宮城県

松島と県北部地域

瑞巌寺本堂 瑞巌寺庫裏 瑞巌寺庫裏 瑞巌寺中門
宮城郡松島町松島91 宮城郡松島町松島91 宮城郡松島町松島91 宮城郡松島町松島91
竣工/慶長14年(1609) 竣工/慶長14年(1609) 竣工/慶長14年(1609) 竣工/慶長14年(1609)
★国宝 ★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
本堂は書院造で、入母屋造本瓦葺の巨大な屋根を架し、南・北・東の三方に上縁、下縁をめぐらし、10室に画して中央奥に仏間を設けている。仏間の前に室中の間、左に上段・上々段の間、右に控の間・墨絵間を配している。外観は簡素な和風手法によっているが、内部の彫刻、彩色、金具、襖絵や貼付絵には絢爛たる桃山建築の世界を表現している。
国宝になっている本堂(方丈)と庫裏は慶長14年、伊達政宗の建立である。庫裏は寺務所や台所などの機能をもつ施設である。禅宗寺院の通例と同じく、この庫裏は切妻造・妻側に入口がある。煙出のある大屋根を架けた形式で、正面妻に複雑に組み上げられた梁と束、妻飾の豪壮な唐草彫刻が漆喰上に美しく設えられている。内部の梁組も豪快である。
伊達政宗の瑞巌寺の心血を注いだ造営は慶長9年に始まる。桧,杉,欅などの用材を紀州熊野の山中から伐り出し,海上を16隻の船や筏に組んで運んだという。大工は山城(梅村家)・根来(鶴家)などの名工約130名を集め,5年の歳月をかけ,慶長14年に完成した。その豪華な姿は松尾芭蕉の「おくのほそ道」にも書かれる。瑞巌寺は110余りの末寺を有した。 本堂の正面に位置する。中門は、本柱の前後に控え柱を2本ずつ計4本を建て、本柱上に棟が乗るの四脚門で、切妻造、こけら葺。絵様肘木、虹梁木鼻は奇抜で独創的。壁が無く、骨組が露出した雄勁にして枯淡な門である。境内にある本堂、庫裡、御成玄関、御成門などに見るように、瑞巌寺の建築物は本瓦葺が主流ですが、中門は唯一杮葺となっている。

 

瑞巌寺三聖堂 五大堂 五大堂 志波彦神社拝殿
宮城郡松島町松島91 宮城郡松島町松島 宮城郡松島町松島 塩竈市一森山
竣工/天和2年(1682) 竣工/慶長9年(1604/江戸初期) 竣工/慶長9年(1604/江戸初期) 竣工/昭和13年(1938)
★町指定文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★市指定文化財
瑞巌寺101世鵬雲東搏禅師によって建立された。堂内正面に聖観世音菩薩像、左に達磨大師像、右に菅原道真像を安置したことから三聖堂と称される。開創当初は北東面向きに建てられてたが、参拝者の便を図るため、宝永6年、104世夢庵如幻禅師が南向きの現在の姿に改めました。扁額「三聖堂」は鵬雲禅師の筆によるものです。 瑞巌寺の多くの建物は国指定文化財だが、その中でこの建物だけが境内から離れた小島にたち、街道側口中に車窓からも見える。伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した。軒周りの蟇股に方位に従って十二支の彫刻がある。内部厨子内に五大明王を安置する。五大堂で東北地方最古の桃山建築である。方三間、宝形造、本瓦葺。
日本三景の1つである景勝地・松島の景観上重要な建物であり、海岸に近い小島に建つ。伝承によれば大同2年(807)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされる。造営の大工は棟札により、「大工 紀州那賀郡根来鶴衞家次 脇大工 同吉衞門頼定」とある。国宝の瑞巌寺、大崎八幡宮に先立ち建立。 宮城郡岩切村(仙台市)の冠川の畔に鎮座し、「延喜式」に収められている陸奥国百社の名神大社として、列せされる。中世以降衰微の一途を辿り、境内も狭隘だったため、明治7年にこの地を離れ鹽竈神社別宮に遷座した。昭和13年に明治・大正・昭和三代に亘る神社建築の粋を集めて新たに本殿、拝殿を極彩色漆塗りで、造営した。

 

 

