旧佐々木家住宅 | 旧藤野家住宅 | 原敬生家 | 旧中村家住宅 |
盛岡市上田字松屋敷34県立博物館内 | 盛岡市上田字松屋敷34県立博物館内 | 盛岡市本宮字熊堂93-1 | 盛岡市愛宕町14-1・中央公民館 |
竣工/19世紀後半 | 竣工/江戸中期 | 竣工/嘉永3年(1850/江戸後期) | 竣工/明治25年(1892) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★盛岡市指定文化財 | ★国指定重要文化財 |
元は下閉伊郡岩泉町にあった曲り家で、藩政時代は肝煎(村長)を勤めていた家で県北地方の古い農家の形である。柱は栗材でチョウナ仕上げ。建物は約64坪(約210㎡)。 |
現在の奥州市江刺区からに移築。建坪40坪の小農家建築。直家で当初からほとんど改造が見られない貴重な遺構である。茅葺屋根、平入。向かって左に玄関があり「にわ」と呼ばれる土間空間があり、右側に「おかみ」「なかま」「なんど」「でい」と呼ばれる板敷きの部屋が食い違いで造られている。 |
原敬の祖父が建てたもので約1/5が現存している。明治維新で大邸宅を縮小されたもので本来の規模のものではない。武家の家らしく長押の釘隠しには鶴や貝の彫金の釘隠しを使用しているが全体には非常に質素な造りで、天井も普通の竿縁で構造的な特徴もない。面積176㎡。原敬は大正7年(1918)に就任し大正10年に東京駅丸の内南口で暗殺された。享年65才。 | 屋号を「糸治(いとじ)」という呉服、古着商。明治になって紫紺染本舗として繁盛した。道路と平行して庇廊下があり雨雪に関わらず接客ができた。「通りにわ」の右手に部屋が二列にならぶ大型商舗の典型である。白壁の蔵は明治竣工。 |
旧南部伯爵別邸 | 旧小原家住宅 | 旧伊藤家住宅 | 三嶽神社 三獄観音堂 |
盛岡市愛宕町14-1・中央公民館 | 花巻市東和町谷内六区37番 | 花巻市東和町田瀬 | 花巻市西宮野目12-92 |
竣工/明治41年(1908) | 竣工/江戸中期 | 竣工/18世紀前半 | 竣工/江戸末期~明治 |
★国登録文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | |
明治維新後に華族となった旧盛岡藩南部家の別邸として新築された。設計は盛岡市出身の建築家・葛西萬司。葛西は辰野金吾と共に活躍した建築家。木造平屋、寄棟造、瓦葺屋根。 |
突出部が非常に小さく曲り家の古い形である。平面は通常の曲り家だが外回りに壁が多く、柱が太い。古い時期に直家(すごや)から曲り家に改造されたもである。曲り家の突出部は馬屋(まや)である。桁行16.3m 梁間9.6m 寄棟造 茅葺屋根。突出部は桁行5.6m 梁間4.8m。 |
建物のある南覚間沢の山間部は直家と曲り家が混在する地域である。1979年の解体修理で、明治以降に馬屋を増設して曲り家としたことが判明したため、建設当時の直家に復元された。 |
境内には近郊の三郡からなる当國三十三観音霊場の札所と陸中新四国八十八カ所霊場50番札所んの三獄観音堂があり札所本尊で平安時代に彫られたと伝わる十一面観音像が安置されています。三嶽神社拝殿は江戸時代後期の天明6年(1786)に建てられた観音寺本堂だった建物です。花巻市指定有形文化財 |
旧菊地家住宅 | 後藤家住宅 | 内田家住宅 | 八幡家住宅 |
遠野市土淵町6地割5-3 | 奥州市江刺岩屋堂字向山 | 奥州市水沢字吉小路43 | 奥州市水沢区大手町5-4 |
竣工/江戸後期 | 竣工/元禄年間 | 竣工/江戸後期 | 竣工/明治初期 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★奥州市指定文化材 | |
土淵カントリーパーク内。寄棟造、茅葺屋根の曲り家、古い時期に直屋から曲り家になったと考えられる。 |
南部藩の曲り家に対する伊達藩の直家と典型的な農家で全国的にも屈指の古い民家建築である。建物の半分以上が土間で土間部の柱が二重になっており上屋と下屋の構造的役割が分かれているという極めて珍しい例である。寄棟造、茅葺屋根、桁行21.5m、梁間10.5m。 |
奥州市武家住宅資料館。茅葺の薬医門を持つ地方上級武士の武家屋敷。主屋は間口16間(29m)、奥行30間(55m)。 |
母屋は和洋折衷の数寄屋風だが江戸時代の武家住宅の特徴的な構造を踏襲して建てられている。内部非公開。 |
正法寺・法堂(本堂) | 正法寺・惣門 | 正法寺・鐘楼 | 白山神社能舞台 |
奥州市水沢黒石町正法寺129 | 奥州市水沢黒石町正法寺129 | 奥州市水沢黒石町正法寺129 | 西磐井郡平泉町平泉 |
竣工/文化8年(1811/江戸後期) | 竣工/寛文5年(1665/江戸前期) | 竣工/江戸末期 | 竣工/明治32年(1899) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★石狩市指定文化財 |
南北朝時代に開かれた東北地方最初の曹洞宗の寺院。現在も東北の曹洞宗の中心的存在となる大寺院で優れた建築がある。日本最大級の茅葺屋根、入母屋造 間口(桁行)21.5間(29.6m) 梁間(奥行)12.5間(21m) 棟高26m。 |
仙台藩の棟梁新田作兵衛によって建てられ正面には「大梅拈華山」の山号額が掲げられている。寺院の四脚門とそては県内最古。 |
庫裏は文化4年(1807)間口33m、奥行17m。 |
白山神社は中尊寺尊守の一つで境内の端にある。西は入母屋造、東は寄棟造。茅葺屋根。西半分を舞台、東半分を楽屋とする。完備した構成の近世能舞台の遺構として東日本唯一のもである。 |
唐獅子土蔵 | 唐獅子土蔵 | 城内諏訪小路 | 城内諏訪小路 |
一関市 | 一関市 | 胆沢郡金ケ崎町西根裏小路 | 胆沢郡金ケ崎町西根裏小路 |
明治中期 | 明治中期 | ||
★北海道指定文化財 | ★北海道指定文化財 | 重要伝統的建造物群保存地区 | 重要伝統的建造物群保存地区 |
気仙郡米崎村(現陸前高田市)の左官職人「吉田春治」(安政4年(1857)~大正11年(1922))と弟子たちの作品。近辺に同様の装飾された蔵を4棟を10年がかりで作る。 列島古建築紀行に掲載 |
気仙大工。気仙地区(大船渡市・陸前高田市・住田町)を中心とした大工集団で、民家の建築はもちろん、寺院造営、建具づくり、細工までもこなす多能な集団。長安寺山門(大船渡市)や普門寺三重塔(陸前高田市)などの寺院建築のほか、洋風建築もこなした。 | 伊達氏が藩の重要拠点に家臣を配して治世にあたらせた「仙台藩二十一要害」の一つがここ旧金ケ崎要害である。この城と武家町、商人地の全域が重要伝統的建築群保存地区に指定されている。
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したがって古い家並みが連続しているわけどもなく、華やいだ雰囲気があるわけでもない。主要七小路を核に屋敷、生垣、庭が点在して往時の様子を伝えるのみである。侍住宅は直屋で茅葺の寄棟造りだが、鉄板に変わったものが多い。大沼家住宅は見事な茅葺である。 |