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古建築研究会・ポプラ俳句の会・第1回奥の細道を訪ねる旅
一茶双樹記念館と奥の細道(草加・春日部)
平成16年11月23日
平成16年11月23日(火)
土浦 ー> 常磐高速 ー> 流山 ー>
一茶双樹記念館 ー> 昼食 ー> 草加煎餅工場見学
日光街道松並木 ー> 春日部・観音院 ー> 土浦
 秋晴れの一日を古建築研究会と「ポプラ俳句の会」と合同で松尾芭蕉の「奥の細道」を尋ねる旅を始めました。朝早くに貸し切りバスで土浦を出発し、常磐高速道で流山インターに向かいました。朝早いこと、土浦社会教育センターが祭日の為、休館でトイレが使えない為、谷田部PAで休憩し、流山に向かいました。今回の旅は「奥の細道」では有りますが江戸時代に活躍した「小林一茶」を記念した建物が流山に有り、江戸時代末期に建てられた建物が保存されています。
この「一茶双樹記念館」は旧秋元家住宅で流山で味醂醸造で財をなし、小林一茶の有力なパトロンでもあった秋元双樹を記念した建物である。現在はメルシャンの工場の敷地内に有り、流山市の管理で公開されている。秋元家は土浦にも分家が有り、昭和の初期には土浦駅の脇に大きな走行を持っていた。また、運送業も営み、土浦江戸崎間のバスの営業も行っていたようです。建物は店の部分と主屋と分かれている。句会や茶会が出来るように新しい建物も増築してあります。
 店から主屋の入り口に通じる路地には万両の赤い実がなっていました。路地の奥に入り口が有り、そこには一茶の句が壁に貼ってありました。小林一茶が泊まったと思われる「双樹亭」は小林一茶が来ていた頃より50年後の安政4年(1857)の建築であることが改修工事に寄って判明した。店の部分は典型的な幕末ごろの下総地方の商家建築で、寄棟造り瓦葺きの2階建ての建物である。二階には一茶や双樹についての資料、一階には流山にゆかりの産品である“みりん”に関連した資料を展示しています。
 一茶双樹記念館を見学した後、流山市役所下の「柳家」という料亭で食事をしました。

 昼食後、松尾芭蕉の奥の細道を出発後最初に立ち寄った草加に向かいました。草加は今では「草加煎餅」で有名になっています。市内見学の前に草加煎餅の工場を見学に行きました。ここには煎餅を天日で乾かしている所や機械化された工場、手焼きで焼く場所などを見学後、歴史を保存してある資料館などを見学しました。

 資料館の見学後には焼きたての煎餅とお茶を用意してくれてありました。お茶を飲み一息ついてから一路、草加の町並みの懸隔に向かいました。草加の市内には旧日光街道の松並木が保存されてある。本来は歩いて松並木を見学したかったのですがバスを止める駐車場が無く、今回は松並木の脇をバスの窓からの見学となりました。そのままバスは旧4号線(日光街道)を通り、春日部に向かいました。
 春日部の観音院は国道4号線と国道16号線の小渕交差点のすぐ先に有った。観音院は小渕山正賢寺観音院といい、修験道の寺院である。修験道の寺院は明治の廃仏毀釈のおり、尺八、虚無僧で有名な普化宗とともに禁止され、破棄されました。その中で生き残った数少ない寺院の一つです。この仁王門は松尾芭蕉が奥の細道の旅に出た年に完成されました。多分、芭蕉翁もこの寺を参拝した後、次の宿場に向かったのではないでしょうか。
 この日の本堂は茅の葺き替えで職人達が高い屋根の上から古い茅を落としていました。職人達が何処から来たのかを尋ねましたところ、茨城の境から来たそうです。茨城の職人が埼玉でも活躍していました。この本堂は様式から見ると元禄から100年後の文化文政の頃の建築と思われます。茅の葺き替えが終わり、黄金色に輝く屋根を見たいと思います。見学後、16号線を一路、柏に向かい常磐高速道で土浦に帰りました。
 
 

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