兵庫県

 

石峯寺薬師堂 姫路城天守 圓教寺大講堂(本堂) 圓教寺本多家廟所
神戸市北区淡河町神影110-1 姫路市本町 姫路市書写2968 姫路市書写2968
竣工/室町中期 竣工/慶長14年(1609) 竣工/室町中期 竣工/江戸初期~中期
★国指定重要文化財 ★国宝 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財
山号は巌嶺山。法道仙人の開基とされ、白雉2年孝徳天皇より勅願寺として建立された。入母屋造、本瓦葺。前面には唐桟戸が付けられ両端は連子窓の土塀。内部は内陣、外陣に分かれ和様と天竺様の折衷様式である。 現在見られる全容が整ったのは元和3年である。白漆喰総塗籠造。他の多くの建物が国重文である。関係資料は多数のある。外観は最上部以外の壁面は大壁塗りで、屋根の意匠は複数層にまたがる巨大な入母屋造。 桁行7間、梁間6間、入母屋造、二重屋根、本瓦葺。下層は永享12年、上層は寛正3年、文明年間(1469-87)に全体が整ったと考えられている。内陣には釈迦如来および両脇侍(文殊菩薩・普賢菩薩)像を安置する。 大講堂東側の一角にあるのは姫路城主3人を含む本多家の墓所である。5棟の宝形造(方形造)、本瓦葺、方2間の堂が建ち、内部には五輪塔を安置する。忠勝の廟堂は寛永3年に建立された。県下でも類例がない建築。

 

浄土寺浄土堂(阿弥陀堂) 浄土寺本堂(薬師堂) 浄土寺・八幡神社拝殿 浄土寺・八幡神社本殿
小野市浄谷町2094 小野市浄谷町2094 小野市浄谷町2094 小野市浄谷町2094
竣工/承久3年(1192/鎌倉前期) 竣工/永正14年(1517/室町前期) 竣工/室町中期 竣工/室町中期
★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
桁行3間、梁間3間、宝形造、本瓦葺。東大寺を復興した重源が中国から連れてきた工匠が指導した純粋な大仏様建築はこの堂と東大寺の南大門の二棟しか現存せず。西日が床に反射して見える阿弥陀如来像が有名。 桁行5間、梁間5間、宝形造、本瓦葺。和、唐、大仏の折衷様式。西方浄土の阿弥陀堂とは向い合わせになる。薬師堂は東方瑠璃光浄土で薬師如来が本尊になる。インドでは朝と晩の涼しい時間帯の礼拝対称になる。 大仏殿の再興、大勧進となった、重源が東大寺の鎮守八幡社を祀る。拝殿は大きな割拝殿で、天井を張らず、貫、肘木などの組み物に大仏様が取り入れられており、和様と大仏様が混在する折衷様式となっている。 大仏再興事業の拠点として、作った東大寺の「播磨別所」の鎮守。本殿は室町時代後期の特徴をとどめた檜皮葺の三間社流造の建物で、花木や鳥などを配した写実的な蟇股にその時代の特徴がよくあらわれています。

 

伽耶院金堂(本堂) 伽耶院多宝塔 伽耶院開山堂 伽耶院鎮守三坂明神社
三木市志染町大谷410 三木市志染町大谷410 三木市志染町大谷410 三木市志染町大谷410
竣工/正保3年(1646/江戸前期) 竣工/正保4年(1647/江戸前期) 竣工/明暦2年(1656/江戸前期) 竣工/江戸中期
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
母屋と背面緒の東西両側に下屋で脇仏壇を張り出し、外郭は正面と両側面の三方に縁を付す。前二間が外陣、後ろ3間が内陣。外陣を格子戸で分けた典型的密教伽藍。 下層は方三間、上層は柱12本を円形に配置し四方に両開戸を設け、高欄付の縁を廻す。須弥壇の墨書によると正保5年、小倉城主小笠原忠真の寄進で建立されたという。 丹後峰山城主・京極高供の正室による寄進。背面の東西両側に脇仏壇が張り出し、正面と両側面の三方に縁を設けて擬宝珠高欄を置く。内部は天女などの壁画が残る。 三坂大明神を祀る。本堂と多宝塔との間の奥に鎮座し、伽耶院の鎮守社。三間社流造、こけら葺。正面の庇は中二本柱を抜き、三間を1本の大虹梁で架け渡している。