塩竈神社随神門 塩竈神社中門・廻廊 塩竈神社拝殿 塩竈神社別宮拝殿
塩竈市一森山 塩竈市一森山 塩竈市一森山 塩竈市一森山
竣工/宝永元年(1704) 竣工/宝永元年(1704) 竣工/宝永元年(1704) 竣工/宝永元年(1704)
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財
古来奥州一宮として知られている名社で、現在の社殿は4代藩主伊達綱村が元禄8年に着工し、5代藩主伊達吉村の宝永元年落成した。石鳥居、表坂、随身門(二階楼門)をへて社殿に至る。中門を入って正面は本宮で、左宮・右宮の二つの本殿と共通の一つの拝殿があり、廻廊で結ぶ。 塩竃神社の歴史は武家社会となってからは平泉の奥州藤原氏、鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主は大神主として務めていた。本宮の前にある中門は切妻造の四脚門で、門と左右に接続する廻廊ともに銅板葺き、朱塗りとする。 本宮の拝殿は正面7間・奥行4間で銅板葺き、朱漆塗りとする。は伝の後ろに回廊が廻る。本殿は左右2棟あり、左宮に武甕槌神を右宮に経津主神を祀る。両殿ともに同型で、素木造、三間社流造、屋根は檜皮葺。本宮の拝殿は桁行7間・梁間4問で、向拝をつけ、屋根は入母屋造銅板葺。
本宮の手前東側に西面して建つ別宮は本殿、幣殿、廻廊、瑞垣、拝殿から構成される。別宮の本殿も本宮の本殿・幣殿と同規模・同意匠である。別宮拝殿は正面5間・奥行3間とである。祭神は日本書紀、古事記にも出てくる塩土老翁神である。造営の大工棟梁は松原助兵衛重成。

 

茂庭家御霊屋 千石 千石 松本家住宅
大崎市松山千国字大欅91 大崎市松山千石 大崎市松山千石 加美郡加美町字南小路11
竣工/宝永5年(1708/江戸中期) 町並み 町並み 竣工/江戸後期
★県指定文化財 ★国指定重要文化財
大崎市松山は,仙台藩重臣の茂庭家の城下町として栄えた。石雲寺は、その茂庭家の菩提寺で御霊屋はその境内にある。松山領主茂庭氏3代(良元、定兀、姓元)の墓の上に立つ霊屋で、堂前の献灯の銘から宝永5年に完成したものと推定される。建物は素木造、方3間、屋根は宝形造茅葺で、中央の間に両折桟唐戸、両脇間に連子窓を設ける。 松山町は新幹線の古川駅より南方にあり、東北本線の松山町駅がある。仙台伊達藩の重臣・茂庭家一万三千石の城下町。狭い範囲だが城下町らしい雰囲気が残る。屋根に龍がのる面白い建物もある。歌手・フランク永井の故郷でもある。茂庭家御霊屋のある石雲寺の山門も市の指定文化財になっている。形式は薬医門で建立年代は寛文3年である。 大崎市は古川市、松山町、三本木町、鹿島台町、岩出山町、鳴子町、田尻町の1市6町が合併により成立。中心が新幹線の駅がある古川で市の北方に岩出山町に伊達政宗が本拠地をを仙台に移すまで政務を執った岩出山城がある。ここには国指定史跡となっている旧有備館および庭園がある。岩出山伊達家の家臣子弟の学問所となった建物である。 仙台伊達藩家老・松本家の侍屋敷。宮城県中央部から県北にかけて分布する主屋と土間を分けた分棟型民家で、分棟型の北限であり侍住宅の古い遺構である。分棟型、寄棟造茅葺屋根、広間型三間取。




 

金成歴史民俗資料館 覚乗寺高台院霊屋 覚乗寺高台院宮殿 海老喜旧店舗
栗原市字中町7 登米市登米町寺池上町35 登米市登米町寺池上町35 登米市登米町寺池三日町22
竣工/明治20年(1887) 竣工/寛文12年(1672/江戸前期) 竣工/寛文12年(1672/江戸前期) 竣工/大正後期
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国登録文化財
(旧金成(かんなり)尋常小学校)県内に残る唯一の中廊下式小学校建築で、明治以降に全国に広く建てられた学校建築である。唐破風の玄関、虹梁で飾られた軒は江戸時代の「金成本陣・菅原家」の部材が転用されている。小屋組は洋風キングポスト。主要部は寄棟造で階段室は切妻造である。設計/後藤幸之永。
陸奥仙台藩二代藩主・伊達忠宗の五男で登米伊達氏第四代当主・伊達宗輪(だて むねとも)の霊屋。宗倫の兄・伊達宗光の霊廟である円通院三慧殿(松島/国重文)と共に仙台藩霊屋建築の秀作と言われる。廟は方三間、宝形造、木羽葺。正面は中央が桟唐戸で両脇は蔀戸である。それに一間の向拝が付く。 内部は三方が板壁、天井は小組格天井である。来迎壁に装飾された須弥壇が付き、その上に方三尺、入母屋造、こけら葺の精巧な工芸の手法が見られるの家形厨子(宮殿)が置かれている。 写真は訪ねた折に丁度居合わせた管理の方のご厚意で開扉され拝観、撮影したもである。

登米の旧城下町の中にあり、大きな商家で、登米周辺で産出した天然スレートで葺いた屋根や二階のなまこ壁はモダン和風ともいえる建築デザインである。街の角地にありランドマークになっている。一階は店舗で二階は客座敷にとして作られている。他に味噌醤油蔵なども国指定登録文化財指定されている。

 

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