある主屋の中では、土間部分がもっとも古く、全国的にも現存する町屋の中で最古に属する。 明治期に与謝野晶子とともに活躍した明星派の歌人・石上露子(いそのかみつゆこ=本名・杉山孝)の生家である。露子ゆかりの書簡などがが展示されている。 観音堂又は無釘堂とも呼ばれる。桁行5間、梁間5間、寄棟造、丸瓦と平瓦を組み合わせた本瓦葺(行基葺)。和様を基調とするが禅宗様の要素も見られる。

 

観心寺金堂 観心寺鎮守堂 観心寺建掛塔  
河内長野市寺元475 河内長野市寺元475 河内長野市寺元475  
竣工/室町初期 竣工/天文18年(1549) 竣工/保元2年(1157) 竣工/
★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
方七間、入母屋造、本瓦葺、和様、禅宗様、大仏様の折衷様式。この金堂は、全体的な形は和様で貫かれているが、細部や構築に折衷様を巧みに使われている。 (訶梨帝母天堂)一間社春日造、正面軒唐破風付 檜皮葺。訶梨帝母(かりていも)はサンスクリット語の「ハーリティー」を音写したもので鬼子母神のこと。 観心寺と関係の深い楠木正成の祈願により建設が開始され、当初は三重塔として建設をしていたが、一層目だけを残してその上は建てられなかったとされている。  

 

金剛寺食堂(天野殿) 金剛寺楼門 金剛寺摩尼院書院  
河内長野市天野町996 河内長野市天野町996 河内長野市天野町996  
竣工/室町前期 竣工/鎌倉後期 竣工/慶長年間(1596~1615) 竣工/
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
南北に細長い建物。僧侶の食堂であるが後村上天皇が正平9年から6年間、摩尼院を仮の御所とし、この食堂で政治を行ったと伝える。 中央伽藍の入口に建っている。三間一戸二層、入母屋造。伝統的な和様の特徴を示しており、鎌倉後期の建られたと見られている。 摩尼院は金剛寺の多くの子院の一つで、中心伽藍の北側に敷地を構えている。室町時代前期には南朝の後村上天皇の行宮が置かれた。  

 

 

2020.05.22

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