1  長勝寺仏殿
所在地 茨城県潮来町潮来428
建立年代 伝 1185(文治元年)
文化財指定 県指定
   指定年月日 S33.3.12
建立年代の判定及び推定の根拠   墨書
創立来歴
 山号は海雲山。文治元年(1185)、源頼朝の願で開山。その後、古鐘(国指定重要文化財・明44指定)が造られた元徳2年(1330)の頃までは隆盛であった。南北朝から戦国時代にかけて衰微し、江戸時代初期まで荒廃していたが、徳川光圀の代、元禄年間に太嶽を中興開山として迎え、堂宇を復興した。徳川幕府より寺領十石の朱印が与えられている。
資料来歴
 天正の佐竹氏の南寇、江戸末期の擾乱によって重要な記録も悉く亡失、重要文化財の古鐘の銘文に“寺初於文治元年 右大将殿時所立也”とあるのが唯一の創建を物語る資料である。元禄の修理は「長勝寺物語」によって明らかである。
職人名   未詳
建築形式   方3間・裳階付
組物     尾垂木入り・禅宗様三手先の詰組
所見及び解説
 現在の仏殿の軒廻り、特に組物は室町時代後半を下らないりっぱな禅宗様建築の規制を示すものであり、その頃の仏殿の規構を説明するに足る良き資料である。江戸時代初期には周厳道人によって伽藍の補修・再興に手が付けられ、辛うじてその姿を保持したと見て良い。そうした補修の結果は、決して完好な出来ではなかったらしく、約70年後、元禄の中興に際しては組物・軒廻りを除いて、他は殆ど新材で再興された。(修理工事報告書より)
[参照]   29 長勝寺仏殿(元禄修理) 30 長勝寺山門

長勝寺仏殿全景

仏殿組物の拳鼻拓本

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