前ページへ            次ページへ

3・大内宿福正寺観音堂と中田観音(弘安寺)


 今日の見学はこれで終わりにして、宿泊予定の大内宿に向かった。日が落ちるのも早く、会津若松市内を通り過ぎ芦の牧温泉に近づいた頃にはかなり暗くなり、下郷駅の近くから大内宿に入る枝道に入る頃には暗くなってしまった。大内宿の入り口で駐車場を教えて貰い、大内宿の民宿・伊勢屋さんに着いた。大内宿の本通りは闇の中に溶け込むようだった。荷物を解き、風呂に入ってから美味しい肴でお酒をいただいた。いろいろな話で話題が盛り上がり、食事のあと民宿の主人と囲炉裏を前にして茅葺き屋根に関する苦労や、茨城と会津の違いなど夜遅くまで語り合った。


 翌日は朝食をとったあと、早速大内宿を歩くことにした。大内宿は表通りは車が入れないようにしてあり、江戸時代のような風情がある。大内宿は国道121号線が芦の牧温泉の方を通るまでは西会津街道の本通りであり、ここから本郷町に抜けて会津若松につながっていた。今でも歩く道以外に車の通れる道はないそうである。朝の冷たい空気の中を下の方から宿の上にある神社まで歩いていった。神社の急な石段を登り、神社の裏手に廻ると大内宿が一望できる。茅葺き屋根の家並みは美しかった。宿の入り口には大きな駐車場があり、9時をすぎると大型バスが入ってきた。神社を降り宿の裏手の方に廻ると土蔵を修理しているところに出会った。木の骨組みに荒縄をぐるぐるに巻いてあった。脇に廻ると泥土を捏ね、泥団子を作っていた。本通りに戻ると大型バスから降りてきた観光客で賑わっていた。宿の多くは軒先を土産物の店にして観光客の相手に商売をしていた。

 土蔵作りの一軒でコーヒーを飲んだ後、会津の古建築見学に出発した。朝は曇っていたが大内宿を出て芦の牧温泉を通る頃には晴れ上がってきた。昨夜は寒気が通ったのか山の上は雪で白かった。山道から会津平野に入り、国道121号線と分かれて本郷町に向かった。本郷町を過ぎて高田町に入ったところに福正寺観音堂はあった。元は茅葺きであったが現在は銅板葺きに替えられていた。細部は室町後期の美しい形をしている。頭貫木鼻は昨日見た喜多方市の勝福寺観音堂に似ているような気がした。

 会津高田町には会津一宮・伊佐須美神社がある。今回は古建築の旅と云うことで町を通り抜けて中田観音に向かう。中田観音(弘安寺)は会津三十三観音とぼけ封じの観音様として賑わっていた。私達の目的は観音堂(宝暦の建築)ではなく堂の前に建つ、弁天堂である。頭貫の木鼻は今まで見たことのない奇妙な形をしていた。正面から脇に廻ると妻側は唐破風になっていた。妻側にある蟇股は鎌倉時代様式の特色である肩に猪の目があり、古様である。この弁天堂は元は観音堂の宮殿として作られたが江戸時代初期に屋外に出され弁天堂として転用されていたという。現在は覆い屋の中にあり、由緒によると文永十一年(1274)の銘のある十一面観音像とほぼ同じ頃に作られたという。

    大内宿の遠望    土産物屋を開いている民家    土蔵を再生している蔵    福正寺観音堂

  中田観音の弁天堂・奇妙な木鼻がある

 

今回宿泊した伊勢屋さん

家庭的な雰囲気の宿
 民宿 伊勢屋 
福島県南会津郡下郷町大字大内字山本33 
電話 0241-68-2958

次ページへ