宮城県

仙台市および県南地域

大崎八幡宮拝殿 大崎八幡宮拝殿 大崎八幡宮本殿 大崎八幡宮長床
仙台市青葉区八幡4-6-1 仙台市青葉区八幡4-6-1 仙台市青葉区八幡4-6-1 仙台市青葉区八幡4-6-1
竣工/慶長12年(1607) 竣工/慶長12年(1607) 竣工/慶長12年(1607) 竣工/寛文期(1661-72)
★国宝 ★国宝 ★国宝 ★国指定重要文化財
社伝では坂上田村麻呂が宇佐八幡を鎮守府胆沢城に勧請し、鎮守府八幡宮と称したことに始まりという。室町時代に奥州管領であった大崎氏が本拠地に遷したため、大崎八幡宮と呼ばれるようになった。伊達政宗が現在地に移した。
拝殿は正面7間、奥行3間、入母屋造で、正面には千鳥破風、唐破風造の向拝が付く。拝殿内部には狩野派の絵師佐久間左京の筆に成る唐獅子の障壁画や大虹梁の青龍が描かれており、俗に左甚五郎の作と伝わる彫刻がある。
本殿は桁行5間、梁間3間、入母屋造。「石の間」は桁行、梁間とも1間、両下造、屋根はいずれも杮葺きである。「石の間」は、本殿・拝殿より床を一段低く造り、板敷きとする。古い「権現造」の特徴的な手法である。 元来、長床は修験道等における拝殿を指しているが、この建物は中央が土間になっている「割拝殿」の形式をもっている。建てられたのは社殿よりもおくれて寛文年間とみられるが、社殿の一環をなす重要な建物である。

 

仙台東照宮 仙台東照宮 陸奥国分寺薬師堂 陸奥国分寺仁王門
仙台市青葉区東照宮1-6-1 仙台市青葉区東照宮1-6-1 仙台市若林区木ノ下3-8-1 仙台市若林区木ノ下3-8-1
竣工/承応3年(1654) 竣工/承応3年(1654) 竣工/慶長12年(1607) 竣工/慶長12年(1607)
★国指定重要文化財 ★国宝、重要文化財 ★国指定重要文化財 ★宮城県指定文化財
2代藩主伊達忠宗公により、時の将軍徳川家光公に東照宮の建立を願い出て直々に許可を得る創建された。社殿は大崎八幡宮本殿、瑞巌寺本堂を担当した大工棟梁梅村氏がが建築した。権現造ではなく、向唐門に瑞垣が付き、拝殿は一段下にある。 本殿等と同時に建立された三間一戸の楼門で、質がよく、正背面の中央にも組物を備えるなどの特色をもつ。石段の両脇にある石灯篭は伊達藩の一族、重臣達が寄進したもので、すべて年号と寄進者の刻銘がある。社殿境内の一部を形成する。 奈良時代に全国に建立された国分寺の内、最北のものとして創建された真言宗の寺院。室町時代には衰退したが慶長12年委伊達政宗の命により講堂跡に薬師堂が再建された。仙台市最古の本瓦葺木造建築の一つ。大工は和泉国比根の駿河守宗次。
三間一戸の八脚門で、入母屋造であり、屋根は茅葺。古代の礎石を利用するが、古代の門と比べると規模は小さい。政宗による再建とするのが通説だが、古式であり、それ以前の可能性も指摘される。この仁王門は宮城県指定有形文化財に指定。

 

落合観音堂 賀茂神社・上賀茂社本殿 賀茂神社・下賀茂社本殿 佐藤家住宅
仙台市太白区四郎丸字落合 仙台市泉区古内字糺 仙台市泉区古内字糺 角田市高倉字寺前50<
竣工/寛永4年(1627) 竣工/元禄10年(1697) 竣工/元禄9年(1696) 竣工/江戸中
★県指定文化財 ★県指定文化財 ★県指定文化財 ★国指定重要文化財
観音堂はかつては袋原村にあり、寛永3年に伊達政宗が鷹狩りへの途次、観音堂の前を通ると霊験があったというので、寛永4年に政宗の命を受けた佐々宗綱により当地に茅葺の堂宇が建立され、移転される。名取川の改修により、現在地に移転される。真言宗智山派寺院の光西寺が管理する。 佐々布八郎右衛門景信、鹿股伝九郎利助を作事奉行に、内藤五左衛門俊広を大工とし元禄9年2月着工、同年9月に下賀茂社の正遷座の儀を行い御祖神社として奉斎した。その後、同年10月上賀茂神社棟立、翌10年正月には上賀茂社の正遷座の儀を行い別雷神社として奉斎した。
寛文3年4代藩主伊達綱村の塩釜神社造営のとき本社より巽の方に引き離して方九尺、栃葺の貴船、只洲の二社を建てましたが、元禄8年(1695)の造営に当り、綱村の判断により右宮、左宮を正殿とし、塩土翁の宮を別宮に建てたが、現在の地古内村を御社地と選定して移した。 高蔵寺の隣接地のある。鳥居建という古式の構造で木の曲がりを巧みに活かした柱や梁で造られている。広間型三間取の単純な間取りで、全体の約4割が土間で、そこには6本の柱がたっている。これは江戸中期の農家の形式である。木造平屋の直屋、寄棟造、茅葺屋根。

