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功山寺山門 | 功山寺仏殿 | 住吉神社拝殿 | 住吉神社本殿 |
下関市長府町川端1-2-3 | 下関市長府町川端1-2-3 | 下関市一宮町 | 下関市一宮町 |
竣工/安永2年(1773/江戸中期) | 竣工/元応2年(1320/鎌倉後期) | 竣工/1539(天文8年) | 竣工/1370(応安3年) |
★市指定文化財 | ★国宝 | ★国指定重要文化財 | ★国宝 |
10代長府藩主・毛利匡芳の命により建立された二重楼門。三間三戸、入母屋造、本瓦葺。功山寺は虚庵玄寂を開山として臨済宗の長福寺として創建された。開基は北条時仲と推定されている。 | 桁行・梁間とも三間、一重入母屋の屋根に裳階がついた桧皮葺、二重屋根の禅宗様式の建物である。内部の柱に「此堂元応二年卯月五日柱立」の墨書があり、鎌倉時代の建築とされている。 | 桁行三間、梁間一間で、屋根は一重切妻造りで桧皮葺きである。妻側が正面になっている。この拝殿は本殿の正面中央に接して、これに直角に建てられている。床は低く、四方は吹き抜きである。 | 今の本殿は応安3年に大内弘世が造営したもので、本殿は一間社流造り形式の五つの社殿と、相の間をもって連結したもので、柱間が九つある九間社流造りという、他に例のない珍しい形式である。 |
長府毛利邸 | 村田清風旧宅 | 早川家住宅 | 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 |
下関市長府惣社町4-10 | 長門市三隅下2510-1 | 長門市通1032 | 萩市大字堀内85-2 |
竣工/明治36年(1903) | 竣工/天明2年(1782/江戸後期) | 竣工/江戸後期 | 竣工/安政3年(1856/江戸末期) |
★ | ★国指定史跡 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
長州藩(萩藩)の支藩として立藩された長府藩。長府毛利家14代・元敏によって建てられた邸宅で、明治天王の行在所にもなった。武家屋敷造の御殿風豪邸で公開されているが建築的資料はやや不足。 | 幕末期に萩藩の要職を務め藩政改革を指導した人物。天保の改革という政策を実施した。旧宅は生家で三隅山荘とも呼ばれ清風は15歳の頃に萩へ移り住むが、晩年の約10年を過ごした。茅葺。 | 江戸時代、通鯨組の創業に貢献し、代々網頭や浦方役人として活躍した家。天明5年の大火で家屋は類焼し、廻船問屋・黒川甚兵衛の蔵を買い取って住居としたものが現在の住宅と伝わる。 | 桁行51.5m、梁間5m、入母屋造、本瓦葺の長大な長屋。5つに区画された内部は土間がなく東の座敷は狭いながらも畳廊下を持つ格調高い造りであることから高位者のための詰所と思われる。 |
東光寺総門 | 東光寺鐘楼 | 東光寺大雄宝殿 | 東光寺三門 |
萩市椿東1647 | 萩市椿東1647 | 萩市椿東1647 | 萩市椿東1647 |
竣工/元禄6年(1696/江戸中期) | 竣工/江戸中期 | 竣工/元禄11年(1698/江戸中期) | 竣工/文化9年(1812/江戸後期) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
弁柄で塗られた赤門。東光寺開山の慧極禅師は創建された翌年の元禄五年九月に晋山しましたが、総門はその頃竣工したものと推定されます。 | 黄檗宗特有の一重もこし付きの素木造二層式の建物で、桁行3間、梁間1間、入母屋造、桟瓦葺。大鐘の銘に元禄七年とあり、この頃の建立。 | かつては修行する僧が経を読んでいた場所で内部は畳ではなく土間であった。行正面5間、背面3間、梁間4間、裳階付、入母屋造、本瓦葺。 | 三間三戸楼門、桁行11.6mの大門。「同九歳次壬申九月十有九日竣工」の棟札があり、二階の内部には十八羅漢等が安置されています。 |
大照院鐘楼門 | 大照院本堂 | 大照院経蔵 | 常念寺表門 |
萩市椿青海4132 | 萩市椿青海4132 | 萩市椿青海4132 | 萩市下五間町17 |
竣工/寛延3年(1750) | 竣工/寛延3年(1750) | 竣工/宝暦5年(1755) | 竣工/寛永10年(1633/江戸前期) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
