京都市(東山区)
祇園の町並み | 祇園の町並み | 産寧坂(三年坂) | 法観寺五重塔(八坂の塔) |
東山区祇園 | 東山区祇園 | 京都市東山区清水2丁目付近 | 東山区八坂通下河原東入ル八坂上町388 |
竣工/ | 竣工/ | 竣工/ | 竣工/元享3年(1323/室町前期) |
★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★国指定重要文化財 |
祇園町は、東は八坂神社、南は建仁寺、西は鴨川、北は新橋通の範囲の総称。鎌倉時代から八坂神社の門前町として開けたが、江戸時代からは芝居小屋が出来、茶屋町の色を濃くし大花街となった。 | 幕末の蛤御門の変に端を発した火災に見舞われ、現在の町並みは明治時代時以降に再建されたもの。伝建地区には江戸の名残の店舗が多く京都観光の大目玉の一つで常に内外の観光客が溢れている。 | 産寧坂(三年坂)は清水坂より分かれて、祇園、二年坂を通れば高台寺の前を抜けて、八坂の塔の前に出る。八坂神社の南楼門はすぐ近く、古い町並みがつづき、この地区一帯が保存地区なっている。 | 塔は再建だが古代寺院の塔跡に建てられており、地下に置かれた心柱の礎石が残っている。寺は当時「八坂寺」といった。塔高46m、純和様、本瓦葺の建築で東寺、興福寺に次ぐ高さである。 |
知恩院三門 | 知恩院本堂(御影堂) | 八坂神社本殿 | 八坂神社西楼門 |
京都市東山区新橋通大和大路 | 京都市東山区新橋通大和大路 | 奈良市雑司町406-1 | 奈良市雑司町406-1 |
竣工/元和7年(1621/江戸前期) | 竣工/1639(寛永16年) | 竣工/承応3年(1654) | 竣工/明応6年(1497/室町後期) |
★国宝 | ★国宝 | ★国宝 | ★国指定重要文化財 |
知恩院は,京都東山の山麓にある浄土宗総本山。二代将軍・秀忠の命で建立された。幅50m、高さ24m、屋根瓦7万枚のわが国最大級の木造門。楼上は仏堂となっており中央に宝冠釈迦牟尼仏、脇壇に十六羅漢像が安置されている。建立には中井家支配の大工棟梁があたった。 | 知恩院は,京都東山の山麓にある浄土宗総本山で,本堂は中心建築の建ち並ぶ伽藍中段にある。寛永10年焼失後,徳川家光によって寛永16年に建立された。桁行11間,梁間9間,入母屋造,本瓦葺の建物である。徳川家の大造営の代表として,極めて高い文化史的価値がある。 | 八坂神社は疫病退散を祈願する祇園信仰の総本社。現在の社殿は、徳川家綱が再建した。祇園造と呼ばれる独特な建築様式となっている。本殿の中に参拝者が礼拝する礼堂がある。平成の大修造営に伴い修復、日本最大級の神社神殿である。2020年、本殿が国宝に指定される。 | 京都の社寺は応仁の乱によりことごとく焼失したが、この八坂神社も焼かれ、明応6年に再建された。桁行7.9m、高さ9.1m、切妻造、瓦葺、朱塗りの楼門。大正2年四条通拡張に伴い移動した。四条通に西面し、美しい姿から八坂神社の象徴の感がある。神社の正門は南楼門である。 |
高台寺傘亭(安閑窟) | 高台寺時雨亭 | 石塀小路 | するがや祇園下里 |
東山区下河原通八坂鳥居前下下河原町 | 東山区下河原通八坂鳥居前下下河原町 | 東山区下河原町 | 東山区祇園末吉町80 |
竣工/桃山〜江戸初期 | 竣工/桃山〜江戸初期 | 地区/産寧坂 | 竣工/明治28年(1895) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★市指定文化財 |
傘亭は茅葺き、開いた傘のような屋根裏で有名。入口が西面中央と土間廊下の東南隅の二カ所あり西面側の構造がユニークである。内部は隅に上段の一畳を敷きその隣に一畳分の土間、土間周囲に6畳の座敷と台目2畳分の板間を張り出した構成である。 | 秀吉の妻ねね(北政所)は秀吉の死後出家し、余生をここで過ごした。傘亭から土間の渡り廊下でもう一つの茶室「時雨亭」に繋がる。時雨亭は入母屋造、茅葺の総二階建、間口2間半、奥行1間半。二階が主要部になっており、野趣に富む化粧屋根裏。 | 「ねねの道」と下河原町通の間の見落としてしまいそうな小路である。小路の両側には高級料亭や旅館、スナックなどが並んで、祇園の奥座敷などと呼ばれている。小路の外れに石垣と石塀の家並みがあるが、これが石塀小路の名の由来となっている。 | 練羊羹発祥の舗として知られる総本家駿河屋から暖簾分けして文政元年に創業した和菓子舗。雰囲気のある建物は元はお茶屋である。一階は一般の町屋と変わらないが二階は客室だったためたちが高い。「豆平糖」の屋根看板もこの頃のものである。 |
東福寺三門 | 東福寺禅堂 | 東福寺東司 | 東福寺東司 |
東山区本町15-783 | 東山区本町15-783 | 東山区本町15-783 | 東山区本町15-783 |
竣工/応永12年(1405/室町中期) | 竣工/貞和3年(1347/室町前期) | 竣工/室町中期 | 竣工/室町中期 |
★国指定重要文化財 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★国指定重要文化財 |
