専修寺如来堂 | 専修寺太鼓門 | 専修寺唐門 | 庄野宿資料館(旧小林家住宅) |
津市一身田町2819 | 津市一身田町2819 | 津市一身田町2819 | 鈴鹿市庄野町 |
竣工/寛延元年(1748/江戸仲期) | 竣工/文久元年(1861/江戸末期) | 竣工/天保15年(1844) | 竣工/明治29年(1896) |
★国宝 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★市指定文化財 |
浄土真宗高田派の本山。二層に見えるが裳階付単層、禅宗用の仏堂。棟梁は近江八幡の高木作右衛門光連、脇棟梁は長谷川十右衛門と村田喜太郎。工費は当時の見積書があり、現在の金額で20億近いらしい。 | 平屋の長屋門に三層櫓をのせその最上階に大太鼓を吊っている。町の人々に時を知らせていた。親鸞聖人六百年忌法要の記念事業記録の中に太鼓門を三層に嵩上げした、という記事がある。この時の改修か。 | 屋根は檜皮葺で正面と背面に唐破風があることから唐門(向唐門)と呼ぶ。材料は全て欅材、随所に秀逸な彫刻がみられる。大工棟梁は如来堂の棟梁の末裔で、高木作右衛門光規、同作右衛門光一である。 | 広重描く「庄野の白雨」は、国内に限らず海外にも良く知られた東海道五十三次内の傑作といわれる。南北八町で、町並みのやや東寄りに「庄野宿資料館(旧小林家住宅)」がある。小林家はかつては油問屋だった。 |
関宿の町並み | 地蔵院本堂 | 観菩提寺本堂 | 観菩提寺楼門 |
亀山市関町 | 亀山市関町新所1173-2 | 伊賀市島ヶ原中村内立場1349 | 伊賀市島ヶ原中村内立場1349 |
竣工/ | 竣工/元禄13年(1700/江戸中期) | 竣工/室町前期 | 竣工/室町前期 |
★伝統的建造物群保存地区 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 |
鈴鹿山脈の東麓の宿場町。関は古代からの交通の要衝で、越前に愛発、美濃の不破、と共に三関(関所)といわれた鈴鹿の関が置かれた。関の地名もこの関所から得たものである。東海道五十三次の47番目の宿場。町並みは約1.8km、電線の地下化もあって美しい町並みである。 | 五代将軍・徳川綱吉の建立。桁行5間、梁間4間、寄棟造、本瓦葺、向拝一間付。狩野永敬が描いた74枚の天井画がある。愛染堂(寛永7/1630)、鐘楼(寛永21/1644)も国重文。地蔵院は、関町保存地区の中央部にあり景観上も重要な位置をしめている。 | 観菩提寺は、東大寺の「お水取り」を始めたと言われる実忠の開基と伝えられる古刹。本堂(正月堂)は方三間、入母屋造、檜皮葺。外部は総朱塗りで柱は全て円柱、四方に濡縁を巡らせている。堂前面は蔀格子を設ける。織田信長の伊賀攻めでの被災を免れた貴重な仏堂。 | 楼門は桁行3間、梁間2間、入母屋造、檜皮葺で柱は総丸柱。上層には高欄を配する和様と唐様が混在した門。楼門内側に安置の広目天、多門天立像は県指定文化財、表の仁王像は伊賀市の文化財となっている。本堂よりわずかに古い時期の作。 |
高倉神社本殿・境内社 | 猪田神社本殿 | 町井家住宅 | 市場庄の町並み |
伊賀市西高倉1050-2 | 伊賀市猪田5139 | 伊賀市升川518 | 松坂市市場庄 |
竣工/天正2年(1574/安土桃山) | 竣工/大永7年(1527/室町後期) | 竣工/延享元年(1744/江戸中期) | 竣工/ |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★ |
高倉神社は大谷山の裾野にあり、記紀が記す東征に由来する逸話をもつ古社である。本殿は一間社流造、檜皮葺、浜縁付。境内社八幡神社、春日神社は春日造りだがほぼ似た仕様である。蟇股内の彫刻、手挟、頭貫の木鼻等に桃山時代の特色をよく残している。仁木長政が再建した。 | 猪田一郷の惣社とされ、天正十八年(一五九〇)の棟札には住吉大明神と書かれていた。少なくとも中世以降は住吉神社と言われていた。明治の末、町村合併で猪田村となり、村内各神社を合祀、猪田神社と改称した。一間社流造、檜皮葺で棟のみ瓦葺。正面は唐戸で他は板壁。 | 町井家は江戸期の大庄屋。建物は主屋と書院から成る。平面は東側が土間で上部は二重梁式の和小屋である。西側には畳間が並び、上手中央に仏壇が据えられている。書院は主屋の西側に繋がる。
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町並みは伊勢参宮街道(伊勢別街道)に面する。伊勢参りなどの客を相手に、半商半農の暮らしであった。伊勢土産がここで手に入ったという。旅籠も十数軒あった。今も残る民家は、妻入り、連子格子の大きな家が多い。江戸末期から明治期のものが多いと町の人の話。 |