 

  
一乗寺三重塔 一乗寺本堂 一乗寺護法堂 一乗寺弁天堂・妙見堂
加西市坂本町821-17加西市坂本町821-17 加西市坂本町821-17 加西市坂本町821-17
竣工/承安元年(1171/平安末期) 竣工/寛永5年(1628/江戸前期) 竣工/室町中期 竣工/室町中期、室町後期
★国宝 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
建立年代が特定できる最古の塔。上層に向かって小さくなる「逓減率」が大きいことで知られる。高さ21.8m。建立年代は、相輪伏鉢に承安元年の刻銘があって、平安時代に遡ることが知られる。 正面9間、側面8間、入母屋造、、本瓦葺。内部は広い外陣と閉鎖的な内陣、脇陣、後陣から成る。当時の姫路藩主本多忠政公の助けを得て建てられた。材料は遠く九州や四国より船で運ばれた。 本堂裏手の石段上に建つ、一間社流造の社殿。護法堂とは、仏法と行者を守護する毘沙門天をまつる堂である。一間社で身舎側面が一間という小規模建築。細部様式からみて、室町中期のものか。 左の春日造の社殿が弁天堂、建立年代は護法堂とほぼ同じく室町時代中期に属する。右の三間社流造が妙見堂である。蟇股と扉構えに古様を留めて、木鼻・組物・妻飾など大部分が後補である。

 

酒見寺多宝塔 朝光寺本堂 朝光寺多宝塔 朝光寺鐘楼
加西市北条町北条1319 加東市畑609 加東市畑609 加東市畑609
竣工/寛文2年(1662/江戸前期) 竣工/1413(応永20年) 竣工/1710(宝永7年) 竣工/鎌倉後期
★国指定重要文化財 ★国宝 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
方三間、裳階付、下層本瓦葺、上層二重檜皮葺、高さ15.4m。上層は極彩色の組物に彩られている。この塔は大型で安定した外観で、構造が正統的で古風な手法が見られ、この時代の多宝塔としては重要な遺構である。 厨子裏板の墨書により応永20年、建築年代の明らかな、室町時代密教仏堂の代表作。和様を基調として、中備の双斗や桟唐戸など、唐様と天竺様の要素を一部に採り入れた折衷様の建物で、折衷様式建造物の典型例。 漆喰で固めた亀腹の上に建てられ、初層は三間四方、上層の軸部が円形となる。初層の周囲に縁、高欄が配置、上層の軒には扇棰を配し、組物は二手先になっている。池田輝政の建立したものを、宝永七年に再建した。 永正年間に赤松義村によって再建されたもので、梁間二間、桁行三間で、下部には袴腰が付く。和様を基調とした折衷様式とされ、屋根の曲線や斗の背が幅に比して高いことなど、鎌倉末期の形態をよく留めている。

 

室津の町並み 室津の町並み たつの市立室津民俗館 平福の町並み 
たつの市御津町室津 たつの市御津町室津 たつの市御津町室津 佐用郡佐用町平福
竣工/ 竣工/ 竣工/ 竣工/
★県指定文化財
かつては「室津千軒」といわれるほど賑わい、古くから天然の良港として風まち港として知られた入江の町である。大阪から姫路までは遠浅で良い港がなかった事が室津を繁栄に導いたともいえる。室津は大型船が入れた。 参勤交代の大名が使う大船は寄港する場所が無く、外洋から小舟に乗り換えて上陸するという厄介なものだった。大名達はここに上陸し陸路で大阪に向かったという。室津には本陣が六つあったがそれでも不足したという。 室津民俗館は、屋号を「魚屋」といい、江戸時代には苗字帯刀(豊野家)を許され、姫路藩の御用を勤めた豪商の遺構である。中に吊り上げ式二重戸や隠し階段などの仕組みがある。土間上は室津では珍しい虫籠窓である。 作用川沿いの宿場町。作州街道(因幡街道)の宿場として繁栄した。明治大正時代は市場町としても賑わい、なまこ壁の商家などが今も往時を伝える。集落の裏手の作用川沿いに趣きのある土蔵群が良い景観を作っている。

 

2020.05.27

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