10  弘経寺山門
所在地 茨城県水海道市豊岡甲1
建立年代 1558-70(永禄期)
文化財指定 市指定  指定年月日 S58.3.1
建立年代の判定及び推定の根拠  記録
創立来歴
 浄土宗十八壇林の一つ、那珂町瓜連常福寺の了誉聖圀は浄土宗の教学を大成し、宗風を宣揚した。聖圀の弟子に聖聡が有り、聖聡は芝増上寺を開創する。その系統に良肇了暁がおり、嘆誉良肇は横曽根城主羽生氏の帰依を受け、応永二一年飯沼の地に弘経寺を開き、慶誉了暁が二世となる。第九世存把に至り、小田原北条氏と下妻多賀谷氏との合戦の際、兵火に罹り焼亡する。存把は結城に逃れ、結城秀康の帰依を受け、その地に弘経寺を興す。慶長八年家康の命により照誉了学は飯沼の故地に弘経寺を再興し、第十世になる。了学に対する徳川氏の崇敬は厚く、秀忠はその死に臨んで了学を増上寺第十七世に昇らしめ、葬儀の導師を勤めることを命じている。これより先、豊臣秀頼夫人千姫は寛永三年に了学の下で落飾し、弘経寺を菩提所とした。
職人名    未詳
建築形式   四脚門・瓦葺
組物 平三斗
所見及び解説
 建築細部から見ても明らかに室町末期の特色が示されている。
元の茅葺に復元されれば、この門の風格は高まり、注目されることになろう。しかも木の肌から見て、かっては彩色があったと思われる。

弘経寺山門全景

山門組物の頭貫木鼻・拳鼻

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