 

高蔵寺阿弥陀堂 高蔵寺阿弥陀堂 角田市郷土資料館 戸沢(とざわ)集落  
角田市高倉字寺前49 角田市高倉字寺前49 角田市角田字町17 白石市小原
竣工/治承元年(1177/平安後期) 竣工/治承元年(1177/平安後期) 竣工/明治~大正  
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★市指定文化財
真言宗智山派の寺院。高蔵寺阿弥陀堂は宮城県内にある最古の木造建築である。平安時代建てられた建造物は全国でも26カ所しか現存しない。東北では中尊寺の金色堂、福島県いわき市の白水阿弥陀堂の三カ所だけである。太い円柱に支えられた簡素で力強い好ましい御堂で飛騨の匠の手によるものである。 宇治平等院鳳凰堂、浄瑠璃寺本堂、富貴寺大堂と共に平安時代に建てられた日本最古の六阿弥陀堂の一つでもある。堂内に安置されている阿弥陀如来坐像も国重文で光背を合わせると5m18cm(丈六仏)の巨像。平泉文化の流れを汲み、奥州藤原氏3代目藤原秀衡の妻の建立。 列島古建築紀行に掲載 (旧氏家丈吉邸)初代・氏家丈吉は蚕の種子や繭の販売で財を成したといわれる。敷地は3100㎡で7棟の建物が現存する。大正期は18棟あったという。表門は明治15年(1882)に角田城の門を移築したといわれ、店蔵は明治初年(1867)の竣工で内部は総漆塗り。なまこ壁が際立つ重厚な商舗建築である。 上戸沢、下戸沢は七ヶ宿街道の宿場町として栄えた集落で、仙台領境の為、番所や検断屋敷が設けらていた。七ヶ宿街道は、福島県の桑折と山形県の上山を結ぶ。小坂峠と金山峠の間には、上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原の七つの宿場が置かれた。「日本の道100選」にも選定されている。

 

旧中沢家住宅 洞口家住宅 我妻家住宅 村田町村田地区
名取市倉田字山216-3 名取市大曲字中小路 刈田郡蔵王町曲竹字薬師前4 柴田郡村田町大字村田字町の一部
竣工/18世紀後半 竣工/宝暦年間(江戸中期) 竣工/宝暦3年(1753/江戸中期)  
★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★国指定重要文化財 ★重要伝統的建造物群保存地区
田の字型四間取農家。土間には「うしもち柱=重要な梁を支える」「ほいと柱=玄関近くで物乞いをされたことから」「よめかくし柱=炊事場近くで主婦が見え隠れに働くことから」と呼ばれる三本の独立柱がたつ。間取りやこの独立柱のある形式は「名取型」と呼ばれるこの地方の農家建築の特徴である。桁行9間、梁間5間、寄棟造茅葺屋根。 中沢家と同じ「名取型」の農家建築。近世の環濠大型古民家で旧仙台領内最大規模に属する。宝暦年間(1751~1763年)に建てられたとされる。土間は広く多角形の上屋柱が独立してたち、土間境の化粧柱は他に例を見ない。長屋門は明治21年(1888)の竣工で、寄棟造、茅葺桁行12間、梁間6間で茅葺屋根。馬屋も同時期のものである。 鎌倉時代から続く旧家。蔵王町宮の白鳥明神の禰宜(神主の下、祝の上に位する神職)を勤めていたので禰宜屋敷とよばれている。本屋は全長120尺(36.4m)にも及ぶ長大な建物で、墨書から主屋は宝暦3年と判明した。寄棟造、茅葺屋根。文化蔵、板倉なども残る。東日本大震災で被災した。個人宅のため公開時以外は敷地内立ち入り禁止。 伊達政宗の七男・伊達正高が支配した城下町。会津から村田業朝(なりとも)が一族を率いて移り住んだのが地名の起り。後に紅花や藍の商取引を行って栄えた。酒田や山形と交通の便がよく中継商いの商都である。往時の繁栄を物語る豪華な店蔵が多く残って、町は短冊形の地割りが整然と並び、江戸時代の「町人地」の姿を今に留めている。

 

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