形式的に書くと三間一戸二階二重門、上層と下層に屋根がある。しかし、八脚門ではない。下層の扉は前面に付いており、本来八脚門にある中央の柱がない。禅宗の門なので2階があり、鐘がある。 | 本堂は方丈風の仏堂で規模が大きく、一重入母屋造、屋根は2段に見える綴葺きの屋根で、桟瓦葺である。主室は前後に2列に並列した6室からなり、方丈形式の典型的な近世禅宗本堂建築である。 | この経蔵は、総塗込の土蔵造で、屋根は宝形造桟瓦葺である。正面入口の上は切妻破風で、向かって左側には火燈窓、右側と後方にはの脇室が外側に張り出して造られている。八角の輪蔵を備えている。 | 控柱を持つ桁行3.66m、梁間3.12mの四脚門。元は京都聚楽第にった裏門といわれ、これを秀吉から毛利輝元がもらい受けて伏見の自邸に移築、後に輝元が萩城内に、その後現在地に移築した。 |
口羽家住宅 | 口羽家住宅長屋門 | 菊屋家住宅 | 菊屋家住宅主屋 |
萩市堀内146-1 | 萩市堀内146-1 | 萩市呉服町1-1 | 萩市呉服町1-1 |
竣工/江戸後期 | 竣工/江戸後期 | 竣工/江戸前期 | 竣工/江戸前期 |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
大身の武士の居住区であった堀内地区において、旧藩時代の家系が続いている二軒のうちの一つ。上級武士の邸宅。主屋は切妻造、桟瓦葺で入母屋造の突出部を設ける。 | 表門は白壁となまこ壁で萩に現存する最も雄大な規模を持つ長屋門で入母屋造、本瓦葺。江戸時代末期に長州藩の江戸藩邸の門を拝領して萩に移築したと伝わる。 | 萩藩の御用商人の邸宅。現存する商家としては最古の部類に属し規模も大きい。江戸時代には幕府巡検使の宿として本陣ともなった。主屋は切妻造、桟瓦葺。 | 通りに面する主屋の建設年代については、家蔵古記録によると3代目孫兵衛嘉次が建てたという。手法も古く、江戸前期と考えられる。切妻造り、桟瓦葺きである。 |
平安古(ヒヤコ)の町並み | 平安古(ヒヤコ)の町並み | 熊谷家住宅 | 明倫館遺構南門 |
萩市平安古町の一部 | 萩市平安古町の一部 | 萩市今魚店町47-1 | 萩市大字西田町 |
竣工/ | 竣工/ | 竣工/明和5年(1768) | 竣工/嘉永2年(1849) |
★伝統的建造物群保存地区 | ★伝統的建造物群保存地区 | ★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 |
旧萩城三の丸を囲む外堀の南に位置し多くの武士が居住した地域。平安古では開墾が進むのに並行して数多くの武士が屋敷地を構えた。橋本川沿いにある武家屋敷地である。 | 江戸時代の地割を良く残し、武家屋敷の主屋、長屋門、長屋、土蔵が、鍵曲を構成する長い土塀とともに残り、藩政期の姿をよく留めている。土塀越しの蜜柑の木が美しい。 | 今魚店町にある。熊谷家は問屋と金融・仲買などを業とし、萩藩の御用達として栄えてきた豪商で、住宅は熊谷五郎右衛門が分家して明和5年に新築したものと伝えられる。 | 藩校明倫館の遺構で、新明倫館の正門として建てられた。切妻造り本瓦葺きの一間一戸の四脚門で、左右の袖に潜門がついている。藩主が聖廟を拝する時のみ開門される。 |
有備館 | 松下村塾 | 森田家住宅 | 阿武川歴史民俗資料館 |
萩市江向602・萩明倫学舎敷地 | 萩市椿東・松陰神社 | 萩市大字黒川(旧福栄村) | 萩市川上2319(旧川上村) |
竣工/嘉永2年(1849/江戸後期) | 竣工/江戸後期 | 竣工/江戸中期 | 竣工/明治10年(1877)頃 |
★国指定史跡 | ★国指定史跡 | ★国指定重要文化財 | ★ |
旧明倫館の剣術場と槍術場を移築し、拡張したもの。練武の他、他国からの剣槍術の試合場「他国修行者引請剣槍場」でもあり、坂本龍馬もこの地で試合したという。 | 松下村塾はもとは松陰の叔父玉木文之進が主催する塾であったが、杉家に幽囚となった松陰が近隣の子弟のために塾を主催し教育を始めた。数多くの門弟がここで学んだ。 | 石見浪人だった森田津島が旧黒川村を開拓した功績により代々庄屋を務めた家柄。正面に表門、式台玄関がある。藩主御成屋敷ということから武家屋敷を凌ぐ造りである。 | 当地区は四周を険しい山に囲まれた平家の落人伝説が残る。資料館はダム建設により水没した村の資料などを展示する施設で、茅葺民家は水没する民家一戸を移築、保存。 |
2020.06.21 21.01.18追加