臨済宗東福寺派の大本山、九条道家が建立。禅宗様、和様、大仏様の折衷様式。禅宗寺院建築としては最古最大。五間三戸、二階楼門、入母屋造、本瓦葺 | 禅堂は座禅の道場、選仏場ともいう。参禅の場としては現存最古で一度に400名と以上の僧が修行したという。桁行7間、梁間4間、裳階付、切妻造、桟瓦葺。 | 禅堂内で修業する僧が使う厠(便所)である。禅宗院便所の古い形式を伝え「百雪隠」と言われる。桁行7間、梁間4間、切妻造、本瓦葺。現存最古最大。 | 「禅宗の文化と厠」大澤邦由、劉勤著の論文によれば、語源が不明なところが多いことが判る。「東司」と書かれるので東にない場合が多い。東福寺では西南に。 |
三十三間堂(蓮華王院本堂) | 豊国神社唐門 | 建仁寺勅使門 | 清水寺馬駐(うまとどめ) |
東山区三十三間堂廻り657 | 東山区茶屋町527-4 | 東山区小松町584 | 京都市東山区清水1 |
竣工/文永3年(1266/鎌倉後期) | 竣工/桃山時代 | 竣工/鎌倉後期 | 竣工/応仁文明期(1467-77) |
★国宝 | ★国宝 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
三十三間堂の名称は三十三間四面に由来し、33は観音に縁のある数字である。堂は方三十三間に一間の庇を廻らせている。柱間が33あるのは本堂の内陣(母屋・身舎)で、外部からは見る柱間は35ある。柱間寸法は一定でない。実長桁行118.2m、梁間16.4m、入母屋造。 | 元は伏見城にあったものという。左右6m、高10.5m。鶴の彫刻は左甚五郎作といわれている。西本願寺、大徳寺の唐門と共に「国宝の桃山三唐門」と呼ばれている。神社は明治時代に、かつて秀吉が創建して大仏殿を築いた方広寺の境内に豊国神社が開かれた。四脚門。 | 臨済宗建仁寺派の大本山である。六波羅にあった平教盛の館門の移築といわれる。切妻造、銅板葺の四脚門で、柱や扉に戦乱の矢の跡があることから「矢の根門」「矢立門」などと呼ばれる。豊臣秀吉の妻ねねの高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。 | 清水寺の仁王門に登る階段の手前、向かって左側に、室町時代の重要文化財である馬駐がある。現代の駐車場の役目をし、馬の駐馬する役割を果たしていた建物である。応仁の乱後に再建された。清水寺の馬駐からは、武士や公家が清水寺参拝の際に数多くの馬を繋いできた。 |
清水寺仁王門 | 清水寺三重塔 | 清水寺西門 | 清水寺経堂 |
京都市東山区清水1 | 京都市東山区清水1 | 京都市東山区清水1 | 京都市東山区清水1 |
竣工/応仁期(1467-72) | 竣工/寛永9年(1632) | 竣工/寛永8年(1631) | 竣工/寛永10年(1633) |
ky1★国指定重要文化財 | ky2★国指定重要文化財 | ky3★国指定重要文化財 | ky5★国指定重要文化財 |
清水寺の広い寺域の西端にある正門で仁王門だけは、寬永六年の火災を逃れた。応仁の乱の後の室町末期に再建された室町後期の建築。三間一戸、入母屋造の檜皮葺き。平成15年の本格的な解体修理のおり、彩色が復元され、美しい丹塗りになった。 | 現在の建物は相輪の覆鉢願文で寛永9年に再建されたことが判明した。高さ約31メートル。国内最大級の三重塔で京都の街からよく見えるので清水寺のシンボル的な存在である。昭和の修復で彩色が復元された。塔内には大日如来像が祀られいる。 | 現在の西門は不思議な建築である。三重塔の前にあり、塔の正門であり、正面に石の階段もあるが登れないようになっている。また、普通の八脚門と違うのは前面に一間の向拝が付き、後ろ側に軒唐破風がつけてある。門ではあるが堂形式になっている。 | 経堂は五間×四間、入母屋造で三重塔の後側にある。平安時代には、一切経を所蔵し全国から学問僧が集まる講堂として修行の場であったといわれる。外回りの建具は黒塗りの蔀戸である。上に跳ね上げて、下が外せる構造を半蔀(はじとみ)という。 |
清水寺田村堂 | 清水寺本堂 | 清水寺奥の院 | 清水寺子安塔 |
京都市東山区清水1 | 京都市東山区清水1 | 京都市東山区清水1 | 京都市東山区清水1 |
竣工/寛永期(1624-44) | 竣工/寛永10年(1633) | 竣工/寛永10年(1633) | 竣工/明応9年(1500) |
ky9★国指定重要文化財 | ky10★国宝 | ky11★国指定重要文化財 | ky12★国指定重要文化財 |
田村堂は本堂と同時期に再建されたお堂の一つで、開山堂とも云われる。三間四方、入母屋造り、桧皮葺きで、高欄付の外縁を廻らせている。丹塗りの柱など色鮮やかなお堂で、堂内厨子に坂上田村麻呂夫妻の像が祀られている。 | 屋根は寄棟造、檜皮葺きで、正面左右に入母屋造の翼廊が突き出し、外観に変化を与えている。建物の前半分は山の斜面にせり出すようにして建てられ、清水の舞台と呼ばれる。身舎は奥の4間分が内陣、手前3間分が外陣となる。 | 奥の院は清水寺の創建より古いと云われている。その歴史は清水寺の開山である行叡が修行していた草案が起源と伝えられている。本堂と同じ懸造で本堂の全景が見える場所にある。以前は白木であったが、彩色が復元された。 | 明治時代までは仁王門の手前左側にあった。明治44年に現在地に移された。内部には子安観音が祀られている。清水寺の門前に通じる産寧坂は子安塔に向かう参道であった。塔は室町後期の建築で寛永の火災にから免れた。 |
2020.05.016 11.10 東山区だけを独立。清水寺を追加