賓日館 | 賓日館 | 麻野館 | 麻野館 |
伊勢市二見町茶屋556-2 | 伊勢市二見町茶屋556-2 | 伊勢市二見町茶屋537-10 | 伊勢市二見町茶屋537-10 |
竣工/明治20(1887) | 竣工/明治20(1887) | 竣工/明治26(1893) | 竣工/明治26(1893) |
★国指定重要文化財 | ★国指定重要文化財 | ★国登録文化財 | ★国登録文化財 |
神宮参拝する賓客の休憩、宿泊施設として建設された。その後、明治44年に隣接する二見館(三重県初の政府国際観光ホテル)の別館として使用された。二見館廃業後に改修、一般公開された。 | 伊勢参詣や夫婦岩参詣でにぎわった二見の旅館街にある。旅館街のほぼ中央にある。二階建、入母屋造、桟瓦葺。一階に玄関、厨房など二階に客室を配す。二見の旅館建築の特色を良く残している。 |
伊勢河崎の町並み | 伊勢神宮外宮・正殿 | 伊勢神宮外宮・風宮 | 伊勢神宮外宮・土宮 |
伊勢市河崎 | 伊勢市豊川町279 | 伊勢市豊川町279 | 伊勢市豊川町279 |
竣工/ | 竣工/平成25年(2013年) | 竣工/平成25年(2013年) | 竣工/平成25年(2013年) |
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「伊勢の台所」と呼ばれ、室町時代~江戸時代に勢田川の水運を利用した問屋町として発展し、伊勢神宮への参拝客をもてなす町としても賑わった。伊勢湾から船で勢田川を遡ってくる参拝客の上陸地点だったのである。昭和20年の空襲でも被災せず古い民家や蔵が今も多く残っている。 | 伊勢神宮の入口である伊勢市駅を降りて参道を直進すると正面に外宮がある。伊勢神宮外宮の正式名称は豊受大神宮という。伊勢市の中心部、高倉山を背にして祀られている。豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神であり、衣食住、産業の守り神である。 | 式年造替は正殿の他に80棟もの建築を新調するという。正殿の脇には広大な予備地が置かれ、次の遷宮を待っている。正殿は敷地も広く、離れたところから遠望する他は無く、写真で眺めるしかないが同時期に建立される別宮、摂社、末社の本殿は間近に見ることが出来る。 |
造替されたばかりの建築は木の香りがする素木(しらき・白木ではなく)が眩い。新築された家のご主人が友人を招待した時の心が見えるような気がする。神宮で建てられる建築はすべて堀立柱で造られるという。土と接するところの部分が腐ってしまうので造り替るのだと云われる。 |
伊勢神宮内宮・風日祈宮 |
おはらい町の町並み | 赤福本店 | おかげ横丁 |
伊勢市宇治館町1 | 伊勢市宇治中之切町 | 伊勢市宇治中之切町26 | 伊勢市宇治中之切町 |
竣工/平成25年(2013年) | 竣工/ | 竣工/明治10年(1877年) | 竣工/ |
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天照大御神が住まう内宮の正殿は瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣に囲まれているという。弟の素戔嗚尊は妻のために「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と歌ったように古代では大切な女性のためには多くの垣根の中に建物を造ったようだ。 | 内宮の門前にあるおはらい町は江戸時代には日本全国から参拝者を集めた伊勢御師の館街であり、客をもてなして賑わったという。戦後、観光客が立ち寄らない寂れた町になった。町を以前のように伝統的な妻入りの木造建築が並ぶ町並みに修景して観光客が戻ってきた。 | 今の建物は明治10年の伊勢一帯を襲った台風で五十鈴川が氾濫で建て直したとのこと。建築様式は、伊勢の町屋の特徴である切妻屋根の妻入り。江戸時代から明治の中頃までは入口の戸締まりは鎧戸であった。店の中に入って柱に立て溝が有れば鎧戸の痕跡である。 |
おかげ横町は平成5年に、おはらい町の一角の4000坪の土地を再生し、江戸から明治期にかけての伊勢路の建築物を移築・再現したものという。建築物の特徴は、伊勢人が神様のお住まいである伊勢神宮正殿と同じ平入りでは恐れ多いと、玄関を妻入りにしてあるとのこと。 |
2020.04.04