7 花園神社本殿
所在地 茨城県北茨城市華川町花園567 建立年代 1583(天正11年) 文化財指定 未指定 建立年代の判定及び推定の根拠 記録 創立来歴 旧村社。祭神は大山祇命・大山咋命・大物主命の三柱。明治の初期までは花園山王大権現と称した。延暦14年(795)年間坂上田村麻呂の霊夢により創立されたと伝えられる。大同2年(807)花園山の勅額が掲げられ、貞観2年(860)に慈覚大師が満願寺を創建し、源頼義・義家の親子が社殿を建立した等の言い伝えがある。慶長7年(1602)徳川家康により五十石の寄進を受けた。 資料来歴 本殿・天保三年壬申四月吉日建立、拝殿・嘉永四年十一月五日建立、楼門・寛政四年九月二八日建立(棟札)、愛染堂・延宝四年三月建立(社蔵記録) 職人名 未詳 建築形式 三間社流造 唐破風向拝 組物 平三斗拳鼻入り 所見及び解説 屋根は元柿葺き昭和40年に銅板葺き。平三斗、拳鼻、蟇股、地垂木、飛檐垂木、妻虹梁などは安土桃山期の特色ある様式を示しており、風触も大きい。元は三間社流造で正面三間を向拝とした形式であったと思われる。天保3年に唐破風の一間向拝を付け、柱を取替えるなどの大改修を加えたものである。本殿の細部には天正期の特色が見られる。これに天保頃の新様式が加わる(向拝廻り装飾性)。拝殿、楼門ともに幕末の典型的な建築である。 |
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